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昔女子のマウンティングバトルは、眉毛で決まった!? 眉ナシ女が勝ち組だった理由

眉毛みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。眉は顔の印象を変えてしまう大事なパーツですよね。今のトレンドは、自眉を生かしたメイクが主流ですが、理想のカタチ、ライン、角度を追求した結果、自眉がほとんどなく、メイクをおとせば「マロ」な女性も。そもそも日本史を通じて、成人女性の大半には眉毛というものがありませんでした。

平安時代以降の高貴な女性たちは、生理がはじまると成人したとみなされ、当時の「成人式」を済ませるといきなり結婚させられてしまいます。「成人式」イコール「結婚式」みたいな感じだったのですね。そして、オトナになった証として、眉毛を全部抜いてしまうのでした。そして白い歯をお歯黒で真っ黒に染めます。まさに「マロ」でございます。

当時、オトナの美女に必要だったのは美しい眉毛云々より、額の広さでした。おでこが美人の証なのです。額が広いと、おおらかで、おっとりした顔になると平安時代の人は考えました。このため、自眉は抜き去り、かわりに額の真ん中あたりに、丸っこい眉を描きました。これを「置き眉」と呼びました。今では置き眉した、白塗り顔といえば(すこし懐かしいけど)バカ殿様を思い出すかも。お笑いの対象になってしまうかもしれませんねぇ。御簾を通じて、薄暗い所で見ると、あの手の眉なし顔ってすごく妖艶だったハズですが……。

さて、この手の自眉は全抜き(全剃り)メイクを、「引き眉」と称しました。江戸時代になれば、たとえば大奥で暮らす女性などは13歳で眉毛を剃り落としました。これが女性としての、元服(成人式)のお作法の一つでした。そして、特別な儀式のある日には置き眉をする伝統が引き継がれていました(繰り返しますが、ドラマなんかでお公家さんがよくやってる、おでこの上のほうに丸を二つ、ポンポンと描いちゃうアレです)。
しかし、普段は眉毛がない状態がフツーということになります。ちなみに地域によってはおばあちゃんたちの間で、20世紀半ばくらいまで、この眉ナシがフツーという伝統は続いていたようですよ! さすがに置き眉は古い歴史を持つ家の女性以外はしなかったようですが。

江戸時代の庶民の場合、結婚し、最初の子どもが生まれたらそり落とす……というように、自分が成熟したオトナの女になれた時に、眉は「引く」ものでした。基本的に都会の女性は十代半ばで結婚し、二十代になるかならないかで最初の子どもが生まれるという時代です。薬指にキラリと輝く結婚指輪をはめるかわりに、眉毛を顔からそり落とせることが、幸せ自慢の「勝ち組女」の証だったわけです!

眉毛がない場合、眼ヂカラが強調されますね。昔のヤンキーみたいな顔になりますが、煤(すす)を藁の先に付けたのを睫毛に塗ってみる位しか、まともな睫毛メイクの方法が存在しなかった昔の日本では、眉毛がないこと=眼を大きく見せる方法に繋がっていたともいえるかもしれません……。そもそも、当時の女性はなぜ、眉を剃り落としたがったでしょうか。ハッキリとした理由は想像するしかないのですが、やはり女性には女性の意地の張り合いというものはありますから、確実に他の女性へのマウント行為だったでしょうね。

結婚適齢期を過ぎ、二十代も半ば以上になっているのに、眉毛がある未婚女性は「年増」、三十代でも眉毛がある場合、「残念な女」という評価を通り越して「凄まじい女」とすら言われてしまいました。一方、花魁など玄人の女性は、眉毛を生やしたままでした。「まだ、誰のものでもない」ということが、逆に男性へのアピールポイントになったからでしょうね!

著者:堀江宏樹
歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。
公式ブログ「橙通信」http://hirokky.exblog.jp/

※写真と本文は関係ありません

※この記事は2014年07月02日に公開されたものです

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