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震災から10年。今私たちが一番やるべきこと

#犬さやの遠吠えやってまーす!

犬山紙子

エッセイスト・TVコメンテーターとして活躍する犬山紙子さんが、恋愛・人間関係・趣味などあらゆるテーマで語るラジオ『犬山の遠吠え!やってまーす』。本連載では番組内のトークを言葉にし、音声と共にお届けします。今回は2021年3月12日放送分から。

『犬山の遠吠え!やってまーす』今回の番組トーク音声はこちら

こんばんは、犬山紙子です。

今年2021年は東日本大震災から10年経ったと、いろんなメディアでも報じられていましたね。

今日は、私が体験した3.11の話をしようと思います。

唯一の連絡手段はTwitter。私が経験した「3.11」

日本に住んでいる人全員に、それぞれの3.11がありますよね。被災した岩手・宮城・福島の方だけではなく、みんなが恐怖を感じて、価値観が揺らいだ日だと思います。

私の実家は宮城県の名取市で、まさに被災した地域。実家は高台にあったので津波の被害は大丈夫でした。

当時の私は基本的には宮城に住んでいたんですが、月に1週間だけ東京に暮らしていて、ちょうど3.11の時は東京にいたタイミングだったんですよ。

地震が来た時、最初はめっちゃ揺れるな〜と思い、その後テレビをつけたら震源地が岩手・宮城・福島あたりだと報道されていました。自分の知っている場所が津波で飲み込まれた映像が流れた時は、現実だと思えなかったですね。

名取の実家には病気の母が寝たきりで酸素のチューブをつけていて、ライフラインが水・電気なので、生死に直結する災害でした。だけど実家にいる姉と連絡もつながらず、名取に帰ることもできず、何もできない……。

そんな時、唯一Twitterだけが連絡がとれるツールだったんですよ。そこで実家の姉と連絡がついて、慌てながらも、幸いその日のうちに母を病院に入れてもらうことができました。

だけどその日の夜、病院がTwitterで「予備電源が足りなくなった」とSOSを出していました。病院に行ったからとりあえずは安心かと思っていましたけど、病院ですら電源がなくなるくらいの災害だったんですよね。

最終的にその晩は姉が手動で酸素を送ってくれて、母は一命を取りとめたという話があります。

震災から10年、今私たちがやるべきこと

被災地の方からすると、震災から10年目というのは”節目“ではなく、“日常”としてただ続いている中での10年目なんですよね。

私たちが今やるべきは、防災意識を持つだけではなく、震災を知らない子どもたちにも毎年ちゃんと当時の教訓を言い伝えてあげること。

避難経路を確認しておく、震災があった時の待ち合わせ場所を決めておく、防災リュックを備えておく、など。

節目じゃない時にもこういうことを考えて、安全に日々を送れるようになったらいいですね。

ラジオ番組『犬山の遠吠え!やってまーす』最新のトークはこちら

毎週木曜日、深夜0時30分からMBSラジオ(AM1179/FM90.6)で放送する他、アプリやネットで楽しめる「radiko」でも生配信。また、過去の放送は音声配信サービス「Radiotalk」で聞くことができます。

(トーク:犬山紙子、文:高橋千里)

※この記事は2021年04月03日に公開されたものです

犬山紙子

1981年生まれ。エッセイスト。美人なのになぜか恋愛が上手くいかない女性たちのエピソードを綴ったイラストエッセイ『負け美女』(マガジンハウス)で作家デビュー、女性観察の名手として注目を浴びる。SPA!やananなどで連載中。「スッキリ!」、「みんなのニュース」などコメンテーターとしても活躍する。

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