「処女の彼女」に対する男性の本音と打ち明け方
彼女が処女だと知ったとき、男性はどんな本音を抱く? 「処女」という人には聞けないディープな悩みについて、AV男優で執筆活動を行う森林原人さんが回答。処女を恥ずかしいと思う社会的背景や、恋人に打ち明けるときのポイントを紹介します。
セックスには生殖やコミュニケーションといった面だけでなく、“社会的評価”と密接に関わっている面があります。
「早く初体験したり、経験人数を積み重ねたりしたほうが人として優れている」とか、「男の浮気は甲斐性だ」みたいなやつです。
言うまでもなく、その評価は文化や時代によって変わり、偏見も多分に含まれ、絶対的なものではないですが、多くの人がその評価を気にします。
現代の女性はどうでしょうか?
コンドームで有名な相模ゴム工業株式会社が2018年にした調査「ニッポンのセックス」によると、20代の処女率は20.9%、30代は8.8%だそうです(※処女率に関しては、調査する機関によって数字にばらつきがあります)。
数字からいえるのは、30代の処女は少数派であるということ。それは貴重な存在とも受け取れますが、マイノリティゆえの偏見の対象にもなりえます。
処女であることでどんな悩みを抱えるのか。社会的評価と結びつけ、純潔さの証拠である処女を守ることに価値があるのか? それとも、処女であることは女性としての魅力の欠如を示すのか。偏見を乗り越えるためにも考えていきたいと思います。
処女は本当に恥ずかしいことなのか
「ニッポンのセックス」調査は、2013年にも行われていました。そこでは、処女率20代25.5% 、30代5.1%でした。2018年のもの(20代20.9%、30代8.8%)と比べると、20代で経験する人が増えつつ、30代の処女が増えています。
これは、20代で経験しなかった女性は、そのまま30代でも処女のままである可能性を予感させます。もしそうなら、「セックスをする者」と「セックスをしない者」の格差が広がっているということになりそうです。
経験の有無が社会的評価の格差を生む?
社会に生きている限り、他人のことが気にならない人はほとんどいません。
セックスにおける格差を、社会的評価の格差と捉え、悩んでいる女性はきっとたくさんいます。なぜか。
それは、男性よりも女性のほうが性的魅力と社会的評価が一致しやすい分、余計に悩まされるからです(男性の社会的評価には、仕事ができるとか優しいとか内面的要素が比較的考慮されやすいですが、女性は見た目=セックスアピールや性的魅力が良くも悪くも社会的評価に直結しやすい現実があります)。
現代以上に「自由なセックス」に厳しかった昔
処女であることがどんな意味を持つのか。少し時間をさかのぼって考えてみます。
明治時代から始まった純潔教育によって、日本の性は国によって管理されるようになりました。
富国強兵の時代のことです。国を強くするためには軍事力が必要であり、その時代の軍事力とは兵器の能力ではなく国民の数です。欧米諸国に負けないために、産めや増やせやと、子作りが国民の義務になっていきました。
だったら、処女であることは罪になっていきそうですが、そこには家父長制度(※父系の家族制度)の一夫一妻制が大きく関わってきます。
嫡出子という言葉があるように、当時は婚姻関係にある夫婦のもとに生まれた子どもだけが社会的に認められた存在です。
一方、非嫡出子は社会的に認められにくい存在であったのですが、その理由は国が把握管理しにくいから。
つまり、国からすると、結婚した男女だけが子作りをしていいよということです。当時は現在ほど避妊方法が確立されていませんから、セックスと生殖が今ほど切り離されておらず、快楽のためのセックスや、自由恋愛の中で自由なセックスをするなよということになります。
「結婚するまで処女」を強制された女性
一方で、戦後しばらくまでは「赤線」という国が管理する男性向け風俗が存在したので、快楽のためにセックスを楽しむことを男性だけ許されていました。
女性は、結婚するまで処女でいなければいけないし、結婚して子を産まなければいけないという二重の宿命を生まれながらに背負わされたというわけです。
この二重の宿命は、恋愛結婚が主流になっていく高度経済成長期を経て、男女雇用機会均等法の施行に後押しされ、「女性は、快楽のためにセックスをしてはいけない」という風潮がだんだんと変化していきます。
処女が「恥ずかしさ」に繋がる本当の理由
女性が社会進出し、男性の庇護の下にいる存在でなくなっていくと、女性も自身の性を主体的に捉えるようになっていきます。結婚するまで処女でいなければいけないという風潮は、積極的に性を楽しみたい女性からすると納得いくものではありません。
男性からしても、結婚しなくてもセックスする(させてくれる)女性は歓迎されたので、自由恋愛はセックスの自由化を意味していきました。
自由化とは自由競争であり、「セックスを手にできる者」と「こぼれ落ちてしまう者」を生み出します。セックスの獲得が、その者の恋愛市場での価値に繋がっていきます。
これが、処女(や童貞)を売れ残りや負け犬と評価するようになった理由です。現代において処女は、女性に性的奔放さを求めない男性には評価されますが、性的魅力の欠如という意味では恥ずかしさに繋がります。
性経験の豊富さが恋愛市場での高価値(モテ)を示すものの、経験豊富な女性が恋愛結婚の対象としても望まれていたかというとそうではありません。
結婚し、子作りをし、一緒に家庭を築く女性には性的貞淑さが求められました。処女であることは、性的魅力の欠如を示しつつ、家庭を築く上では人格保証にもなるという矛盾を抱えているのです。
現実では、恋愛市場でモテつつも、実は身持ち固く性経験は乏しいというのが理想となります。
この男性の理想を心得ている女性は、独身時代は性を奔放に楽しみつつ、結婚の対象になる者にはその姿を隠し貞淑なフリをするという二面性を持つことでうまいとこ取りしようという処世術を実行していくのです。