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女の敵は女!? エピソード集と対処法

仁科友里

どうして女性は「女の敵は女」と思ってしまうのか

大前提として、私たちはみな「自分のことが大好き」「成果はなくとも、自分は世界で一番優れている」と思っています。「そんなことはない、私は自分に自信がない」とか「自分が大嫌いだ」とおっしゃる人もいるかもしれませんが、それは「自分が好きだけど、理想とする自分にはほど遠いので、嫌いになってしまう」もしくは「自分は世界で一番ではない証拠をつきつけられたから、そう思ってしまう」のでしょう。また、「私は人が喜んでいる姿を見るのが好きだ」と思う人もいるでしょうが、それも「人を喜ばせることが好きな自分が好き」なわけで、ベースはやはり「自分は世界一優れている」「自分が大好き」なわけです。

「自分が大好き」なことはいいことです。「私は私のことが大好きだ」という人は、「大好きな自分のために、充実した人生を送りたい」と思っているでしょう。そういう人は、「女の敵は女」と言い出さないのではないかと私は思っています。

私たちは大人になると“実績”を出さなければいけない、成果主義の社会に生きています。たとえば、就活や転職の面接では「自分を雇ったら、御社にトクである」ことを示さないといけませんし、仕事を得てもいいパフォーマンスを出さなければ、昇進できないようになっているでしょう。

学生時代はそうでもなかったのに、社会人になって「女の敵は女」と感じることが多くなっているとしたら、「チャンスは平等に来ない」ということが理解できていないのかもしれません。学生時代の判断基準はテストであり、日程は平等に告知されます(中間テストの日程が、一部の人しか知らされていないということはありませんよね?)

しかし、社会人になってからのチャンスは、たとえば前任者が辞めて欠員が出たというように、「タイミング勝負」であることが多くなってきます。恋愛も同じで、いかに空きがない状態(彼女がいない)をつかむかがポイントになってきます。学生時代は点数だけでなく、コツコツ勉強している人を学校の先生は評価してくれるでしょうが、職場や恋愛では必ずしもそうではありません。なので、仕事にせよ恋愛にせよ、「今がチャンスだ」と思ったら、全力でアピールできるかどうかが鍵になってきます。

「自分が大好きだ」「世界で一番自分が好きだから、自分を幸せにする」と自覚して目的を持って生きている人は、自分が悪口を言うことや言われることも「仕方のないこと」として受け止められるでしょう。同様に、自分や他人がチャンスに飛び込むことも「当然のこと」と解釈します。ですから「女の敵は女」とは思わないのではないでしょうか。

逆に、「世界で一番自分が好きだけど、それを人に言うのは恥ずかしい」と感じている人の場合、「女性なんだから、助け合うべき」「和を乱すのは、慎むべき」といった具合に、平等理論に縛られています。ですから、チャンスをつかんだ人のことも「ズルしている」と苦々しく見てしまい、結果的に「女の敵は女」だと思ってしまうのです。つまりは、人目を気にして、自分の人生を生きていない人が「女の敵は女」と言うのではないでしょうか。

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