アメリカ×日本婚に立ちはだかった壁は「結納」「ご祝儀」 #恋は国境を越える
「僕は知り合ってから5年半もの間、ずっとジュンに片想いをし続けていたんだ」
知り合ってから約9年。20歳のころにニューヨークでひとり旅をするジュンさんを、友人の紹介で知り合ったトリスタンさんが案内したのがはじまりだった。
現在、2人とも29歳。知り合ってから約9年になる。ジュンさんは、付き合うまでずっと「気の合う友だち」という気持ち。しかしトリスタンさんは、「僕は5年半、ずっと片想いをしていたんだ」と話す。
5年半の片想いが実り、約1年で入籍。それから2年半ほどが経った。彼らにはいくつかの文化的ハードルがあり、そして、いくつもの偶然を経て結ばれた。
彼の恋は「原宿事件」からはじまった
さかのぼること約9年前。ニューヨークのひとり旅を終えたジュンさんが日本へ帰国したあと、たまたまトリスタンさんも日本へ留学することになった。ひさしぶりに再会し、向かったのは原宿・竹下通り。
「そのとき芸能人の方がたまたま来ていたようで、竹下通りにいる高校生たちがいっせいにわーっと押し寄せたんです。そのときジュンと一緒にいて、『守らなければ!』という気持ちが自然と出てきて、初めて手をつないで……。その瞬間からもうずっと、好きだと思っていました」(トリスタンさん)
この出来事を、2人は「原宿事件」と呼んでいる。 そして原宿事件から数年後、トリスタンさんが交換留学生として新たに訪れた大学は、驚くことにジュンさんの通う大学だったのだ。お互いに知っていたわけではなく本当に偶然だった。
それからも偶然は続く。大学を卒業してアメリカに戻り仕事を探していたトリスタンさんは、希望する就職先が見つからず、日本で働くことを決めた。
「トリスタンが日本で働きはじめたことを聞いて、『どのあたりで働いているの?』と聞いてみたら、私の働いている会社の隣のビルだったことが判明したんです」(ジュンさん)
それからしばしば一緒にランチへ行く仲になった2人。しかし、ディナーをともにすることはなかった。2人はまだ、友だち同士のままだったのだ。
結婚にはこだわらない。ライフパートナーがほしい
「『人生をともに歩む“ライフパートナー”がほしい。結婚など形にこだわらず、誰かと人生をともにしたい』と思っていたんです。それぞれの一日が終わって家へ帰ってきたとき、『今日はどんな一日だった?』と聞いてくれる人がいい。きれいな空を見て、『きれいな空だね』と口に出してくれる人がいい。ちょっとしたことに幸せを感じられる人がいい。それが私の理想のライフパートナーでした」(ジュンさん)
そんな“ライフパートナー”とともに、これからの人生を歩みたい。ジュンさんはその思いをまわりの友だちに話していた。もちろん、トリスタンさんにも。理想のパートナーを思い描き、口に出すことで、ジュンさんは気づいたのだ。「私の理想像って、なんだかトリスタンっぽい……」と。
それからすぐのこと。たまたまタイミングよく、トリスタンさんがジュンさんをスノーボードに誘った。「何人かの友だちと行くから、ジュンもおいでよ」と。実はそのとき、ジュンさん以外を誘ってはいなかった。
とにかくジュンさんに会いたい一心だったトリスタンさんは、ジュンさんが誘いに乗ってから友だちを集めた。「すっごく好きな人を誘ったらOKしてくれたから、誰か一緒に来て!」と話して。
「それまでまったく男の人として意識したことがなかったのに、私のぶんまでボードを担いでくれたり、私の着ている服が濡れたら気づいて自分の服を貸してくれたりして、なんだかその日トリスタンのことがすごくかっこよく見えて……。いいかも、って初めて思ったんです(笑)」(ジュンさん)
アメリカにはない「結納」「ご祝儀」文化
ジュンさんが自分のほうを向きはじめたことに気づいたトリスタンさん。それまで以上に猛アタックをして、交際スタート。結婚という形にこだわっていなかったジュンさんだが、決して「結婚をしたくない」わけではなかった。
憧れのフラッシュモブで最高のプロポーズをされたジュンさんがそれを受け、入籍を決めた2人は、お互いの両親に挨拶をした。そこで、ジュンさんの母親が話したのは、「結納はどうするの?」ということだった。
最近では結納をせず簡単な顔合わせの食事会で済ませる人も多い中、ジュンさんの地元・名古屋では、現在も昔ながらの結納の形式を大切にすることが多い。
しかしながら、アメリカには結納自体が存在しない。それどころか、披露宴での「ご祝儀」文化もない。現金を贈ることが一般的ではなく、主に結婚祝いのプレゼントを贈るケースが多いのだ。
したがって、それまで国籍のちがいでほとんどぶつかることのなかった2人が、結婚文化のちがいで初めて悩むことになった。
「アメリカには結納文化もご祝儀文化もないし、披露宴での席順もちがう。日本は職場の人たちが上座で、家族は下座になるのが一般的です。でもアメリカで披露宴といえば、『結婚する2人を祝福するための、家族のイベント』。だから家族が上座に座るんです」(ジュンさん)
最終的に2人の結婚式は、間をとっておこなわれた。席はそれぞれの文化を混ぜて配置し、お祝いもご祝儀とプレゼントを選べるようにした。
お互いの文化や価値観、選択を尊重する大切さ
「これまで付き合った女性とジュンのちがうところは、僕のことをすごく理解してくれるところ。僕というか、アメリカ人って友だちと集まることが多いんです。友だちと過ごすことがとても大事で、急に一緒に家に帰ってきたり、泊まったりすることもある。そういうことを受け入れてくれるのはありがたいと思います」(トリスタンさん)
トリスタンさんの親も、まわりの人を家に招くことが多かった。だから自宅にはよく知らない人がいたし、やがてみんな知り合いになり、深く付き合っていくようになった。そんな人たちがもし困っていたら、必ず助ける。それが彼らにとっては当然のことなのだ。
ジュンさんはトリスタンさんの友だちが自宅に来るたび、「何かもてなさなければ」と毎回気をつかっていたが、「好きにくつろいでね」と割り切れるようになってからは、過ごしやすくなったという。
入籍してから1年ほど、ジュンさんの仕事の都合で2人はアメリカで暮らしていた。ジュンさんが海外で暮らすというのなら、トリスタンさんは喜んでそれについて行く。アメリカ人にとっても、彼らにとっても、パートナーと離れて暮らすこと自体が考えられないからだ。
もし将来子どもができたら、またアメリカで暮らしたいと話す。トリスタンさんのように、自分の気持ちをきちんと主張できる人に育ってほしいという思いがあるそうだ。
これまでの「恋は国境を越える」 インタビューすべてにおいて共通していたのは、同じことだった。国がちがっても、育ってきた環境がちがっても、恋人や夫婦にとって大切なことはひとつ。お互いの文化や価値観、選択を尊重し合うことだと思う。それは国籍がちがうカップルでも、日本人同士のカップルでも、きっと同じことが言えるはずだ。
(文:鈴木梢、撮影:洞澤佐智子)
「恋は国境を越える」バックナンバー
※この記事は2018年08月30日に公開されたものです