誉め言葉じゃない? 「芯がある人」の特徴と本当の意味とは
「芯がある」を良い意味のものにするには
「芯がある」に良いも悪いも無い。というよりも、あらゆる物事に善悪なんてものは存在しないと思っている。
私たちが良し悪しと判断するのは、ただの主観でしかなく、「Aは悪」「Bが善」と断定することこそが愚の骨頂。
なので、良い意味で芯がある人になるなんて発想自体がおかしいと思うが、ここではあくまでもマジョリティから誉め言葉として「芯がある」と評されるためのポイントを3つ解説する。
(1)優柔不断をやめる
第一歩としては、取捨選択の場面において、優柔不断にならないよう試みること。
これを行うには、自分にとって何が必要か。何が不要なのかを明確にするという過程が必須だ。
人間は自分で自分を理解しているようでしていない。優柔不断をやめる=生きる上での優先順位を決める。とすれば、人生をより良くするためにもやって損はない。
(2)自分に嘘をつかない
仕事や人間関係、気がつけばそれらが不平不満の温床となっている人たちに問いたい。そこまで自分に嘘をついて生きたいのか、と。
だからといって、今すぐに仕事を辞め、友達や恋人と別れ(離れ)、何もかもを削除しろだなんて極論は言わないし、言う権利すらない。
けれど、自分に嘘をついて、そしてそれを重ねて生きることは芯を失くすどころか、心まで失くす結果となりやすい。
自分の心の声を聞いていけば、自ずと芯も太く強固なものとなっていくだろう。
(3)他人の価値観を受容する(理解できなくてもいい)
芯を欲すというのは、別の芯を持つ人を受け容れると同義ともいえる。他人を受け容れない人が、自分を受け容れてほしいと声をあげるのは甚だおかしい。
勘違いをしてほしくないのが、受容と理解は大きくことなるということ。
「あなたは私には理解できないけど、存在や意見は認める」「どうしたってわかりたくもない価値観だけど、それはあなたの自由だよね」。
自分の芯は他人から侵されないように、他人の芯もまた侵せない。芯とは、人間の不可侵領域と捉えておくのがベストだ。
私たちが強くなり続けるために
少しでも自我を表すだけで誰かが叩いてこようとするこのご時世。それでも貫きたい、ブレない芯があるならば、何があっても失ってはいけない。
なぜなら、その芯はお金や名誉に変えられないほどの価値を有しているからだ。
失敗しようが、悲劇に見舞われようが、傷つけられようが、芯があればいついかなる時でも立ち上がれる。心無い者に揶揄されようと、誰にも奪えない宝物を持っている。
それだけで、私たちはとんでもなく強くなり続けられるのだから。
(マドカ・ジャスミン)
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※この記事は2020年03月17日に公開されたものです