誉め言葉じゃない? 「芯がある人」の特徴と本当の意味とは
「芯がある」は誉め言葉だけではない場合もある理由
仮に私自身が他人を「芯がある」と評すれば、それは紛れも無く100%の誉め言葉だ。
しかし、先述した通り、一種の悪態として用いる人も多いのが現状でもある。そういった人たちは芯がある人たちのどういった点を見て、そう悪評を抱くのか。以下にまとめてみた。
(1)空気を読む気が無い
芯がある人たちは端から見れば、空気を読んでいない。……いや、読む気が無いと映ることが多い。
決定事項に対して待ったを掛けたり、細々としたチェックを入れてきたり、そこまでしなくてもいいぐらいの議論を求めたりと、彼らにとっては単なる“頑固でわがままな厄介者”に過ぎないのだ。
(2)「とりあえず」での選択が不可能
私もそうだが、何にしても「とりあえず」での選択ができない。仕事の選定やはたまた買い物など、選択を求められるありとあらゆる場面で熟考する。
自分だけで完結する際は誰にもそれを咎められないが、他人が一人でもかかわる機会においては「我が強い」と目くじらを立てられることも……。
(3)主張が一貫しすぎていて柔軟性が無い
国の性質もあって、日本人は良くも悪くも主義主張が無い人が多い。「みんなが良ければいい」といった群集心理がポジティブにはたらく場合もあるが、その逆もまた然り。
そういった状況で少しでもマジョリティとは違う主義主張を言い張れば、途端に煙たがれるなんてこともよくある話。そして、そう言い張る人に対し、世間はこう嘲笑う。「あいつは柔軟性が無い」と。
(4)そもそもこういった指摘を受け付けない
芯がある人たちはこういった指摘をされたなら、一言だけ返すだろう。
「だから、どうしたの?」と。