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PRの仕事に魅せられ……夢中で働いていたらリーダーに。吉柳さおりさんの素顔

#リーダーの素顔

ミクニシオリ

経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、「子どもの頃はどんな子だった?」「毎日どれくらい働いている?」「やっぱりタワマン住みですか?」など、素朴な疑問をぶつけます。

取材・文:ミクニシオリ
撮影:三浦晃一
編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部

経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。

そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。第2回の「リーダー」は、アジアNo.1のPR会社・株式会社ベクトルの副社長を務めながら、子会社の株式会社プラチナムも経営する、吉柳さおりさんです。

業界でも話題の経営者である吉柳さんですが、PRの仕事を始めたのは学生時代だったといいます。法学部で弁護士を目指していた吉柳さんが今、アジアNo.1のPR会社で先導を続ける理由とは……?

吉柳さおりさん
株式会社ベクトル取締役副社長・株式会社プラチナム代表取締役

大学在学中、日本のPR業界が未発展の時期に、スタートアップのPR会社「株式会社ベクトル」に出会いアルバイトとして入社し、創業に参画。2003年にベクトル取締役、2004年にはベクトルが持株会社に移行した際、PR事業会社プラチナムを設立し代表取締役に就任。2015年にベクトル取締役副社長に就任。

ベクトルはPR業界として後発のスタートアップであったが、仲間とともに市場開拓をし、2010年台初頭に日本NO.1,2020年にアジアNO.1のPR会社に成長。

持っていたのは「リーダーシップ」と「ストイックさ」という才能

Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?

自分では、もしかしたらちょっと変わった子だったのかもな、という程度に記憶しています。勉強に対してはストイックで、要領がいい方だったかも。

でも一つだけ、今の自分を予見するような出来事があったのを覚えています。公立の小学校に通っていましたが、たまたまその時の担任の先生の方針で、クラスのちょっと不良っぽい男の子5人の面倒を見るように言われていました。リーダー役をやることに関しては、当時から、周りの人からは得意に見えたのかもしれません。

Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?

実は、グループでリーダーシップを取っていた一方で、公立の小学校で先生に「あなたは私立の中学校に進学した方がいい」とも言われていました。先生も、私が振り返ると自覚しているように、周りの子とは違う変わった子と思っていじめを心配されたみたいです(笑)。

先生に私立中学を勧められてから塾に通い始め、1カ月間通って進学校に合格しました。3年は塾に通うのが普通だったみたいで、塾の先生には絶対受からないと言い切られていたのですが受かって衝撃を与えていました(笑)。でもその1カ月は猛勉強。毎日16時間は勉強していたので、小さい頃からかなりストイックな性格でしたね。

学生時代は部活動に熱中していて、中学ではバスケット、高校では陸上の中長距離走を選びました。運動以外だと4歳からピアノを続けていたのと、絵を描くことが好きでよく絵のコンテストなどで受賞もしていました。

勉強はテストの直前に集中してやるというやり方で、学校で禁止されているカラオケに行って謹慎になったりしたので、高校の先生にも成績はいいけどちょっとやっかいものと思われていたかもしれません(笑)。

Q.3 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?

弁護士を目指して法学部に進みましたが、法律を勉強していく中で、弁護士は職業として自分にむいてないんじゃないかと思いました。その直後に、ベクトルに出会いました。

当時は創業期で、大阪で設立したベクトルが東京に進出した直後で、いよいよPR事業を開始するというタイミングでした。創業とPRという仕事の二つに興味を持ちフルコミットを決意しました。2年生までに単位を取りだめして、後半はほとんど社会人のような生活を送っていました。

Q.4 学生時代はどんなことをがんばっていましたか?

勉強もちゃんとして、友達も沢山いて遊んでいましたが、後半はとにかく仕事をしていた思い出しかないです。大学では早い段階で単位をひととおり取り切ってしまって、4年生の頃には週一回のゼミのみだったので、その分仕事に没頭できたんです。

みんなが学校で授業を受ける中で、私は授業が終わったらそそくさと仕事のアポ先に出ていったので、友人たちは変だなと思っていたと思います(笑)。

PRに感じたやりがいと、自然と座った経営者の椅子と

Q.5 なぜリーダー職を目指したのですか?

取締役になったのは、最初からいた創業メンバーの中で業績がいい人がなったぐらいにしか自分では思っていません。PRの経験者も、起業の経験者もいない中で市場を作り上げていくことに必死でしたが、がむしゃらに働いていたら、経営者になっちゃったんですよね(笑)。

Q.6 創業してから一番うれしかったことはなんですか?

会社の成長に関してはかなり長期的に捉えているので、一番を決めるのは難しいですね。まだまだ成長過程の会社ですが、その成長を感じる瞬間にはうれしさを感じることもあります。社員が成長したなあと感じるのも嬉しいことのひとつです。

会社の成長を喜びとして感じるのは地味でロングタームなのですが、分かりやすい喜びだと、自分の手で仕掛けて、世の中に広がっていく商品やサービスを見ては、日々働きがいを感じていました。人生を通して考えると、その時の気持ちや今の会社の成長を通過してきたということがうれしいですね。

Q.7 創業してから一番大変だったことはなんですか?

創業とか経営は、ずっと成長していく上で、大変なことが常に待ち構えているので、一番というのはないです。

強いて言えば、プロ経営者や大企業でビジネスを成功させてきた人など、プロの集団がスタートアップ企業を作るというパターンは今はよくありますが、私たちは起業も業界も未経験の学生集団から始まっているので、右も左も分からなくてもひたすら行動し、模索していた時は大変でした。

でも、振り返ると大変だったときは無我夢中で楽しかった時期でもあります(笑)。

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