お節介とは? お節介を焼く人の特徴・心理と対処法
お節介の意味とは? お節介な人の特徴を心理カウンセラーの笹氣健治さんが解説。苦手に感じた時のケース別対処法や、お節介な性格の直し方を紹介します。
困っている人を助けたり、後輩の仕事を手伝ってあげたり。誰かの「お世話」は、誰もが普通にやっていることです。
しかし、それも度が過ぎると「お節介」となって嫌がられます。では、この“お世話とお節介の差”はいったいどこにあるのでしょうか?
お節介を働く人の心理や、お節介な人にまとわりつかれたときにはどうすればいいのかなど、付き合い方について考えてみたいと思います。
そもそもお節介とは?
そもそもお節介とはどんな状態を指すのか、言葉の意味から考えていきましょう。
お節介の意味
「お節介」を広辞苑で引くと、「出しゃばって余計な世話を焼くこと」とあります。
「出しゃばる」とは、当人とは関係ない事柄に対して、求められていないのに口や手を出す行為のこと。
しかもそれが「余計」、つまり、度を越していたり、そもそも不要だったりする。
こうやって言葉の意味を詳しく考えてみると、「お節介」は迷惑以外の何ものでもないことが改めて理解できます。
とはいえ、お節介な当人にしてみれば、「私はお世話をしているだけ」という言い分があるかもしれません。
でしゃばりとはどんな人なのか、コラムニストのぱぴこさんが分析・解説します。
お世話とお節介の違い
では、「お節介」と「お世話」はどこが違うのでしょうか?
お節介とお世話の大きな違いは、やはり「求められているかどうか」だと言えるでしょう。
助けてほしいと思っているときに助けてくれればお世話であり、「自分ひとりでもできる」「自分ひとりでやりたい」と思っているときに介入されるとお節介となります。
マジシャン兼催眠心理療法士の浅田悠介さんが女性の世話を焼きたがる男性の心理を解説します。
お節介例1:やり方や考え方の押しつけ
また、「やり方や考え方の押しつけ」もお節介です。
困っていることを解決するためのひとつの方法として提案されるのではなく、「こう考えるべき」「こうしなければならない」といった感じで、半強制的に指示するかのごとく関わってくる場合もお節介といえるでしょう。
お節介例2:「困っている人を助ける自分は良い人」という考え
そして、もうひとつ決定的な違いといえるのが「本当に相手のことを思っているかどうか」です。
お節介な人は「困っている人を助けてあげたい」という気持ちもあるにはあるのですが、実は、「困っている人を助ける自分は良い人だ」という自己満足を得ようとしているのです。「純粋に私のためを思っていろいろ言ってくれているんだな」と思えれば、行き過ぎた介入であっても、それほどウザいと思うことにはならないものです。
された側が善意の押しつけだと感じるほど、お節介は嫌なものになります。
つまり、「相手のためではなく自分のためにやっている」のであれば、それはお節介ということになってしまうのです。
お節介な人の特徴5つ
困りごとを手伝ったり、「こうするといいよ」と助言したり、よかれと思ってやってあげたお世話が、たまたまお節介になってしまうことは誰にでもありえる話です。
問題なのは、“いつもいつもお節介になっている人”です。
そういう人は、自分ではお節介と思われていることにほとんど気づいていません。むしろ「私は良いことをしてあげている」と思っています。中には「私がお世話をしてあげないと、この人はうまくやっていけない」と思って援助し続ける人もいます。まるで過保護で子離れできない親のようです。
こういった過剰にお節介な人が、あなたの周りにもいませんか? 次のような特徴に当てはまる人がいたとしたら、まさにこのタイプといえるでしょう。
(1)何事にも首を突っ込む
まるで「お節介が生きがい」のようになっていて、常にお世話できる相手を探しています。
職場に新人が入ってくればさり気なく近づいていく。誰かが何か困っているのを見ると自分の仕事を後回しにしてでも声をかける。他人がトラブルに巻き込まれたとなると、本来は関係ないはずなのに、なぜか首を突っ込んできて場を仕切り始めてしまう。
一見すると、とても親切な人なのですが、よく知る人は「ああ、また始まった」とうんざり顔になります。
(2)自分の手柄だと自慢する
手伝ってあげた相手がうまくできたとき、普通はその人の成功・成長を喜ぶものですが、お節介の人は、自分のおかげでうまくいったことを喜びます。
「あの新人もずいぶん成長したね」と周りの人たちが話していると、「私がいろいろ指導したからよ」と自慢げに語り出します。
自分の手助けによって誰かがうまくいくと、自分が評価された気になって嬉しくなるのです。
(3)自分のやり方を押しつける
人に何かを教える際に、自分のやり方や考え方を押しつけるのも特徴のひとつです。
押しつけられた側がふと疑問に思って、「ほかの人から違うことを言われました」「マニュアルではこうなっています」「ネットで調べたらこう書いてありました」と主張しても、「こっちのほうが絶対にいいから」と譲りません。
どうしてそんなに自信満々なのかわからないのですが、「私の考え方・やり方が絶対に正しい」と信じて疑わないのです。
(4)やんわりとした断りが通じない
相手が「もう私、ひとりでもできますから」と言ったとしても、「遠慮しなくていいよ」とお節介をやめようとしません。あるいは、もうやめてもらいたいと思って「私もそこそこできるようになりましたので」と言っても、「あなたは、まだまだだから」と否定してきます。
本人は相手のためにと思ってお世話してあげているのですが、かえって相手をいつまでも独り立ちさせないことに気づいていないのです。
(5)他人を頼れない
他人のサポートは進んでする一方、自分がサポートされることは居心地が悪く感じるので、他人を頼ることができません。
人との付き合いにおいて、お互いに助けたり助けられたりといった対等の関係を作ることが苦手なのです。そのため、心を許せる友達が一向にできず、常に心のどこかで不安や寂しさを抱えています。
親切心でやったことが、他人にとって迷惑だと思われている可能性があります。今回は10の質問から、あなたの「お節介度」を診断します。
お節介を焼く心理とは?
お節介な人が、なぜ常に誰かの世話を焼こうとするのかというと、世話を焼くことで“自分の存在意義を確認するため”です。
誰かの役に立つことで、自分の心の中にある不安や寂しさを埋めようとしているのです。これは子離れできない親の心理とよく似ています。そういう親は「この子には私がいないとダメ」と言いながら、実際のところは「私にはこの子がいないとダメ」なのです。
「世話型依存」の可能性
このような心理状態のことを、心理学では「世話型依存」と呼んでいます。
依存とは、自分が安心や満足を得るために常に何かにしがみつくことですが、世話型依存の場合、しがみつく対象は「世話をする相手」です。その対象にしがみつき続けるため、献身的に世話をし、ひとり立ちして離れていくことのないように支配や束縛をしようとします。
必要とされたいから世話を焼く
世話型依存の人が求めているのは、「自分は必要とされている」「自分は役に立つ存在である」という確信です。裏を返せば、「自分は誰にも必要とされない人間なのではないか」「自分は生きている意味があるのだろうか」といった恐れや不安がいつも心のどこかにあって、それゆえに自分の存在意義を見出そうとして常に誰かの世話をしようとします。
人は誰しも多かれ少なかれ自分の存在意義について不安を感じながら生きているものです。その不安を払拭する手段を、他人へのお世話に求めているのがお節介な人なのです。
誰かに必要とされたいと思う人間の心理を、化粧心理学者の平松隆円さんが解説します。
ケース別・お節介な人の対処法
もしお節介な人に目をつけられてしまったら、いったいどうすればいいでしょうか?
うかつなことを言うとかえって厄介なことになりかねません。お節介な人のかわし方は非常に難しいのですが、ケース別に対応例を紹介しますので参考にしてください。
ケース1:余計なアドバイスをされる時
「ここはこうしたほうがいいよ」「あれはもうやった?」「そういうときは○○すべきよ」といったように、何かにつけて口出ししてくるケース。何度も何度も言われてうんざりするかもしれませんが、気持ちをぐっとおさえて適当に受け流すのがベターです。
「いつもアドバイスありがとうございます!」と、表面上は素直に聞いているように見せておいて、実際は自分の考える通りにやればいいのです。
言ったほうも本当にその通りにやったかどうかまではなかなかチェックしないもの。もしチェックされそうな事案があれば、それだけは言われた通りにやっておくといいでしょう。
真面目に相手をしようとするからストレスになります。「また雨が降ってきた」くらいの気楽な気持ちで受け流すことをめざしましょう。
ケース2:一挙手一投足を見られている時
まるで試験監督のようにじーっと観察されていて、もし何かで困った顔をしようものなら「どうしたの?」とパッと飛んでくる。「ストーカーか!」「どれだけヒマなの?」とツッコミたくもなりますが、それなら実際にツッコミを入れてみましょう。
ただし、心の中だけで、です。
表面上は適当に合わせて、心の中で思いっきりツッコミを入れるのです。ツッコミがうまくなりすぎて漫才師にスカウトされたらどうしよう、など「我ながらバカなことを考えるなあ」と思えたらしめたものです。
ストレスは笑いで緩和されます。
嫌だなあと暗い気持ちになったときこそ、鼻でフッと自分でも笑ってしまうような冗談めいたことを考えるように意識してみてください。きっと気分が軽くなるはずです。
ケース3:ネチネチ指摘された時
「また同じミスをしたの?」「いつまで時間かかっているの?」「どんくさいわね」といったような批判的なことを言って頻繁に絡んで来るケースです。
このときもお節介な人への基本対応である「相手にしない」ことを念頭に対処しましょう。
表面上は「申し訳ありません」「すみません」「今後は気をつけます」と当たり障りのないことを言ってその場をしのぎます。
一番大切なのは自分の心のケアです。
批判的なことを言われると、多くの人は自己否定に走ります。「なんて自分はダメな人間なんだろう」と相手の批判を真に受けてしまうのです。
もちろん反省は必要ですが、あまりクヨクヨして引きずるのはよくありません。
人間は誰もがミスをするものです。次回からは気をつければいいだけです。「誰だってミスをする」「慣れれば、みんなのようにもっと早くできるようになる」といった言葉を心の中で何度も唱えて、早く気持ちを切り替えるようにしましょう。
指摘したがりな人の心理を、心理カウンセラーの高見綾さんが解説します。
ケース4:なんでも代わりにやってくれる時
仕事を後輩に任せず自分で処理してしまうお節介な先輩。「自分でやったほうが早くて確実だから」と思っているのかもしれません。
そんなにやりたいんだったら、思う存分やってもらいましょう。こちらはかえって楽になるだけで、困ることはあまりありません。
ただし、ひとつだけ困る瞬間があるとすれば、その先輩がいなくなって自分がやらなければならなくなったときです。やらせてもらえなかったために、その仕事のやり方がわからず、いざ自分でやろうとしたら苦労する可能性があります。
でも、そのときはそのときです。ほかの誰かに聞けば、きっとなんとかなるでしょう。そう考えれば、相手のお節介な態度もそんなに気にならなくなるはずです。
ケース5:職場の上司や先輩がプライベートに踏み込んで来る時
職場の上司や先輩から、仕事とは関係ないプライベートなことにまで踏み込まれてお節介に思う人もいるでしょう。
「連休は帰省するの?」「休日は何をしてるの?」「お付き合いしている人はいるの?」など、仕事とは全く関係ないことを、友人でも何でもない人からズケズケと質問されると、「あなたには関係ないでしょう?」と思わず突き放したくなるかもしません。
とはいえ、きっぱり拒絶するような対応では角が立ってしまいます。
こういう時の1つの方法として、仕事に関する質問で切り返すという手があります。
上司「連休は帰省するの?」
あなた「(スルーして)A社の件は、いつまでに対応すればよろしいですか?」
相手としても、仕事の質問をされたら答えざるを得ないので、そこでプライベートの話題は強制終了されることになります。
これを繰り返していけば、そのうちプライベートな質問はされなくなるでしょう。
ケース6:恋愛でお節介なアシストをされる時
気になる人がいて、それを知っている友達や同僚が何かとアシストしようとしてくるのも、やめてほしいお節介です。
特に、まだそこまで本気ではなく、様子見の状態であるなら、なおさら今のところはそっとしておいてほしいもの。むしろ、下手なお節介のせいで、発展する可能性のあった恋愛が消滅してしまったら、泣くに泣けません。
このように、どうしてもやめてほしいお節介の場合、奇策として、泣くお芝居をしてみるのもいいかもしれません。
「本当に迷惑なの。私のことは放っておいてほしいのよ」と涙ながらに訴えるような演技をするのです。
それを見た相手は、元々あなたを困らせたいわけではないはずなので、「そんなに嫌ならやらないわ」と、お節介をやめてくれる可能性があります。
女性たちの「正直迷惑だった友達の恋愛アシスト」をアンケート調査しました。
自分を直すには? お節介な性格の改善方法
ここまで、周囲の人がお節介だった場合について考えてきましたが、反対に、自分がお節介な性格かもしれないと思った場合、どうやって改めればいいのかも併せて考えてみたいと思います。
一般に、お節介をやめる方法として、次のようなことが言われています。
・他人のことは気にしないようにする
・何か言いたくなっても我慢する
・ウザがられていないかどうか相手の態度や表情を観察する
・相手のためではなく、自己満足でやっていることを自戒する
・自分の意見やアドバイスが正しいとは限らないと肝に銘じる
しかし残念ながら、実際の場面では、これらはあまり役に立ちません。なぜなら、人がお節介をする時、こういったことはすっかり頭から抜け落ちているからです。
ダイエットをしようとして食事制限していたのに気づいたら食べている、なんてことがあると思いますが、それと同じで、自分の欲求はなかなか抑えられないのです。
今まで無意識にやってしまっていることは、やめようと思ってもなかなか難しいでしょう。
それでも、少し効果が期待できる取り組みを3つご紹介したいと思います。
(1)お節介な自分を肯定する
先ほど紹介した一般的な「お節介をやめる方法」は、いずれもお節介する自分はダメだと否定的にとらえています。
人は否定されると、反発心が湧いてきて素直になれず、かえって逆効果になることがあります。
そこで、否定するのではなく、いったんお節介する自分を肯定してみましょう。
そのためにまず、「お節介をすることで私は何を得ようとしているのだろうか?」と考えてみます。
考えられるだけ考えたら、開き直るように自分の気持ちを肯定しましょう。例えば、次のような感じです。
・私は、他人にアドバイスをして優越感を得たいんだ
・私は、他人にアドバイスをして自分の有能さを示したいんだ
・私は、他人にアドバイスをする自分を承認されたいんだ
・私は、その人が困っていることを解決してあげたいんだ
・私は、その人に失敗してほしくないんだ
・私は、その人にうまくやってほしいんだ
このようにして自分の気持ちを改めて見直してみると、「利己的な部分も確かにあるが、他人のことを思いやる善意の気持ちも確実にあるのだ」という点に気づけるのではないかと思います。
でも、残念ながら、今はその善意の気持ちが少し空回りして、相手にとってプラスの態度にはなっていないと気づくこともできるかもしれません。
すると、今足りないのは、相手にプラスとなるような態度だという点にも気づけるでしょう。
つまり、自分が持っている善意の気持ちを生かしながら、相手にプラスとなる態度を身につければ良いだけなのです。
このようにして、自分をいったん肯定してから、もう一度、一般的な「お節介をやめる方法」を見てみると、今度は、すとんと腹に落ちるのではないかと思います。
(2)お節介ではなくお世話をする
お節介をやめる簡単な方法として、お節介をお世話に変えてしまう、という手があります。
始めの部分で説明した通り、求められてするのが「お世話」、求められていないのにするのが「お節介」ですので、お節介をお世話に変えるには、相手から求めてもらうようにすればいいわけです。
どうすればいいかと言うと、ひとこと相手に確認を取ればいいだけです。
「アドバイスしていいですか?」「お手伝いしましょうか?」といったように確認して、相手が「ぜひお願いします」と言われればやってあげて、「いいえ結構です」と言われればやらない。これでお節介はなくなります。
ただし、断りづらい雰囲気を醸し出さないように注意する必要があります。
私はやってもやらなくてもどちらでもいいんだけどね、というスタンスで相手に聞けば、たいていは正直に要・不要の回答をしてくれます。
常にこのような態度を取っていると、やがてこちらから聞かなくても、相手の方から「アドバイスお願いできますか?」「手伝ってほしいことがあるんですけど」と声をかけられるようになっていくこともあり得ます。
(3)自分がやるべきことを見つける
お節介をするのは、基本的に、暇な時です。
自分の仕事が立て込んでいる時は、他人のことを構っている余裕はありませんので、必然的にお節介はしなくなります。
つまり、忙しくなれば、お節介もしなくなるはずです。
そこで、お節介をやめるには、常に忙しい状況に自分の身を置くのも1つの方法です。
そのためにも、仕事では始業から終業までの間、目いっぱい作業を入れてしまいましょう。
手が空いたらすぐ「何か仕事はありませんか?」と上司に聞きに行く。社内の関係部門に「何かお手伝いすることはありませんか?」と顔を出す。
このように積極的に自ら動いて仕事をもらうようにしていると、社内での評価も上がるかもしれませんし、毎日が充実してきますので、お節介もやめられて一石二鳥となります。
「他人に迷惑に思われながらお節介を続けて暇な日々を過ごすか、お節介をやめて積極的に充実した日々を過ごすか、決めるのは自分」
このように考えたら、とりあえずお節介はやめようという気にはなると思いますが、いかがでしょうか?
仕事でやりたいことを見つけるコツを、心理カウンセラーの高見綾さんが解説します。
お節介な人のことで悩む必要はない!
お節介な人が身近にいる一番の問題は、こちらがストレスを抱えてしまうことです。
どんな意図があったとしても、その人なりによかれと思ってやっていることなので、その善意だけ受け止め、自分に役立つ部分は活用し、そうでない部分はスルーして、ストレスをためこまないようにしましょう。一生お付き合いするわけでもないでしょうから、うまく受け流せばいいだけのことです。
また、自分がお節介かもしれないと悩んだ時は、客観視が重要です。なぜお節介をしたくなるのか、その気持ちと向き合い、相手にとっても心地良い「お世話」に変えていけるといいですね。
(笹氣健治)
※この記事は2020年01月13日に公開されたものです