なぜ、私たちはクズな男を好きになってしまうのか。不毛な恋だと分かっていても、諦めることができないのか。大不倫時代の今、結婚して好きな人から永遠に愛されたいと願うことは、バカな考えなのか。
恋愛に関するこういった悩みについて、考えても答えなど出ないと思っている人は多いだろう。世の中に有り余るほど生まれていく恋愛本を読んでも、根本的に解決することはない。自分を大切にしよう、安売りするななどと説かれたところで「それができないから困っているのに」と嘆く女子たちを、今まで何人見てきたことだろうか。
実は、私たちがその苦悩から逃れることができていないのは、なぜ自分が恋愛で泥沼にハマっているのか、人を愛するということがなんなのかを、理解できていないからなのではないだろうか。本当に救われたいと思うならーー私たちは恋愛を、哲学という学問を通して学ぶべきなのではないだろうか。
【この本を読んで分かること】
・哲学から見る、恋愛で「幸せになれない人」のワケ
・人間は「浮気・不倫をする生き物」?
・人を愛すること、愛されることに隠された「私たちの存在意義」
■哲学という学問で、恋愛を体系的に理解する
『恋愛の哲学』(戸谷洋志著・晶文社)は、恋愛本……というよりは哲学の学術書に近い本だ。だけど、その中ではとりわけ読みやすい。著者である戸谷氏はまず、私たちが恋愛について考え直すべき理由を説いている。ここでいう恋愛の再考とは、自分の恋愛観を振り返ることや、自分の理想の異性のタイプや性格について改めて言語化するとか、そういうことではない。
今、世の中で影響力を持っている、恋愛から発展して結婚に至り生涯の愛を誓う「ロマンティック・ラブ」な恋愛スタイルは、歴史的に見てもかなり新しいものだという。世界においても近代になって広まった考え方であり、日本においては高度経済成長期に浸透したというのだから、まだ数十年の歴史しかない。
にも関わらず、私たちの中には「ロマンティック・ラブ以外の恋愛スタイルはおかしい」と考えている人もいるのではないかと思う。愛し合っているのに結婚しないなんて、おかしい。生涯の愛を誓ったというのに、他の人を愛するなんて正気の沙汰じゃない、などなどだ。
しかし戸谷氏は「ロマンティック・ラブは多様な恋愛の一つの選択肢でしかないはずだ」とも語る。恋愛に、好きな人と恋愛し、結婚する以外の選択肢があるとすれば、それはどんなものなのかを考えながら、恋愛を多様で豊かな関係性として理解することが『恋愛の哲学』が目指す目標だ。
「何を言ってんのか分かんないよ」と思った人もいるかもしれない。しかし、哲学とはそういう学問だ。人間はなぜ生まれたのか、私という人間はなんなのか……自分や世界の存在に根本的な疑問を持ち、自分なりの問いを立てながら、考えを突き詰めていくのが、哲学だ。
しかしこの本を読むと、世界史でしか見たことがないような超有名な哲学者たちも、恋愛について掘り下げて考えてきたことを知ることができる。恋愛というのは、私たちの存在理由、生きる意味に繋がるほど重要なものでもあるということだ。
■「なぜ恋人が欲しいか」すら、言語化できない私たち
それなのに、私たちは「なぜ恋愛するのか」を、誰にも習わない。学校で教えてもらえないので、ドラマや漫画、映画などフィクションのコンテンツを通して、自学しながら恋愛していかなければならない。
学生時代、周囲の友人に彼氏が出来はじめてから「自分も彼氏が欲しいな」と考えたことがある人は多いことだろう。しかしあの頃、誰かを愛したい、愛されたいとまで考えていた人は、あまり多くないのではないだろうか。
しかし大人になるにつれて、より大きな「愛」を求めて彷徨うことになる人もいるだろう。しかしそれが、世の中に溢れるロマンティック・ラブ的なコンテンツの影響によるものなのか、自分が誰かを愛したいのか、愛されたいのか、恋愛に何を求めているかを言語化できる人はほとんどいない。
自分が求めているものが何なのか、そのことが分からないのに恋愛を求めてしまう私たち。本を読んだ後には「だから私はつらい恋愛をしていたのだ」と、そう思えるはずだ。
恋愛という大きすぎるテーマについて一から考えるのはとても大変なことなので、本の中では7人の哲学者と、恋愛に関する主張がまとめられている。“私たちはなぜ人を愛するのか”を定義したプラトン、“なぜ恋愛や好きな人に執着してしまうのか”について考えたデカルト、“なぜ女性がツラい恋愛を正当化してしまうのか”を主張したボーヴォワール。
どの哲学者も、人間という生物の特徴、陥ってしまう過ちについて掘り下げて考え、恋愛において相手と幸せな関係を築く方法について考えている。
まずここで、自分の恋愛はどの哲学者の考えに近いかを知ることもできる。哲学に明確な答えはないが、それぞれに「こうすれば幸せになれるはずだ」という一つの結論をまとめてくれているので、実用書として役に立つ側面も大きい。
しかし、やはりこの本は「実用」では終わらない。恋愛テクニックのようなものは、本の中にもインターネットの海にも、腐るほど溢れている。『恋愛の哲学』が教えてくれる本当に大切なことは、好きな人を落とす方法や、クズとの縁の立ち切り方ではない。
■恋愛で幸せになることを諦めたくないと、本気で思う人へ
実用という意味では、この本を通して「自分はなぜ人を愛するのか、愛されたいと思うのか」が分かった時に、自然と行動に表れるのかもしれない。
私たちが恋愛本を読んでも、実際に行動に移すことができないのは、本質を理解していないからだ。なぜ自分が恋愛したいのか、恋愛に何を求めているのかが分からないのに、誰かの行動だけをマネしてみようという気にならないからだ。
基本的に誰しも、分からないものは怖いものだ。下手に行動すれば、好きな人との関係を失い、自分はひとりぼっちになってしまうだけかもしれない。実現可能性や、目指すべき未来が見えないから、何も行動することができない。
哲学とは、そのスキマを埋めてくれる学問だった。普段、私たちはツラい恋愛をしていたとしても、そのことを「自分はミスをしている」と認めることができなかったり、正当化してしまったりする。その上、自分が自分を正当化しているということにすら気づくことができないから、その状態を維持してしまう時がある。
なんなら本を読んだ後は、人がなぜ不倫してしまうのかも、理解できるようになる。不倫を許せるかどうかという問題以前に、生物的な人間は、永遠の愛を持つことができないのかもしれないということも分かる。
だけど、哲学者たちは諦めない。恋愛を通じて、幸せな人間関係を得るためにどうしたらいいのかを考え続けてくれた。哲学は学問なので、彼らそれぞれの意見には一定の合理性があり、筋が通っている。
恋愛という、終わりも途方も無いテーマを、一歩一歩コマを進めるかのように考えてくれた哲学者たち。だからこそ、彼らの意見には納得性を感じることができる。
この本をどんな人に勧めたいか……そう聞かれたら「今の自分から、本気で変わりたいと思っている人」と答える。一般的な恋愛本と比べて読みやすいとは言えないが、納得感はピカイチだ。本気で変わりたいのに、今まで行動に移せなかった人。自分の人生に「幸せな恋愛」は不可避だと思っている人。ぜひ、本を手に取ってみてほしい。
(ミクニシオリ)