
斉藤和義以外の全男に捧ぐ。『歌うたいのバラッド』で“愛してる”と伝えるのは危険だ #ラブソングのB面
聴く人、聴く環境によって「ラブソング」の捉え方はさまざま。そんなラブソングの裏側にある少し甘酸っぱいストーリーを毎回異なるライターがご紹介するこの連載。今回はシンガーソングライターの関取花さんに「ラブソングのB面」を語っていただきます。
私の思い出深いラブソングといえば、斉藤和義さんの『歌うたいのバラッド』である。
斉藤和義さんの楽曲にはじめて夢中になったのは高校生のとき、テレビから流れてきたCMソングがきっかけだった。
「この人のほかの曲をもっと聴いてみたい!」と思った私は、すぐにCDレンタルショップへ行き、過去の作品をまとめ借りした。それからというもの、通学中毎日のように欠かさず聴いていた。
“愛してる”は好きな男に言われたい
高校3年生のとき、とある授業の中で個人発表をする機会があった。自分はどういう人間で、どんなことを考えているのかを自由な方法で表現していいということだったので、当時軽音楽部に所属していた私は弾き語りをすることに決めた。
何の曲にするか迷ったが、一番好きな歌を歌おうと思ったので、家でこっそりコピーしていた『歌うたいのバラッド』を歌うことにした。
高校生活の締めくくりの発表ということだったので、サビのラストで“愛してる”という歌詞を歌うときは大切な友人たちを思いながら歌った。
すると、拙い演奏ではあったが想いが伝わったのか、それを聴いていた友人が何人も涙を流してくれた。
その中でも特に仲のよかったひとりが、発表終了後に目を真っ赤にしながら駆け寄ってきてくれた。彼女のそんな顔を見るのは初めてだったので私もすごく嬉しくて、思わず泣きそうになってしまった。
「愛する友よ、私も同じ気持ちだよ。卒業してもずっと友だちでいようね」そんなことを思いながらハグしようとしたそのときである。
「いや、マジで愛してるはヤバい。超言われたい」
……おいおい。さっき私はちゃんと言ったぞ。そして、それを聴いてあなた泣いた、OK?
頭の上にはてなマークを浮かべている私をよそに、テンションの上がった友人は喋り続けた。
「今好きな人に歌われてると思ったらマジで泣いた」
「男の人に歌われてたら、たぶん号泣通り越して嗚咽してた」
「でもとりあえず夢をありがとう」
そう、まさかの関取のひとり相撲だったというわけである。
でも考えてみればこの曲はラブソングなのだから、彼女の受け取り方は正しい。私が勝手に自分の想いと重ね合わせて熱唱していただけだ。
何より、たしかに私も愛してるとか超言われたい。好きな人にこの曲を歌われたらマジでヤバい。
「え、超わかる、わかるんですけどー!」というわけで、結果的に予想よりはるかに強い力で私と友人は抱きしめ合ったのだった。
でも、『歌うたいのバラッド』は本家本元がいい
それ以来、私は気になる人ができたらとりあえず想像をするようになった。その人が『歌うたいのバラッド』を歌っているところを。
しかし私の場合原曲が好きすぎるので、どんなに好きな人でもそれを超える想像をできた試しがない。逆に、これだけはやめてほしいというのなら次々と出てくるのだが。
その中でも一番やめてほしいのが、よくある過度なオリジナルアレンジである。特に、サビ前に無駄にためるタイプのあれ。
今一度原曲を聴いていただければわかってもらえると思うのだが、あっさりとサビに入るところがこの曲のグッとくるポイントでもある。
それをサビ前のBメロで「いつもなら照れくさくて言えない〜〜〜〜(無駄伸ばし)ことも〜〜〜〜(無駄沈黙)」みたいな、いかにも狙っているアレンジをドヤ顔でされたりしたら本当にもう、無理、ダメ、さようなら。
え、実際に誰かに歌ってもらったことですか? ないですよ。全部想像ですよ。でもすごくイヤ。
とにかく、この曲はそういうんじゃないんですよ。あっさり無骨な感じがいいんですよ。ミュージックビデオも飲み屋街の裏道みたいなところでひっそりと歌っている感じが絶妙なんですよ。まあ言ってしまえば斉藤和義さんが歌うから最高なんですよ。
ちなみに、その昔まだ恋に恋をしていたころ、お付き合いしていた人に『歌うたいのバラッド』を歌ってほしいと一度だけお願いしたことがある。今考えるとただの勇者。
まあ、歌ってもらうどころか秒で「俺は斉藤和義じゃない」と一刀両断されましたけどね。
(文:関取花、イラスト:オザキエミ)
※この記事は2019年11月12日に公開されたものです