悪女について。人々を魅了する「悪女」の特徴
女装歴23年目、 44歳になる私のまわりにはそこそこキツめのオネエが集まります。今では女装家やオネエというすわりのいい言葉がありますが、当時はニューハーフの姐さんたちからは中途半端に思われ、女装癖、よくてドラァグクイーンという括りです。海のものとも山のものともよくわからないけど、楽しいからやる。無頼です。
そんな無頼なオネエたちは時々集まってはああでもない、こうでもないという会合を開きます。その会合は女子会という生ぬるいワードでは説明がつきません。私たちの業界ではそういった会合を魔女会議と呼びます。
その魔女会議でも頻繁に話題になるのは悪女についてです。
街(二丁目)に出没した悪女情報や、週刊誌やワイドショーに登場する悪女情報などを交換し、日々無駄に悪女アンテナを磨き続けています。
今までよく話題に登場してきた悪女は、リアルなものだとアナタハンの女王事件の比嘉和子、松山ホステス殺害事件の福田和子、首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗など。
映像作品だと『疑惑』という映画の鬼塚球磨子や『Wの悲劇』の羽鳥翔などもう何万回語り尽くしたでしょうか。『黒い家』の菰田幸子もトリッキーな悪女として夏になると話題に上がります。直近ですと『絶対正義』というドラマの悪女がよく話題にあがりました。
世の中には悪い男も悪い女と同じくらいたくさんいます。悪い男は一般的には悪人と呼ばれていますが、あまり私たちの琴線に触れてきません。
私のまわりのオネエは本来男好きなのに、何故悪い男ではなく悪い女に惹かれるのでしょうか?
悪女とは?
私たちアラフォー世代以上の人間は無意識に、女性はか弱く繊細で守るべき存在であるという考えがありました。
そして女性自身も守られ、愛されるために従順でやさしくあれという社会からの無言の要請というのも感じながら育ってきました。
悪女とは「らしくあれ」の圧力に屈しない女性
だから若いころの私たちの好きな悪女にはそういった社会の同調圧力に屈せず自分の思いを貫き通す強さや、ときには古典的な男女の差異や思い込みを利用した逆転の発想と行動力がありました。
私たち世代のオネエの不思議なまでの悪女に対するシンパシーは私たちも逆の立場で「男は男らしくあれ」とか「男の子なのにこういう言動はしてはいけない」という社会的要請が強かった時代に育ち、それらに抵抗し、ときには服従させられ、闘ってきた歴史があるからだと思います。
時代とともに変化する悪女のあり方
もちろんこれは古い考え方で昭和から平成に時代は移り、次の時代に行くにつれ世の中はどんどんジェンダーレス、ジェンダーフリーに向かっています。
また最近ではコンプライアンス重視やSNS全盛時代になり、表面的にはみんな善い人ぶった時代になりました。そういったなかで段々と悪女もアップデートされて変わっていきました。何かする前に叩かれて潰されないよう、一見従順で善人の顔をするようになったのです。
現代では悪女が表面的には生まれにくい時代になったといえるかもしれません。
そんな状況下で、悪女も昔よりも潜在化・巧妙化して時代に適応しています。
時代が変わったからこそ、本音がなかなかいえない今を生きる悪女たちはさらに需要が高まっていると私は考えます。
悪女の条件
悪女たちは昔も今もオネエだけに限らず男たちにも何故かモテます。
昔は男女の社会的同調圧力に対する痛快な一撃を与える役割が多かったのですが、今は綺麗ごとばかりが横行する時代に対して、正直に自分の欲望や願望を吐き出す彼女たちに翻弄されたいという一定の需要があるからです。
条件1「同調圧力に屈しない」
人間には100%善人も、100%悪人もいません。みんな少しずつ善い人ですし、みんな少しずつ悪いのです。
ただ誰もみな、人から悪人と後ろ指をさされるのはつらいし、損することも多いし、そういう教育を受けていません。だからみんな悪人と言われないように日常を過ごします。
悪女と言われるタイプの女性はそんなまわりの声に気圧されない覚悟があります。
彼女たちには、人に後ろ指をさされても自分を貫き通す強さがあります。
同調圧力に屈しない女、それが悪女です。
条件2「汚れ役を引き受ける懐の深さ」
また、最近の風潮としてみんなよい子になりたがり、汚れ役を引き受けたがる人はあまりいません。
でも、だれかが汚れ役を引き受けないと物事が進まないときがあります。
たとえば恋愛感情が薄まってきた男女関係の場合、最近ではどちらも汚れ役を引き受けたくなく、なんとなくダラダラと交際が続いている例がよく見受けられます。
どちらも自分がよい子でいたいから、汚れ役を引き受けて恋愛を清算することができないのです。悪女はその汚れ役を引き受ける懐の深さを持っています。ときには汚れ役を引き受けて物事を進める女、それが悪女です。
条件3「憂いを纏っている」
また単純に悪いだけの女は悪女ではありません。
意味なく悪いことをやる女は、私に言わせればただ意地悪なだけの女です。悪女には必ず孤独や哀しみを纏った憂いがあるのです。憂いのある女、それが悪女です。
条件4「無駄な愛嬌は振りまかない」
はしゃぐ女は虚栄心の強い女です。褒められて有頂天になったり、名声を得るために不必要な愛嬌を振りまいたりする女の手元には何も残りません。
野心を持ちほしいものをじっと見据えて行動できる女、それが悪女です。
条件5「飴とムチの振り幅を操る」
憂いだけでなく、普段のどうでもいいところでは善人で性格のよい一面も覗かせます。やさしさにも溢れていなければなりません。
飴とムチの振り幅を操る女、それが悪女です。
飴とムチを武器に男を手玉に取り、自らに依存させます。利用価値のある人間を手懐けて絶対的な味方を作り、ファムファタール(運命の人)になる女、それが悪女です。
真の悪女の特徴とは?
箇条書きにすると悪女とは
・同調圧力に屈しない女
・汚れ役を引き受けて物事を進める女
・憂いのある女
・虚栄心でなく野心を重視する女
・飴とムチの振り幅のある女
・ファムファタールになる女
私が感じる悪女の特徴は以上です。一番イメージに近いのは東野圭吾さんの『白夜行』の雪穂かなと思います。
美女は悪女をデフォルメした特徴にすぎない
意外なことに美女であるとか妖艶なスタイルであるとかはまったく出てきません。映画や物語では悪女をさらに魅力的にするために美しい女優さんを使っていますが、それは私のなかで悪女の必須条件にはなりません。
私が実際に悪女だなと思う人々も不美人がたくさんいます。
悪女に美人、不美人はほとんど関係ないのです。
なぜなら上記に書いた特徴がある悪女はそれだけで人々を魅了してしまうからです。
真の悪女は「理知的で賢い女性」
悪女は確信犯的に理知的に情緒的に私たちにアプローチをしてきます。
バカな女は悪女になれません。私が考える理知的であるというのは学校の勉強ができるということではありません。
慎み深く、周囲をよく観察し、状況を自分の頭で考え、時機を見て実行する力があることをさします。
理知的なアプローチができない浅はかな女が悪女を気取って痛い仕上がりになっていることがよくあります。悪女には準備をして行動し、反省して自らをアップデートする力が求められます。バカは悪女になれません。
あなたは悪女? それとも優しい女? 10の質問であなたの悪女度を診断します。
悪女は一日にしてならず
以上、悪女とは確固とした自分を持ち、自分の望みを実現するために周囲をよく見て、同調圧力に屈せず、ときに悪役を引受け、情けを持ち、憂いを秘めて、飴とムチを使いこなし、運命の女になれる才女です。
どうか間違えてもこの記事を読んでいるような素人のお嬢さんが安易な気持ちで目指さないでください。大やけどをして罪を犯してしまったり、人生を棒に振ったりします。
それでもなりたいというあなた、日々研鑽して悪女を目指しましょう。
悪女は生まれつきなれるものではありません。強い意志をもって生きることで悪女になれるのです。
私もおじさんで、悪女になれるかよくわかりませんが、こっそり悪女修行をしているひとりです。悪女には性別を超えて憧れさせる力があるのです。
(肉乃小路ニクヨ)
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