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30歳過ぎて留学したら、自分の「変わらない」部分と向き合えた

【特集】30歳で人生変わる?

ひらりさ

恋愛、結婚、出産、キャリア……30歳を目の前にした女性に降りかかる悩み。「30歳」ってどうして節目に感じるんだろう? 「普通の人生」を送るには、「普通の大人」になるには30歳で何か変わらなくちゃだめなの? そもそも令和の今、「普通の人生」「普通の大人」って何? 30歳を目前にした悩める女性を応援する特集です。今回は30歳になってから留学を決意したライターのひらりささんに「30代でのチャレンジ」について語ってもらいます。

ヒカリエの裏側でボロ泣きしていた30歳

夕方、近所を歩いていると、明るい声ではしゃぐ男女グループとすれ違った。

中心にいる女性はダウンの下にあざやかなピンクのタイトドレスをまとい、右手に細い紐を握りしめている。目線を上げて紐の先をみると、浮かんでいるのは、巨大な3と0。ああ、30歳の誕生日祝いの帰り道なのか、と合点がいった。

イギリスの首都、ロンドンの大学院に入学して半年。これまでにも何度か道端で、誕生日バルーンを持っている集団を見かけたのだけど、どれも「30」だった。ググったところ、30歳はこの国でも特別な一区切りらしい。

自分の30歳の誕生日はどう過ごしてたんだっけ。いっこうに思い出せない。部屋に戻ってから、ちまちまつけている五年日記の、2019年7月25日を開いた。なんと、当時好きだった相手に渋谷でディナーをごちそうしてもらったはいいものの、帰り道に険悪なムードになったらしい。ヒカリエの裏側の小さな広場で数十分「別れる・別れない」で押し問答し、私は悔し泣きしてしまった、全て台無しで最悪だ、と書いてあった。

なかなかドラマチックな出来事だ。こんなことを忘れているなんて、当時の自分と今の私は、もはや別の人間なんだろうかとすら思える。

しかし二人は、間違いなく連続している。イギリスの大学院への留学を決心したのも、30歳の私だ。

30歳で訪れた、燃え尽き症候群

かなり本気で「自分は30歳までに死ぬんだろうな」と思っていた時期があった。そこから先のビジョンが一切見えなかったからだ。

28歳くらいまでは大丈夫だった。“やらなきゃいけないこと”と“やってみたいこと”がいくつもあった。大学を無事卒業した。紆余曲折あったけどどうにか就職先を見つけた。仕事のカンが身につき、転職を経て、一人暮らしを始めつつ趣味に浪費する余裕もできた。インターネットでできたオタク友達と同人活動も始めた。あれもやりたいこれもやりたい……と毎日何かしらのアイデアがわいてきて、それを形にするのに無我夢中だった。

しかし、である。30歳が近づくと、“やらなきゃいけないこと”も“やってみたいこと”も、だんだんなくなった。

一生懸命考えれば、あるにはあるのだ。もっと給料やポジションを上げるとか、もっといろんな媒体から依頼が来るよう文章を磨くとか、結婚目指して活動するとか、ちゃんとNISA申し込むとか、思い切って家買っちゃう? とか。でもなんだか、力が入らなくなった。だんだん、毎日が同じことの繰り返し、過去の自分の再生産のように感じられてきた。退屈を逃れるために新しいことをするためのエネルギーもわかなかった。

それまで脇目もふらずに駆け抜けてきたからこそ、「でも、この先もこんなにずっとがむしゃらに生きなきゃなんないの? 60年とか70年も?」というしんどさがあった。日記に書いていたような、ずるずる続いて腐りかけている人間関係も、しんどさに拍車をかけていた。

一度リセットしたいなと思った。不器用だから、東京にいるまま一つずつ捨てるのは難しかった。浮かび上がったのが、10代のころからぼんやり憧れていた「留学」という選択肢だ。仕事にも、友達にも、住み心地のいい我が家にも未練はあった。未練はあったけど、このまま今持っているものの延長で歳を重ねたら、もしかしたら本当に消えたくなっちゃうかもしれないと思った。

会社や周囲には「さらなるステップアップのために」と伝えた。実際、現実的な目標として留学の計画を立て勉強をするうちに、前向きなキャリアアップも動機になっていたのは間違いない。それでも最初の出発点は、溺れた人間が藁をつかむような、切実なものだった。

「変わらない」ことから始まる

もちろん、怖かった。だって、老後2000万円の貯蓄が必要と喧伝されている世の中で、ここまでの貯金を放出し、積み上げてきた会社員年収をいったんゼロにしてしまうのだから。しかも、社費留学でも休職でもない。専攻はジェンダー論だから、MBAのように、転職市場でそこまで評価されるものでもない。藁をつかむどころか、すでに握っている命綱を手放すような行為だ。

イギリスの大学院の入学タイミングは10月。入学審査はその一年前からスタートし、私は2020年11月には今の大学院の合格を得ていた。無駄に時間がある分、そしてコロナ禍で情勢が不透明なため、心のなかの不安が、風船のようにどんどん膨らんでいった。マリッジブルーならぬ留学ブルーで眠れなくなり、深夜何度も目覚めるようになった。家の引き払いやビザの手続きなどを無事済ませたのが、今でも不思議なほどだ。

実際来てみてどうか? 授業は面白い。でも正直いまだに不安で、ちょっとしたことですぐ帰りたくなる。秋学期は英語がみじんも聞き取れなくて帰りたかったし、年末年始に新型コロナにかかったときも帰りたかったし、春学期は英語は聞き取れるようになったものの、歳の差や社交力のせいであんまり友達ができなくて、やっぱりたまに帰りたい。

未知の環境に身を置いたからって、人間の性格はそうそう変わらない。年をとってからはなおさらだ。30年で凝り固まった自分は、いっこうに解体できない。結局「捨ててきた」はずだった日本の人間関係に、LINEやらZoomやらで泣きつきまくっている。

何より、自分が頭の中で思っていることがそのまま伝わる状態、つまり日本語でのコミュニケーションが恋しい。さみしいから、毎日Twitterを見てしまう。令和は、留学で自分を変えるには便利すぎる。20代半ばまでに思い切って留学していたら、もっとこっちに溶け込めたのになあ……いや、私の場合は何歳で留学しようと、今と同じルートをたどっていただろうな、そういう人間だもんな。

でも、それを知るために留学して良かったんじゃないかと思う。痩せ我慢じゃなくて、本当。「外国で楽しくサバイブできる、コミュ力高い自分」の可能性がつぶれたら、自分に対しての適度な諦めが発生した。不安がわいても、それにワーッ! とならずに、「まあ私、こういうところあるよね」と受け流せる余裕というか。

そうそう、日本と違って郵便や宅配、接客などの各種サービスが本当に大雑把なので、「他人や社会に期待しすぎない」というスキルも身についた。この半年で私を変えてくれた最大の経験は、在留カードの再配達(日時指定、受け取りに本人確認が必要)を失敗されまくり、コールセンターに10回以上英語でクレームを入れまくり、それでも改善されなくて、2週間近く学生寮で待機し続けなければならなかったことかもしれない……。期待しないと、物事が思い通りに行ったときに、それを200%くらいで喜べる。今の私は、前よりちょっと楽観的な人間だ。

人間は急に変わらない。歳をとることは、可能性が狭まることでもある。でも、狭まった中でも挑戦できること、狭まった後だからこそ考えられること、削ぎ落とされた中で出会える自分もあるんだと、環境を変えてみて気づいた。留学期間は残り半年。友人各位におかれましては、引き続き泣きつかせていただくかと思いますが、もう少しがんばります。

(文・ひらりさ、イラスト・フルカワチヒロ)

※この記事は2022年03月26日に公開されたものです

ひらりさ

1989年生まれ、東京都出身。ライター・編集者。女性・お金・BLなどに関わるインタビュー記事やコラムを手掛けるほか、オタク女性4人によるサークル「劇団雌猫」のメンバーとしても活動。主な編著書に『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。

ブログ:It all depends on the liver.
Twitter:@sarirahira

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