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デリカシーのない男は空気清浄機に似ている

上田啓太

最近、部屋に空気清浄機を置きはじめた。これが便利でおもしろい。部屋の状態を常にモニタリングしているらしく、空気の汚れに反応して勝手に起動してくれる。

たとえば先日、部屋でギョーザを食べた。すると空気清浄機がブオーッと音を立てはじめる。非常に納得のいく動作である。また別の日、部屋でチューハイを飲んだ。すぐに空気清浄機が活動をはじめた。そりゃそうだろう、と思わされる。律儀に仕事をしていて感心する。

しかし問題もある。私が外をぶらついて、数時間後に戻ってくる。すると部屋に入るなり、空気清浄機がブオーッと起動するのである。

これを素直には受け入れられない。

いや、もちろん理屈ではわかる。外に出ていた自分はいろいろなにおいを付着させている。部屋の空気を汚す原因となるだろう。空気清浄機の活動が必要だ。しかし感情面では割り切れない。そんなに自分はくさいのか、と思ってしまう。心の柔らかい部分が傷つけられる感覚がある。

完全な被害妄想だ。しかし妄想は暴走する。ギョーザはにおうし、お酒もにおう。これには納得がいく自分も、おまえはにおう、おまえはくさい、とあからさまに態度で示されれば、そんなことない、絶対、そんなことない……!

そんなことないもん!

ムキになって、反論したくなる。

口調もすこし、女子になる。

この空気清浄機には、室内の空気の状態を表すメーターがついている。左端には「きれい」、右端には「よごれ」と書かれている。部屋の空気の状態によって、このメーターが左右に移動するわけである。普段は「きれい」に振れている。

しかし私の入室によって、これが「よごれ」に振り切れる。緑色の表示ランプも、すぐさまレッドに切り替わる。緊急の赤、緊迫の赤である。私の入室が大変な事態だとアピールされている。空気清浄機は、ブオーッと大げさな音を立てながら、全力を尽くして空気の清浄化に努めはじめる。

なんというか、デリカシーがない。

「よごれ」という表現のミもフタもなさも、いやだ。

しかも、これが毎回なのである。本当に、毎回なのだ。私が焼き肉を食べてきただとか、どしゃぶりのなか泥まみれで帰ってきただとか、帰宅途中に肥えだめに落ちてきただとか、そんな状況ならば納得もいく。

しかし、一時間ほど散歩して、今日は冬にしては日差しが強くて気持ちがいいと思って、うーん、なんて伸びもして、近所のコンビニでラテを飲んで、通行人の表情も心なしか楽しげに見えて、ほんわかとうれしい気持ちで帰宅したとき、こいつは「よごれ」に振り切れて、激しい音を立てながら、必死で部屋の空気を浄化しはじめる。

こんな人とは、絶対に一緒に住みたくない。

そんなふうに思ってしまう。

空気清浄機のような男と同棲したがる女は絶対にいない。確実に惨めな気持ちになる。こんな無神経な存在との同棲は地獄だ。毎日が辛すぎる。帰宅するたびに鼻をつまみながら必死で換気をはじめられる。きっとこの人は私のことを嫌いなんだろうな、と思ってしまう。私のことを平気で傷つけて、毎日のように傷つけて、そのことに気づきもしないんだな、と思ってしまう。

もちろん、なんでもかんでも嘘をついてほしいわけじゃない。だけど無神経は困る。最低限の気づかいはほしい。

たとえば、私の顔に鼻くそがついていたとする。もちろん、私はいつも清潔にしているけれど、絶対に起こらないとは断言できない。ああいうものは不意に鼻の下に出現しているものだ。そんなとき、「鼻くそ発見!」と言って、取ってくれる彼氏がいたらどうだろう?  こんな男のことを、評価できるだろうか。

彼は私の鼻くそを指先につけて、「ほら、取ってやったぜ」とうれしそうにしている。「よかったなあ、俺がいて」と頭をなでようとしてくる。そんな彼氏のことを、気のきく人だといって、女友だちに自慢できるだろうか。

私は、できない。友だちからも、悪評ぷんぷん。絶対別れたほうがいいよ、と忠告される。だってこんな人は、根っこのところで、乙女のデリケートな感情を何も理解していないからだ。まったく、わかっていない。馬鹿正直に取ればいいというものではないのだ。鼻くそは消えても、恥は残るのだ。

だから、本当にやさしくて、本当に気づかいのできる彼氏は、鼻くそを見つけても、口には出さない。そのまま私を見つめ、やさしく髪をなで、その細長い指が私の耳たぶから頬へ、そして唇へと移動するとき、流れにのってさりげなく鼻くそを取り除き、そのまま私の顎に手をやって、やわらかな唇に触れる。鼻くその除去と甘い口づけが、たやすく両立している。

そして私は抱きしめられる。そのとき恋人は、すでに反対の手の指先で鼻くそをはじいてどこかに飛ばしてしまっていて、そのまま何事もなかったように、「きれいだよ」とつぶやいて二度目のキスをする。

完全犯罪。

こんなにもやさしい完全犯罪が、かつてあっただろうか。あなたは私の鼻くそを盗んでくれた。まったく気づかないままに、盗まれたことすら気づかないままに。すてきなどろぼう。こんな人ならば、だいすきだ。私だって、素直に思える。

しかし、人に鼻くそ宣言を突きつけておいて、自慢げな顔をされても困るのだ。そして帰宅直後の空気清浄機は、これと同じなのだ。

この人は、私が帰宅するなり、「くさい、これはくさいぞ!」と連呼して、顔を真っ赤にし、すべての窓を開け放ち、消臭剤を両手に持ち、それを部屋中にシュッシュと吹きつけて、空気を完全に浄化してから、「きれいだよ」と言ってくる。

へたくそ……。

私のにおいを感知しても、ランプはずっと「きれい」のままにしていてほしい。そして私がギョーザなんかを食べはじめたときに、あたかもギョーザに反応したかのように、私のにおいもまとめて消してくれればいい。そうすれば、私は空気清浄機と今後もなかよく暮らしていける。

帰宅直後のフル活動だけはやめてほしい。そのたびに心が振り回されて大変だから。

以上が、私の切なる願いなんだが、まあ、そんなことよりも被害妄想をおさえるほうが早い気もする。そのへんは自覚している。深呼吸して落ち着け。そこにいるのは機械だ。

(文:上田啓太、イラスト:室木おすし)

※この記事は2019年02月25日に公開されたものです

上田啓太

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