諦めることはネガティブなことではない―「自分の進むべき道をあきらかにする」

あなたは「諦める」という言葉にどんな意味を感じますか? おそらく「途中でくじけてしまうこと」「やりたかったけれど出来なかった」というような意味合いを感じている人が多いでしょう。しかし本来の「諦める」という言葉には、ちょっと違った意味合いもあるようなのです。
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「諦念」ということば
「諦める」という言葉は、もともと仏教の「諦念(ていねん)」という言葉からきています。「諦念」とは「道理を悟る心」というような意味を持っています。つまり、「物事の正しい道」を知るということです。「諦める」という言葉にはこの「諦念」の考え方が反映されていると考えられます。
でも、私たちは「諦める」という言葉をもっとネガティブな意味合いで使っていますよね? しかし「諦める」には「あきらめる=明らめる」という意味が含まれているとも考えられています。「くじけること」ではなく、「自分の進むべき道をあきらかにする」という意味なのです。
世の中では「諦めが肝心」と言われたり、「途中で諦めるな!」と言われたり、どっちなの!?と言いたくなるような気もしますが、「諦めないこと」に執着してしまうと、自分の道が見えなくなってしまうこともありますよね。
そして執着からは良いものは生まれません。
もちろん、努力することは大切ですが、気が付いたら「執着」しか残っていなかった、なんていうこともあります。「これは自分の行くべき方向でない」と感じたら、違う道を進むことを恐れてはならない……「諦める」という言葉にはこんな意味も含まれているのです。
「諦める」考え方・応用編
では、この「諦める」という考え方を実生活に落とし込むとどうでしょうか? 例えば友人から相談を受けた場合にこの「諦める」考え方は有効です。「諦める」からといって、「今すぐやめてしまえ」という意味ではなく、「それが自分の生きる道かどうか」「執着心だけになっていないか」ということを問うてみてはどうでしょうか?
自分自身の生き方を考えた場合、この「諦める」考え方はネガティブになることなく、冷静に自分自身を見つめるきっかけを与えてくれます。
しかし、自分で「もう執着しか残っていない。やめるべきだ」と判断したとしても、その考えに心がついていけないこともありますよね。そこは時間をかけて、徐々に変化していくのを待つのが大事でしょう。
「くじける」でもなく「出来なかった」でもなく、自分の道を選ぶときの判断基準に「あきらめる」ことを加えてみてはいかがでしょうか?
※この記事は2013年12月19日に公開されたものです