お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

【#6】不妊治療をやめて人生が前向きになった美南さんの場合・後編

#母にならない私たち

月岡ツキ

高橋千里

“子どもを持たないこと”を選択した既婚女性への匿名インタビュー連載「母にならない私たち」。その決断をした理由や、夫との関係性、今の心境など……匿名だからこそ語れる本音とは?

結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか。女性に選択肢が増えたからこそ、悩んでしまう時代。本連載では、子どもを持たないことを選択した既婚女性に匿名インタビューを実施。

「どうして子どもを持たないことを選択したの?」「パートナーとどう話し合った?」「ぶっちゃけ、後悔してない?」……などなど、顔出しでは言えないような本音まで深掘りします。聞き手は、自身もDINKs(仮)のライター・月岡ツキ。

相田美南さん(仮名/43歳)は関東圏の地方都市在住の自営業。10歳年下の夫と再婚し、二人で暮らしている。

不妊治療に苦しんだ末に、ミレーナを挿入して治療をやめ、DINKsとして歩む決断をした美南さん。子どもにまつわる実母とのわだかまりや、地方での子なし夫婦の孤立をどう乗り越えたのか聞いた。

前編の記事はこちらから

https://woman.mynavi.jp/article/250227-5_12000673/

「孫育て」がしたかった? 実母とのわだかまり

母は昔から子どもが好きで、私自身のことも愛情を持って育ててくれたと思います。

その反面、子どもが巣立ってからは「孫育てをしたい」という思いが出てきたようで……。私が子どもを産んでいないことで母の「孫育て」欲求は満たされていなかったんでしょうね。

その点において、母娘間でわだかまりができてしまった、ある出来事がありました。

私が不妊治療をしていたとき、母は何を思ったか地域の子育て支援ボランティアを始めて、よその家の赤ちゃんの面倒を見るボランティアをしていたんです。

母は「困っている人がいて、頼まれたからボランティアをしているだけ」と言うんですが、私からしたら「私が孫を産まないから、よその家の赤ちゃんの世話をして孫育て欲を満たしているの?」と思えて。

遠方に住んでいるならまだしも、近くに住んでいますし。母がボランティアのためとはいえ自家用車にチャイルドシートを乗せているのを近所の人が見たら、「あれ、美南ちゃんご懐妊?」なんて言われてしまうような距離感の地域なんです。

もちろん、母にそんなつもりはないのはわかっています。でも当時の私は、不妊治療で疲弊していたこともあり、孫がいないことへの当て付けのようにも感じてしまったんです。「もっと私の気持ちや周りからの見え方を考えてよ!」と母を詰めてしまい、以降母とは不妊治療や子どものことについて話せない時期が続きました。

私が母との関係に悩んでいたとき、夫が言ってくれたのが「お義母さんも、初めての“お母さん”を一生懸命やっているのだから、許してあげたら?」という言葉でした。

そう思うようにしてから少しずつ母を許せるようになり、時間をかけて関係を修復しました。今は私の選択について理解してくれています。とはいえ、母も本心では「孫が欲しい」と今でも思っているかもしれませんけどね。

子なしや未婚の存在をスルーする、地域のコミュニティ

5年前に今の夫と家を購入し、関東圏の地方都市で暮らしています。周りは子育てファミリー ばかりの住宅街で、20世帯くらいの区画の中で子どもがいないのはうちだけです。

地域の人同士って、保育園や子ども会などで親同士が知り合って仲良くなるなど、子どもを介して繋がることが多いと思うのですが、私たちは子どもがいないのでそういうきっかけがなく。

引っ越したばかりの頃、近所のお祭りに夫婦で行ったら、地域の長をやっているおじさんから「あなたたち、子ども連れて来なさいよ!」と言われました。お菓子やお餅を配っていたので、おじさんとしては「子どもの分もお菓子があるから、連れておいでよ」という善意の声がけだったと思うのですが、強烈な体験でしたね。

それ以降も、回覧板に載っている地域の催しは「子ども向けイベント」「ママさんバレー」「パパのための料理教室」といったラインナップで、子どもを持たない人や未婚の人の存在はスルーされているな……と感じてしまいます。

仕事やプライベートで気の合う人と繋がることはできるけれど、やはり地域にも繋がりがないと、困った時に誰も頼れないような気がして、不安です。

ほとんど地域との繋がりが作れないまま5年経ってしまったのですが、今年は順番で回ってくる地域の班長になってしまったので、ほぼ面識がない人たちのお家に町内会費の集金に行ったり、お祭りの係をやったりしなければなりません。

公会堂の掃除なんかは「台所や水回りは女性の担当」みたいな謎の不文律もあったりして、正直気が重いです……。

私は自営業なのでまだ良いと思うのですが、地方で会社勤めをされている子なしの方はもっと居場所がないと聞きます。「特にお昼休みが苦痛」だと。DINKsの知人は「みんなお昼を食べながら子育ての話をするので輪に入れず、自席でひとりでお弁当を食べている」と言っていました。

あと、「子どもがいないなら“子ども食堂”(※)へ行ったら?」と言ってくる人が何人もいるのに驚きました。「子どもがいなくて寂しいだろうから、子ども食堂に行ってご飯を作る活動をすれば、子どもと触れ合えるよ」という意味だと思うのですが、どこから突っ込んでいいのやら……。

首都圏だと子なし夫婦の存在は珍しくないかもしれませんが、地方だとまだまだ孤立しやすくて、より悩みが深いのではないかと思います。

※子ども食堂……子どもを含めた地域住民に無料または安価で食事を提供している社会活動コミュニティ

“子なしだからこそ歩める人生”を前向きに発信

そんな風に地域で生活する中で、子どもがいない夫婦は社会で孤立しがちだなという思いから、DINKs夫婦のための交流会を開くようになりました。何か困ったことがあったら相談できる仲間を増やしたり、相続や老後の備えなど必要な知識を一緒に身につけられたらいいなと思って。

「あの人、子どもがいないのかな」となんとなく分かっている者同士でも、選択した結果の子なしなのか、不妊治療中なのか、欲しかったけれど諦めたのかなどによってスタンスも異なりますし、かといってデリケートな話なのでなかなか深くは聞けませんよね。

そこを、「子なし夫婦としての生活を前向きに歩みたい人」に限って交流をすることで、今後の人生について前向きな話ができるのが良いと思っています。

子なし夫婦と一口に言ってもいろいろです。私たちより上の世代では「子どもができないのはかわいそう」「子どもを育てて一人前」という価値観が今よりもっと強かったので、そういう風当たりの強さの中で子なしとして生きるのはかなり大変だったと思います。

なので、上の世代の子なし夫婦が集まるコミュニティは、どうしても「子どもを授かれなかった悲しみを乗り越える」という方向性の場所が多いような気がしています。

でも、私の心情としてはもう少し前向きというか、子なしだからこそ歩める人生もあるよね、という気持ちなので、そういう趣旨に賛同してくれる人たちが集まる会にしようと思っています。どちらが良い悪いではなく、スタンスの問題ですね。

「今回の人生では“育てない方”なんだな」と納得している

私も、初婚の頃は周りの空気に流されて「結婚して子どもを産むのが普通の人生」だと思っていたし、今の夫とも不妊治療までしましたが、実際はそんなに子どもが欲しいわけではなかったんだと思います。今も、街中で子どもを見かけても特になんとも思わないですし。

夫も、私と一緒にDINKs夫婦の交流会に参加してくれるくらい、今の生活が気に入っているみたいです。私たち夫婦はずっと二人で暮らしてきて、今の暮らしにはなんの不足もなく、“二人”で完成形。そもそも二人の間に存在していない子どもについて考えて「寂しい」みたいな感覚がないんだと思います。

子どもを育てるか育てないかはどちらかしか選べないので、「今回の人生では“育てない方”なんだな」と納得してます。比較なんてできないんですよ。

先日、祖母が亡くなって葬儀を上げたのですが、「私が死んだら花を手向けてくれる人はいないのかな」と思ったりはしましたね。普段はやりたいことをやって楽しく生きているので、そういうことは感じないのですが。

たまに「いるべき存在がいないことに気づいて、寂しい」みたいな感覚になる夢を見ることもあります。「いるべき存在」とは「子ども」の概念なのかも? 朝起きて普段の生活が始まってしまえば忘れちゃいますけどね。

あとは、母がもっと年老いたときに、「やっぱり孫を見せてあげたかったな」と後悔するのかな……とはたまに思います。でも、実際その時になってみないとわかりません。

正直、自分個人としてはかなり満たされている状態にあるので、社会をよりよくしていくために何かできたらいいなという思いがありますね。

「子なし夫婦は贅沢できていいね」と言われがちなので、社会に対してできることをやっている姿勢を見せることで、そういう風に言わせたくないという気持ちもあるかもしれません。

今後も交流会は続けていきたいですし、夫婦で長く楽しく生きていくために相続や介護のための制度や知識も少しずつ身につけながら、いろんな生き方が認められる世の中を、自分の周りから作っていきたいですね。

インタビュー後記(文:月岡ツキ)

「子どもが欲しい」「結婚したい」という気持ちは、どのくらい周りの空気に影響されて発生しているのだろう。

「普通の人生」を歩むために「優良物件」的な人と結婚し、子育てしている周りの人たちを見て「私もやるべきことをやらなきゃ」と不妊治療に踏み切った美南さんは今、「実際はそんなに子どもが欲しいと思ってなかったのかも」と振り返る。

私たちはどれくらい「普通」との距離を気にして物事を選択しているのだろうか。「純度100%の自分の意思だけでした選択」なんて、本当は一つもないんじゃないかと思わされた。

それでも、「普通」の種類が一つしかない場合、その「普通」との距離が遠いところにいて、苦しくなってしまう人はたくさんいる。

例えば、地方に行けば「子育て世帯」が普通で、そうでない人は排除されているとはいかないまでも、「普通」の一種としては見なされていないので、いろんな仕組みのなかで想定されていない扱いを受けて、結果的に孤立しがちだ。

しかし、今後おそらく子なし夫婦の割合は増えていくし、なんなら結婚しない人の割合も増えていくだろう。いろんな種類の「普通」が増えていく。それに合わせて世の中のあり方も変えていこう、というのが「多様性のある社会」ってやつだろう。

美南さんは、いろんな種類の「普通」のうち、「DINKs夫婦」というあり方がまだ想定されていない地域において、自ら人との繋がりを作ろうとしている。そういう個々人の取り組みが少しずつ「例外」を「普通」にしていく。

私たちが人生を終える頃、この社会の「普通」にはどんなバリエーションがあるだろうか。少なくとも「結婚・妊娠・出産・子育て」が唯一無二の王道ではなくなって、「普通」という言葉が意味をなさなくなるくらい、いろんな生き方が普通に、たくさんあってほしい。

(取材・文:月岡ツキ、イラスト:いとうひでみ、編集:高橋千里)

SHARE