【#5】“子どものいない人生”どうだった? バブル期を生き抜いた56歳・佐都江さんの場合・前編
“子どもを持たないこと”を選択した既婚女性への匿名インタビュー連載「母にならない私たち」。その決断をした理由や、夫との関係性、今の心境など……匿名だからこそ語れる本音とは?
結婚するかしないか、子どもを産むか産まないか。女性に選択肢が増えたからこそ、悩んでしまう時代。本連載では、子どもを持たないことを選択した既婚女性に匿名インタビューを実施。
「どうして子どもを持たないことを選択したの?」「パートナーとどう話し合った?」「ぶっちゃけ、後悔してない?」……などなど、顔出しでは言えないような本音まで深掘りします。聞き手は、自身もDINKs(仮)のライター・月岡ツキ。
千葉佐都江さん(仮名/56歳)は首都圏在住で、フリーランスのWEBディレクター。40代になってから結婚した同世代の夫と2人で暮らしている。
いわゆる「バブル期」をバリキャリ女性として謳歌し、現在も仕事と推し活を自由に楽しむ佐都江さん。子どもを持たない人生に至るまでには、仕事や結婚に伴う紆余曲折があったという。
点滴を打ちながら働いていたバリキャリ時代
私は現在フリーのWEBディレクターとして働いています。実は今に至るまでに、さまざまな職種を経験してきました。
最初は事務職からキャリアをスタートしたのですが 、転職を何度かするなかで、30歳でIT業界に入りました。世の中にガラケーが普及しはじめたくらいの、 いわゆるITバブルのタイミングで、熱意のある優秀な若者が集まって猛烈に働く世界はとても魅力的でした。
最初はIT業界のことが右も左もわからなかったし、上司が20代前半の血気盛んな若者だったこともあり、だいぶ「おばちゃん」扱いされたのを覚えています。今の30歳はまだまだ若手の部類ですが、当時はそういう扱いだったんです。
だいぶ悔しかったけど、その頃のIT業界は景気が良かったのでお給料はたくさんもらえて。振り込まれたボーナスの額を見たら「頑張って働いてやる!」と思えました(笑)。
そこからは猛烈に働きました。だんだんと仕事を覚えて、チームリーダーを任されるくらいは信頼してもらえるようになって。多分働くのが好きだったんだと思いますが、それにしてもものすごい仕事量でした。ひどい時は昼休みに病院へ行って点滴を打って、また会社に戻って働く、という感じです。
社員はみんな過労とストレスによる胃潰瘍が当たり前。私もお医者さんに「仕事を休んで寝てください」と言われていましたが、休んでしまったら職場で「デキないやつだ」と言われると思うとすごく嫌で、結局毎日24時過ぎまで働いていましたね。
それでもやっぱり仕事はおもしろくて、自分でいろんな工夫をしながら壁を乗り越えていくのが楽しかったです。
毎週旅行は当たり前! 充実していたバブル時代
30代の頃は猛烈に仕事をしていましたが、猛烈に遊び回ってもいました。同じくバリキャリの女友達と毎週末のように日本中を旅行して、ご当地のおいしいものを食べて。たくさん稼いでたくさん使う、バブル世代らしい遊び方だったと思います。
恋人とデートするようなタイプじゃなかったので、自分で稼いだお金を自由に使って遊んでいました。結婚して子育てしていたら絶対できない遊び方だったと思いますが、本当に楽しかったです。
あの頃は、結婚のことなんて全く現実として考えていませんでしたね。朝から晩まで仕事のことを考えて、週末は友達とパーッと遊ぶ。そんな30代でした。
「25歳までに結婚」「30歳までに出産」が当然だった
一方で、当時の世間には「女は25歳までに結婚しなきゃ!」という空気はありました。25を過ぎてから、母親からの「お見合いをしろ」というプレッシャーがすごかったです。「せめて30までには結婚して子どもを産んでくれ」と。
たくさんお見合いさせられましたが、相手は年上の男性ばかりで全然ピンとくる人もいないし、私には縁談をまとめる気はさっぱりありませんでした。
お見合いお見合いとうるさかった母も、私が35歳を過ぎたくらいから何も言わなくなりました。出産適齢期を過ぎたからでしょうね。「子どもを産むには遅いから、結婚も無理にしなくていい」みたいな感じだと思います。
母は教師で 、あの時代の女性からするとかなり仕事人間でした。父は単身赴任していて、母も仕事で家を空けていることが多いので、私は小学校1年生までよその家に預けられることがほとんど。
母は「女も自分で働いて自由に使えるお金を持っておくべき」という考えの人でしたから、子育てよりも自分の仕事を優先していましたし、大人になった私がバリバリ働くようになったのはうれしかったと思います。
その反面「30歳までに結婚と出産をしろ」とも言ってきていたので、母も時代の中でいろいろと複雑な思いがあったのかもしれません。
私自身も、ぼんやりと「いつかは結婚して子どもを持つのかな」とは思っていましたし、付き合っている人がいる時期もありました。それでもやっぱり結婚や出産には現実味を感じられず、自分事としては考えていませんでしたね。自分の周りにはバリバリ働いている独身や子なしの男女が多かったので、特に焦りもしませんでした。
そんな気持ちで40歳まで過ごして、そのとき長く交際していた今の夫と結婚しました。出会いは職場です。私がフリーランスになるタイミングで同棲の話が出て、それなら結婚するか、と。
夫はWEBマーケターで、職場での仕事ぶりが頼りになるところに惹かれて付き合いました。今は夫もフリーになっていますが、似たような業界にいるので仕事の相談にも乗ってくれて、優しいところが好きです。
結婚と体の不調、そして閉経へ
私も夫も「結婚したら子どもを持つものなのかな」となんとなく考えてはいたのですが、先に体の不調がやって来ました。
結婚する少し前から、入院が必要になるほど本格的に体調を崩し始めていたので、結婚を機に仕事をペースダウンしました。働きすぎのせいもありましたし、更年期のような症状が早く来ていたことも原因だったようです。
気分が悪くなることが増えて、電車に乗ったら酔って吐き気がして、さらには子宮筋腫や子宮内膜症も見つかって、もはや子どもを産むどころではない体の状態でした。
病院もあちこち行きましたが、「対症療法で様子を見ていきましょう」という先生もいれば、「手術して筋腫を取って、妊娠したいなら体外受精をしましょう」という先生もいて。「体外受精」という言葉を聞いたときに初めて「自分が子どもを妊娠するのは難しいかもしれない」という現実を知りました。
不妊治療を頑張れば可能性は0ではなかったかもしれませんが、周りには壮絶な不妊治療の末に心を病んでしまった友達もいたので、その選択を取ろうとは思えませんでした。
夫も「そこまで無理して頑張る必要ないよ」という考えだったので、そのタイミングで「子どもは持たないようにしよう」と決めました。
ずっと結婚も出産も現実味のないものとして生きてきたものの、いきなり「妊娠は難しい」という現実を目の当たりにした気分で、ショックではありましたね。
そんなことがあってから間もなくして、思いがけずやってきたんです、“閉経”が。
(後編につづく)
直面した「妊娠は難しい」という現実と、思いがけず迎えた閉経。佐都江さんの心に起こった変化とは? 後編は1月25日(金)に更新予定です。
(取材・文:月岡ツキ、イラスト:いとうひでみ、編集:高橋千里)
※この記事は2025年01月24日に公開されたものです