お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

やり過ぎ?豪快すぎる戦国武将の伝説!「秀吉さん、晩年はベッドで寝てました!」

武将たちは血気盛んな人やちょっと変わった人が多かったといわれています。それだけに、「マジか……」というエピソードも多く残されているものです。今回は、そんな武将たちの豪快すぎるエピソードや思わず引いてしまうエピソードを紹介します。

俺を慌てさせた茶器は許さぬ!

独眼竜で知られる伊達政宗。あるとき政宗が手に持った高価な茶器を眺めていた際、うっかり手を滑らせてしまいます。とっさに受け止めたために落とさずに済みましたが、なぜかその直後に政宗は茶器を床にたたきつけて割ってしまいます。

いわく「茶わんを落とすことで慌ててしまった自分が腹立たしい」ということで、そんな茶わんは自分に必要ないとして割ったのだそうです。ちょっと意味が分かりません。

大好きな妻に色目を使ったやつは許さぬ!

近畿地方の北部、丹後地方を治めていた細川忠興。彼には細川ガラシャという美しい奥さんがおり、相当に愛していました。ただ愛し過ぎていたのか、非常に嫉妬深かったそうです。例えば、木から落ちた庭師を「妻に見とれていたのだろう!」と怒り、斬り殺してしまいました。

遠征先からも他の武将の誘惑に気を付けろという手紙を送り続けていたそうです。実に面倒くさい男でした。

部下のお祈り事のスケールが小さいのは許さぬ!

安芸国(広島県)を治め、三本の矢のエピソードが有名な毛利元就。幼いころ、家臣と共に宮島に参詣した際、家臣にどんなお願い事をしたか聞きました。家臣は「将来安芸国の立派な殿様になれるようお願いした」と言いましたが、元就はそれを聞いて「天下の主になると願わないとは何たることか」と激怒。

宮島に引き返させて願い直させました。そんな毛利元就ですが、亡くなる際は「天下を取ろうと無謀な野望は持つな」と言ったそうです。

迷信は信じるけど信じない!

「甲斐の虎」という異名で知られる武田信玄。信濃出兵時に「悪しき気を感じた」と不安に思いながら出兵したのですが結果は勝利。迷信のようなものを信じていたようです。しかし、別の戦のときには、家臣に「木にハトが止まっているときの戦は負けません!」と言われて激怒。

ハトを落とし「ハトが止まる止まらないなど戦に関係ない!」と怒鳴ったそうです。完全に気分屋です。

とにかく反抗する!

加賀藩の祖、前田利家の息子の前田利常は、とにかく反抗心に満ちた男なのか、奇行が多かったといわれています。例えば江戸城内に「小便禁止!破ったら黄金一枚!」という立て札が立てられた際、「お金が惜しくて大名が小便を我慢するか!」と言って立て札におしっこを引っ掛けました。

他にも殿中でご法度とされる頭巾をかぶったり、馬から下りないといけない場所も無視して馬で進むなど、とにかく制約に反対しまくりでした。豪快というより、ひねくれ者?

気に入らないものはぶっつぶす!

織田信長の家臣の一人だった森長可。「鬼武蔵」という異名のとおり、とにかく強く豪快な武将でした。ただ気性も非常に荒く、気に入らないことがあればすぐに怒り、方々で問題を起こしました。例えば「関所事件」。ある関所を通ろうとした際、そこは信長の命令で通行止めにされていました。

それに長可は怒り、門番を殺して通ったといわれています。他にも馬を下りて端を渡るように言った番人に怒ってやりで突き刺したりと、むちゃくちゃな人だったそうです。

秀吉さん、晩年はベッドで寝てました!

豊臣秀吉といえば、やんちゃで派手好みで知られていますが、彼は晩年、当時としては珍しくベッド(寝台)で寝ていました。長さ七尺(212.1cm)、幅四尺(121.2cm)、高さ一尺五寸(45.45cm)のベッドです。

「しとねは猩々緋(しょうじょうひ)、枕の方には黄金の彫り物が施されていた」そうです。また、周囲には金の調度品がたくさん置かれ、金でぎらぎらだったとか。秀吉さんらしいといえるかもしれません。

まとめ

豪快というよりやり過ぎだと思えるエピソードばかりですね。頭角を現す人物たちは、やはり常人とはちょっと違っていたのでしょう。他にも武将にまつわる「それホント?」というエピソードは数多くあります。好きな武将がいれば、調べてみるのもいいですね!

(中田ボンベ@dcp)

※この記事は2014年12月27日に公開されたものです

SHARE