お使いのOS・ブラウザでは、本サイトを適切に閲覧できない可能性があります。最新のブラウザをご利用ください。

【File41】世界をまたにかけて婚活した話

#イタい恋ログ

中村綾花

今振り返れば「イタいな、自分!」と思うけれど、あの時は全力だった恋愛。そんな“イタい恋の思い出”は誰にでもあるものですよね。今では恋の達人である恋愛コラムニストに過去のイタい恋を振り返ってもらい、そこから得た教訓を紹介してもらう連載です。今回は中村綾花さんのイタい恋。

30歳を目前に婚活をするも苦戦し、挙句の果てに海外で婚活の旅までした私は、その旅先のひとつであるパリで180度価値観をひっくり返されることになりました。

「婚活なんてしてる場合じゃないぞ。結婚より、恋がしたい!」そう思ってパリに住むことにしたら、思いもしなかった相手と出会って最終的には結婚にいたったのです。

今回は私が今に至るまでの、執着続きだったイタい恋の体験を紹介してみようと思います。

人生初の彼は熱い韓国人男子

学生時代を過ごした地元の九州を離れて上京。憧れだったテレビの業界に、なんとかアルバイトのような形で入り込み、テレビ番組のアシスタント・ディレクターとして働き始めました。ところが、過酷な労働続きで恋愛どころではなかった日々に疲れ果ててしまいます。

仕事を辞めた私は、使う暇も無かった安月給の貯金をはたいて、学生時代からずっとやってみたかった語学留学のため、ニューヨークの語学学校へ1年間通うことにしました。

初めての海外生活は、それまで失った時間と青春を取り戻す、キラキラした夢のようなものでした。海外ということもあって、人の目を気にせず思い切ったお化粧やスカートなど、初めてファッションを楽しむことができたのです。

さらに、クラスメイトの韓国人の男子が恋人になるなど、人生の絶頂期到来! でも、「お付き合いをする」ということは、楽しいことばかりでなく、なかなか難しい人間関係を体験することでもありました。

今考えると、彼は友達としては最高だったけれど、恋人としての相性は最悪でした。全く相性が合っておらず、ぶつかりあってけんかばかりだったのです。

とはいえ、25歳でようやく恋人ができた私としては、「この人と別れたらもう他の人とは一生出会えない!」という執着と恐怖心から、どんなにけんかをしても彼との関係を終えることができませんでした。

30歳目前、日本人の彼との出会い

二人が出会ったニューヨークを離れ、韓国と日本での遠距離になっても、ただただ別れられない関係が続きました。ところが、東京で働き初めてまさかの新しい出会いが訪れます。

100人超えの異業種交流会で名刺交換した中の一人と食事に行くようになり、お付き合いに発展したのです。韓国人の彼には、速攻、スカイプで別れを告げ、私はすぐさま日本人の彼の優しさに惚れ込んでいきました。

良くも悪くも、熱くて激しい韓国人彼とは違い、日本人の彼は考えていることがいまいち分かりにくいけれど、思いやりとさりげない行動にふんわりと包まれる心地良さがありました。

そんな同じ年の彼はベンチャー企業で働いていて、毎日終電で帰れるかどうか、 一週間に一回会えるかどうかの多忙な人でした。それなのに、付き合い初めて間もないころ、彼の方から「子どもは欲しいと思ってる?」なんて話がでるほど、お互いに結婚を意識するようになっていったのです。

いきなり訪れた別れ

ところが、お付き合いして間もない3カ月目頃……。彼から突然「付き合ってみたら、思ったのと違った」と、別れを切り出されてしまいました。

結婚生活を想像してお花畑を歩いていた幸せモードで急上昇だった私は、まるで、ジェットコースターの頂点からレールを外され、丸裸で突き落とされたような衝撃を受けました。

冷めた彼の心は取り戻せないと頭では痛いほど理解できるものの、 なかなか心がついていきません。その後も、なんだかんだと彼と会う約束を取りつけては、カフェでお茶をしてもらうことが何度か続きました。ここでまた、しぶとい執着心がむくむくと湧いてきたのです。

そして私は、 彼に向かって

「別れたとしても、あなたの生きる『惑星』という世界の中で、遠くても小さくてもいいから、あなたの周りを回る星として存在していたい」

なんていう、未練と執着たらたらの話をしていた記憶があります。とうとう彼と会わなくなったあとも、悲しくって、つらくって、生きた心地のしない長い失恋期間が続きました。

仕事に行っても、パソコンの前に座っているだけで涙が止まらなくなり、慌ててトイレに駆け込む日もありました。もちろん、会議中の話もろくに頭に入ってきません。家に帰っても、とりあえず食べる、とりあえず寝ることをくりかえすだけ。苦しい気持ちが抑えられずに、迷惑な長文相談メールや、長電話にさんざん友人らを付き合わせてしまったこともありました。

そうこうしていたら、季節はめぐって一周し、彼にフラれた時に咲いていた桜の花がまた咲く季節になっていました。「ああ、あれから1年経ったんだ……。」と、まだ失恋で悲しんでいる自分を客観的に見られるようになり、ようやく失恋モードが終盤を向かえます。

焦って婚活スタート、しかし失業

悲しみの日々は終わったものの、今度は「これから私、ずーっとひとりぼっちなの!?」という不安と焦りがおそってきて、慌てて婚活をスタートしました。

当時、まだ始まったばかりのネットの出会い系サイトや、婚活サイトに登録して10人以上は出会い、苦手な合コンも心を麻痺させて参加。でも、ピンとくる人は、既婚であることを隠して出会い系に登録していた年上の銀行員くらい。いやいや、そんなのにかまってもらう時間は無いのよ!

私にとっての婚活は、やればやるほどつらくなってくる泥沼でした。

「選ばれる女性にならなければ。でもどうやって?」「結婚するのに最適な条件の相手を選ばなければ! でも、どんな人がいいの?」

そんな時に拍車をかけて、仕事の契約が更新されないことになり、失業してしまったのです

世界婚活の旅へ

焦りと不安はピークに達し、日本海の絶壁に立って追い込まれたような気分の私に、「相手は日本だけでなく、世界にいるんじゃない?」という先輩の声が降ってきました。

そうか、世界で婚活してみよう。

婚活に煮詰まって沸いてきた「結婚ってなんなのよ!?」という、そもそもの答えを探りつつ、色んな国に住む人にインタビューして回れば、フリーのライターにもなれるかもしれない。「 あわよくば現地で出会って結婚だ!」そう思って、半ばやけくその勇気を振り絞って旅立ったのです。

まずはヨーロッパを中心に旅をしつつ、初めて行った国の中でも一番衝撃的だったのがフランス、パリです。現地でパリジャンと恋愛したり、事実婚したり、結婚したりしている日本人女性に会ったり、道端でチュッチュするパリジャンたちを見て私は驚愕します。あまりに本能的で自由に見えたからです。

「婚活なんてしてる場合じゃない。恋がしたい。あんなパリジャンたちみたいに燃える奔放な恋がしたいわ!」

と、世界婚活は早々に切り上げ、パリに1年住む準備をし、最初に出会ったパリジャンと、人生初の同棲までスタートすることになりました。結果、フランスで最初に出会ったその相手が今の旦那さまになりました。

結婚なんて考えられない相手との出会い

彼は出会った当時、失業者でした。二人で話をしたときに「私も失業者なんだよ、一緒だね」と笑い合ったのを覚えています。最初はこんな具合でまったく結婚相手や恋愛相手とも見ておらず、「気の合う男友達が見つかってラッキー」としか思っていませんでした。

ところが、彼と音楽とか映画とか、家族の話とか、いろいろしているうちに、なんだか東京にいる男友達の中に違和感なく入れるタイプの人だなと、親近感が湧いてくるようになったのです。

そして彼と話していると、あっという間に時間が過ぎ、「また彼と会いたいな、もっと話がしたいな」と思うようにもなっていきました。私が東京で必死に婚活をしていた時には無かった、自然な感覚です。それが結果、彼と一緒に長く生活をすることができる結婚という選択肢に落ち着いたのです。

その後も、いろいろけんかはあるけれど、気がついたら結婚10年目を迎えようとしています。

イタい恋から得た教訓「結婚に執着するのをやめると、自然といい相手に出会える」

これまでの恋愛で、執着と恐怖心でなかなか誰とも別れられなかった私。さらに、「先行きが不安、一人だと寂しすぎる」こうした負の気持ちを全て解決してくれるのが「結婚」だと思い込んで「結婚」に執着しまくっていた私。

そんな執着心を手放すと、自然と自分の感覚、本能的な部分で「自分と合う」人を選んで受け入れられるようになったのだと思います。

恋愛、結婚、だけでなくとも、毎日を生きているだけですら、自分の感覚を押し殺して生きてしまいがちなこの世の中。もしそれに心当たりがあるならば、ぜひ自分の頭でなく、相手や物事を「心地いいな」「なんか嫌だな」という感覚で付き合うことから初めてみてはどうでしょうか。

無理して付き合わなくていい選択が少しずつでもできたら、ずいぶん生きることも楽になるはずです。執着に凝り固まるより、心地いいことに感覚と身を任せるほうが、自分らしくリラックスできて、いい人を惹きつけることにもなるはずですよ。

(文・中村綾花、イラスト・菜々子)

※この記事は2022年03月06日に公開されたものです

中村綾花

フランス在住ラブジャーナリスト、ライター。

この著者の記事一覧 

SHARE