SMAPの恋の失敗。好きなのに、どうして「少しだけ」なんだろう
聴く人、聴く環境によって「ラブソング」の捉え方はさまざま。そんなラブソングの裏側にある少し甘酸っぱいストーリーを毎回異なるライターがご紹介するこの連載。今回は、ライターの中前結花さんにSMAPの「ラブソングのB面」を語っていただきます。
キラキラとしたガラス玉が好きで、おもちゃみたいなガラスの指輪なら何十個と持っている。
けれどそれは、「毎日違うもので指を飾りたい」という、飽き性なわたしの性格の表れでもあった。だから、長くコレクションしているものや、飽きずに夢中になっている趣味なんてものは、何一つ持ち合わせていない。
ところが、そんなわたしに特別な例外がある。SMAPのシングルCDだけは、ちゃあんと55枚全てそろえて大事に取ってあるのだ。
彼らの曲もまた、ガラス玉みたいにどれもそれぞれにカラフルに輝いたものだった。
寄り添い続けてくれるスーパーアイドル「SMAP」
わたしがはっきりと、「これがSMAPだ」と認識したのは、おそらく『青いイナズマ』の頃だったように思う。すでに彼らは5人組のスターであり、「森くん」の存在はそこにはなかった。
だから、大人になってずいぶんと高値で手に入れた、デビュー初期の頃の曲から聴こえる森くんの歌声には、カップリング曲を含め、ただただ「おお……」と酔いしれた。
こんな“キラキラ” “ギラギラ”もあったのかとうれしくなり、もっともっとSMAPを好きになる。
どの曲も大切で、どの曲も最高に彼ららしい。時代とともに、曲調も見せ方も、彼らは常に変化し続けた。いつを切り取っても、「その時に必要だったメッセージ」が見事に再現されている。
長い間、いつも変わらずそこにいて、ずっと時代とわたしたちに寄り添ってくれているスーパーアイドル。それがわたしの思う、「SMAP」だった。
「言葉で伝えない」クセがある
ただ実を言えば、そんなSMAPにも、わたしにはほんの少し、砂つぶ程度の不満があった。
それは、例えば、片思いに胸をときめかせている時。恋人に「じゃあまたね」と手を振り、うっとりとした気持ちで歩き始める時。
そんな時こそ、大好きなスーパーアイドルの曲に、わたしは耳を奪われ胸を震わせたかったけれど、そんなシチュエーションで聴きたいSMAPの音楽は、残念ながらシングル曲にはほとんどない。
そうなのだ。何を隠そう、SMAPが歌う「恋愛」は、そのほとんどがちっともうまくいっていないのだ。
『世界に一つだけの花』以降、より大きなテーマを扱うことが多くなるSMAPだが、それ以前の特に1990年代の彼らが歌う恋愛は、いつだって「しくじり」と「切なさ」の嵐だった。
メンバーのほとんどが10代であった頃から、その片鱗はあった。
“友達のまま君といた ホントの気持ち つたえずに 過ごした日々を悔やんではいないさ”
—— 『ずっと忘れない』
そう。大事なことを、なぜか口に出して言わないクセがあるようなのだ。
以降も、いわゆる気まぐれで無理めな女性に振り回されたり、関係の修復に努めたり。いずれも、自らの言葉の足りなさへの後悔が続く。
“始めからきっと気づいてた いつか恋の終わりがくること
2人こんなポーズばかりとっていても うまく行くはずないことを”
—— 『君色思い』
“彼女と今日もケンカで そう だって いつも 忙しいんだからさぁ”
—— 『たぶんオーライ』
“忙しくなって ろくに話す暇さえ なくなったなんて嘘だろう?
これじゃ本当にマズいなって思ってる あぶないね”
—— 『しようよ』
時には、女性のためになけなしのお金を使ってみたことだってあった。
“だけど君 逃げてゆく 気がする Escape from my love!”
—— 『$10』
そして、ついには彼女の浮気さえも疑わしくなってくるのだ。
“見苦しいほどに 問いただせたら 悲痛な気持ちも 楽になれるけど”
—— 『青いイナズマ』
キラキラと眩しいだけでない、ゆらゆらと揺らめいて絡まる愛の難しさばかりを、この頃の彼らは、実によく歌っていた。
彼ら以前の、「お前が好きさ!」と真正面を向くアイドル像とは異なる、年齢とはどこかチグハグな、気怠さと艶かしさ。そこに、ほのかに漂う危うさと未熟さを残した声で、一筋縄ではいかない日常や恋愛を憂う。
そんな姿こそが、当時の彼らの最大の魅力であったのは、紛れもない事実だ。
けれど、わたしはどうしても思わずにはいられなかったのだ。
「ちゃんと口に出して、言えばいいのに!!」
「ほんの少し足りない」から恋がうまくいかない
1995年にリリースされた『どんないいこと』。彼らにとって18枚目となるシングルであり、ミディアムテンポで、ゆらゆらと漂うような曲調が、とても心地のいいナンバーだ。ふと口ずさみたくなるような繰り返しの歌詞もクセになる。
けれど、ゆっくりとその歌詞に耳を傾けると、その恋の顛末はあまりにも切なく、悲しすぎるものだった。
主人公は重たい気分でバスに乗り込む。天気は優れず、やがて小雨まで降り始める中、彼が向かっているのは彼女のもとだ。
“少しだけ君に会いたいと 話しておきたい事があると”
—— 『どんないいこと』
彼はそんな言い草で彼女を呼び出している。
けれど、彼は最後に彼女と会話を交わすことさえもかなわないのだ。
“通りの向こうに君がいた 走り出そうとするこの僕に
君はだまって おじぎしただけで
「ゴメンネ」って声が聞こえた気がした”
—— 『どんないいこと』
たとえ、二人の恋は、もう立ち行かないものになっていたとして。どうして、最後に「ありがとう」だとか「本当に好きだった」だとか、そんな言葉で触れ合うことさえもかなわず、彼は雨の中一人帰ることになってしまったのだろう。
やっぱりここでも、「彼女の欲しいもの」がほんの少し足りなかったせいではなかったろうか。
「申し訳ないから――」という告白
わたしは、数年前のことを思い出していた。
歳上の彼は人がよくて、何に触れても穏やかだった。きっと、元来の恥ずかしがり屋で、だけど大切なものは本当に大切にできる極めて誠実な人だったいうことは、わたしもすっかり分かっていた。
「なんだか、いいな」。
そう思い始めていた時、突然隣りで歩いていた彼は不自然に立ち止まると、震えて消え入りそうな声で、唐突にこう言ったのだ。
「こんなふうに4度もお呼び立てして。申し訳ないので、お付き合いしていただけませんか……」
わたしは、驚くと同時に、はっと黙ってしまった。
別に交際を迷ったのじゃない。ただほんの少し悲しかったのだ。
――申し訳ないから、付き合おうだなんて。
だけど、彼の目は真剣そのもので、何も信じて疑わない人のそれだった。
「……お願いします」と告げると、「よかった……。緊張してたんです」と、見るからに明らかなことを伝えてくれた。
そして、笑顔に崩れる彼の顔を見て、「だけどやっぱりいい人だな」とわたしは思った。
欲しいのは「好き」と「会いたい」
けれど、その悲しさは時間が経っても、やっぱり何かとわたしに付きまとった。
デートは、「映画が見たいから、行きませんか?」「本が見たいから、行きませんか?」と、いつも何か理由をつくって誘ってくれる。会えるのはうれしいけれど、それがなんだか妙にさみしかった。
どんないい服を着て、出掛けたって。
どんないい髪型で、駆け寄って行ったって。
それらに彼が触れてくれることはない。
「わたしが欲張りすぎるのかもしれない」と、帰り道ではそんなふうにして反省ばかりを繰り返していた。
夏の終わりには、賑わう花火大会にも出掛けた。不器用なわたしは何時間もかけ、汗だくで新調した浴衣を着付け、長い髪を一生懸命にまとめたけれど、彼はそこに「はっ」とすることも、何かを言うこともやっぱりなかった。
特別な何かが欲しかったのじゃない。ただ、「いいね」「夏らしいね」と言ってくれれば、それだけでどれだけうれしかったか。
花火のことは、やれ「見事だ」「きれいですね」と話すのに。帰り道には、ぽろりとほんの少し転がる程度の涙がこぼれた。わたしは「黒色の服が似合うね」と振り絞るように、その日伝えたから。
そして、終わる時は本当にただ呆気なかった。
やっぱり二人の関係を続けていけないかもしれない……と伝え、わたしは「借りた本も返したいから」と言って彼を呼び出し、カフェとは呼ばぬ喫茶店のような場所で向かい合った。
二人にはいつも何か「理由」が必要で、彼は二人で出掛ける「回数」が増えていくことが、いつもただ満足なようだった。そして、わたしもまた「最後に会っておきたい」という気持ちを、本なんかのせいにした。
席についても、彼からは何も言わずに俯いて押し黙るのものだから、「ちょっとさみしかったけど、楽しい時間でした。ありがとう。帰るね」とだけ伝えて、二人分の会計を置いて、わたしはお店を数分で飛び出てしまう。
その日もずいぶんとおしゃれをして向かってしまった自分が、たまらなく悲しくて、可笑しかった。
どうして「少しだけ」なんだろう
“少しだけ君に会いたいと 話しておきたい事があると”
—— 『どんないいこと』
どうして「少し」と言うのだろう。「少しだけ会いたい」だなんて。
どうして「話しておきたい事がある」と焦らしたのだろう。せめてそこで、彼は言ってしまえばよかったのかもしれない。「どうしても君に会って話したい」「どうしても好きだから、ちゃんと会って伝えさせてほしい」と。
もしも、そう言われていたなら。
それでも、この歌詞の中の彼女は目の前まで来ている彼を制しただろうか。黙ってお辞儀したあと、彼女の背中がどんな様子だったか、彼はちゃんと見送っただろうか……。
もちろん、この歌詞の真実は分からない。
「少しだけ君に会いたいと 話しておきたい事がある」という言い訳で呼び出すのはあまりにも悲しいから、「帰り道の彼女を捕まえるためバスに乗ったのだ」という解釈もできる。
だけど、彼からもそして彼女からも、大事なことが伝えられることがなかった、という事実は変わらない。
この曲を聴くたびに、切なくてわたしの胸はグシャリとなる。大切なことは、自分からももっと伝えればよかった。
56枚目にはラブソングを
今日もSMAPの輝かしい名曲を聞きながら歩く。
1998年に発売された『夜空ノムコウ』も、2013年に発売された『Mistake!』も、やっぱりどの恋もうまくいってはいないようだけれど。
「もう着いてるよ」とメッセージが入る。わたしは少し早足に速度を変えながら「今行くね」と打ち返す。
しばらくは、『たいせつ』と『らいおんハート』、『セロリ』や『ココカラ』を聴いて待っているから。
56枚目のシングルは、幸せで穏やかな……。これから先をずっと誓うようなラブソングがいいなと、わたしはまだまだ期待している。
今のSMAPが歌う、「恋愛」だってどうしても聴いてみたいのだ。
駅では、好きな人が待っているから。
(文:中前結花、イラスト:オザキエミ)
※この記事は2021年03月09日に公開されたものです