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「一人が怖い」と感じる本当の理由

#ソロで生きる

荒川和久

結婚をしない人生ってどうなんだろう。揺れるアラサー世代。結婚願望もそこまでないし、結婚せずに生きていく未来も想像する。実際のところどうなの? 独身研究家の荒川和久さんに「ソロで生きる」ことについて、さまざまなデータなどを元に教えてもらいます。

一人でランチをしていると「一人で食べてて寂しくないの?」と声をかけてくる人がいます。

ただ、本人には悪意がない場合も多く、「一緒に食べましょう」という言葉がその後に来る場合もありますが、ソロランチをしている側からすると「一人でご飯を食べることがなぜ寂しいのか?」と疑問に思うことでしょう。

今回は、独身者の「孤独」や「一人でいること」について考えてみます。

「コロナ禍で孤独を感じる人が増えた」説は事実なのか

コロナ禍において、外食機会も減り、そもそもリモートワークによって会社に行く機会が減った人も多いでしょう。また、家族と同居している方を別にして、一人で食事をする回数は激増したことと思います。

それをもって「コロナ禍で孤独を感じる人が増えた」という論法を展開する人もいるのですが、果たして事実でしょうか?

もちろん、友人などと会って、ワイワイ楽しく食事をする機会を失われたことでの寂しさを感じる人もいるでしょう。

しかし、そもそも、朝昼晩の三度の食事を元々ほぼ一人で取ってきたソロたちにとって、コロナ前もコロナ禍中も、何ら変化はありません。不便を感じているとすれば、いつも外食で訪れていた店が休業などで利用できなくなったことくらいでしょう。

食事に限らず、「孤独」や「一人でいること」を、ことさら悪の権化みたいに扱う人がいます。

そういう人は、「孤独は健康に悪い」という海外の研究論文などを引用したり、2018年にイギリスで任命された孤独担当大臣の例を挙げて、「孤独は国を挙げて取り組む社会問題である」とまで主張したりします。

「一人になりたい」気持ちも存在する

しかし、「一人では寂しい」と感じる人がいる一方で、「一人が快適だ」と感じる人も存在します。

また「一人では寂しい」という人の中にも、今回のコロナ禍において、終日家族で過ごすようになり、「一人になりたい」と感じる人も多いのではないでしょうか。

実際、人間というものは、「一人では寂しい人間」と「一人が快適な人間」の2種類に分けられるものではありません。誰かと一緒にいたい時間もあれば、一人の時間も欲しいという両方の気持ちを持っているものです。

要するに、バランスの問題であって、絶対的指標として「孤独は悪」などと定義できません。

「結婚しないと孤独死する」恐怖訴求は間違い

それでも、無理やりランチに誘ってくる人と同様に、いつまでも結婚しないで未婚のままの人に「そろそろ結婚した方がいいんじゃない」とお節介をしてくる人もいます。「老後、一人ぼっちになると寂しいわよ~。孤独死しちゃうわよ~」などと恐怖訴求をしてきます。

しかし、お言葉ですが、「結婚しないと孤独死する」は間違いです。正しくは「現在、孤独死している人のほとんどが、かつて結婚していた」ってことなんです。

孤独死は高齢者に集中しています。よく考えてみてください。孤独死の多い高齢者世代は、ほぼ100%が結婚する“皆婚時代”を生きてきたんです。

たとえ結婚したとしても、配偶者と同時に死ぬわけではないので、どちらか一方は必ず独身に戻ります。離婚によって独身に戻る人も少なくありません。

そのため、結婚したからといって孤独死しないという保証はありません。

寂しさは「心の有り様」に左右される

配偶関係がどうあれ、居住環境が単身であれ、物理的な状況が一人であったからといって、それがすなわち孤独ということにはなりません。寂しさはその人の外側の環境で感じるものというより、むしろその人の内側の状況(心の有り様)に左右されます。

出生動向基本調査によれば、「一人の生活を続けても寂しくない」という未婚者の率は年々増加して、2015年時点で、18〜34歳の男性では48.4%とほぼ半数に達しようとしています。女性も36.2%とほぼ4割です。

無論「一人は寂しい」と感じる人もいるでしょう。ですが、自分が寂しいからといって、世の中の全員が「一人は寂しい」のだと決め付けてしまうのはいかがなものかと思います。

実は、「一人は寂しい」から自分の周りに誰かがいてほしいと考えてしまう人ほど、「誰かと一緒にいても寂しい」人なのではないでしょうか。

「孤独の外的条件」と「寂しさ」は別物

自分の外側に誰かがいれば安心する、誰かと一緒にいさえすれば私は寂しくない、と考えてしまうと、たとえその外的条件が満たされても(大勢の人達に囲まれていても)、誰とも心が通じ合っていない寂しさを実感させられてしまうものです。

哲学者・三木清は、「孤独が恐ろしいのは、孤独そのもののためではなく、むしろ孤独の条件によってである」と言います。

結婚していない、とか、一人暮らししている、とか、友達がいない、というのは孤独の外的条件の一つに過ぎず、それと「寂しい」という感情は別です。

それにも関わらず、外的条件が満たされれば寂しくないと因果を結び付けてしまうと、むしろその先に待つのは圧倒的な心理的孤独なのだと思います。条件を整えれば、寂しさの感情が払拭されるわけではないからです。

完全な自由を与えられると“無自由”になる

私たちは、誰かとのつながりなしには生きられません。人とのつながりは大事です。でも、だからといって、いつも誰かと一緒である必要はありません。

人間は、不自由な制限がある中でしか自由を感じられないものでもあります。完全な自由を与えられると、人間は不自由を感じない代わりに“無自由”となります。自由の価値が消滅するということです。

それと同様に、実は、一人を楽しむことは、誰かと一緒の時間がないとできないんです。

一人の部屋に帰ってほっとできるのは、それまで会社や外で誰かと一緒にいたからそう思えるんです。逆にずっと一日中一人で過ごしていたら、「一人の価値を感じられない」のです。

つまり、極度に「一人が寂しい」と感じる人の方が、人とのつながりがない人といえるでしょう。

「一人十色」の自分を生み出そう

僕の提唱する「接続するコミュニティ」という言葉があります。前回の記事で、これからは「所属するコミュニティから接続するコミュニティへ」というお話をしました。

必要に応じて、広く浅くたくさんの人と接続することの意味は、自分の外側に友達を作るためではありません。自分の内側の自己の多様性を育むためです。

たくさんの人とつながれば、それだけ多くの新しい自分が自分の中に芽生えます。いつもと同じメンバーだけとの交流では、新しい自分はそうそう生まれてきません。

そして、いろんな人たちとの関係性の中から生まれる複数の自分は、いろんなタイプがいるはずです。それらは全員「本当の自分」です。

いわば、「一人十色」です。

「一人十色」とは、自分の中には複数いる自分の存在を自分自身が認めてあげるということです。「人とつながる」ことで生まれた十色の彩りとは、柔軟性であり、適応力でもあります。いざという時に頼れる自分が10倍になるということであり、可能性も10倍になります。

自分の中の多様性を生み出そうと意識することは、結果として、自分の内側にたくさんの自分自身で充満した内なるコミュニティ=インサイドコミュニティを構築することにもなります。

それは、自分自身の中に「安心できるコミュニティ」を作り出すということでもあります。そして、そこは人との関係性の中で生まれた「八百万(やおよろず)のあなた」で充満する世界です。

あなたが一人を怖がる理由は?

寂しさというものは自分の外側で感じるものではない。自分の内側に誰もいないから感じるものなんです。

「一人が寂しい、寂しい」と言う人は、自分の外側にどんなにたくさんの人を集めても解決しません。自分の内側を充満させない限り、その寂しさは消えないでしょう。

あなたが一人を怖がるのは、「あなたの中のあなたが足りない」からです。

(文:荒川和久、イラスト:coccory)

 

荒川和久

独身研究家。早稲田大学法学部卒業。自動車・飲料・ビール・食品・化粧品・映画・流通・通販・住宅等幅広い業種の企業プロモーション業務を担当。
独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。
著書に『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『超ソロ社会―「独身大国・日本」の衝撃』(PHP新書)、『結婚しない男たち―増え続ける未婚男性「ソロ男」のリアル』(ディスカヴァー携書)など。
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