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一人じゃないのに寂しい「つながり孤独」の正体

#ソロで生きる

荒川和久

結婚をしない人生ってどうなんだろう。揺れるアラサー世代。結婚願望もそこまでないし、結婚せずに生きていく未来も想像する。実際のところどうなの? 独身研究家の荒川和久さんに「ソロで生きる」ことについて、さまざまなデータなどを基に教えてもらいます。

「一人でいることが好き」という人がいる一方で、「一人でいるのは苦痛で耐えられない」という人がいます。

前者の人なら、食事を一人で食べることも、一人で旅行に行くことも、全く苦にならないのですが、後者の人にはそれが理解できません。

前者がどれだけ「一人でいても全然寂しくない」と言っても、信じてもらえません。それどころか「強がらなくていいんだよ」などと謎に慰められたりします。

この両者の違いはどこに起因するのでしょうか。

「一人が寂しくない」と感じている人の心理

そもそも、「一人が寂しくない」と思う未婚女性(18~34歳)は、2015年の出生動向基本調査でも36.2%と4割近くいて、2010年から比べれば1.3倍に増えています。

一般的に、一人でいることはネガティブにとらえられることが多いのですが、1958年イギリスの小児科医で精神科医のウィニコットは「一人でいること」のポジティブな面に注目し、「一人でいられる能力(the capacity to be alone)」を提唱しました。

彼は、「一人でいられる能力」獲得には、幼児期に母親と一緒にいて一人であったという体験が必要であると言います。

「一緒にいて一人」というのは分かりにくいかもしれませんが、要するに、「母親がすぐ近くにいて、いざとなれば助けてくれると確信しているからこそ、幼児は安心して一人で遊ぶことができる」という状態のことです。

もちろん、生まれたばかりの赤ん坊には、とうてい無理な話です。泣けば、お乳をくれ、おしめを替えてくれる母親に全て依存しきっているわけですが、そうした中で「いつも母親は傍にいる」という体験が積み重なると、目の前に母親がいなくても「見捨てられることはない」という安心感で落ち着いていられるようになります。

もう少し長じて、たとえ母親がその場に一緒にいない時間があったとしても、子どもは一人遊びができるようになります。それが子どもの心に小さな自立心を育むのです。

たとえ物理的な状態として、一人であったとしても、自分の内面において、そこに誰かがいるという認識があれば、心理的孤立を感じなくなるのです。ウィニコットは、それを「母親の内在化」という難しい言葉で説明しています。

つまり、「一人でいられる」ということは、逆説的ですが「自分は一人ではない」ことを感じられるということです。それは決して、実在する「誰か」が現実にそこに存在しなければいけないものでもなく、心の中にいる大事な存在というイメージでもいいわけです。

この、一人でいても不安にならない状態が発展すると、物理的に一人でいても、心理的に孤立感を感じなくなる。すなわち「ソロで生きる力」へと発展していきます。

逆に言えば、「誰もいない」と感じると、人間は「一人ではいられない」ということになります。

「一人でいられない」人間というのは、常に誰かと一緒にいようとし、行動を共にしようとしますが、それは自分の外側に「誰か」を置くことで安心を得ようとすることであり、皮肉にも、そういう人は、たとえ誰かと一緒にいたとしても孤独を感じてしまいがちです。

「つながり孤独」の正体とは

「つながり孤独」という言葉があります。

「つながり孤独」とは、リアルでもSNSでも“多くの人とつながっているのに孤独”を感じる現象のことを指します。

「人とのつながりがあっても、自分はその誰からも理解してもらえてない気がして孤独を感じる」という状態。一緒にご飯を食べても、遊びに行っても、周りを人に囲まれているのに孤独に陥ってしまうのです。

しかし、これは、そもそも「人とのつながり」と言えるのでしょうか。自分を理解してもらうために人とのつながりがあるのでしょうか? 自分を理解してもらうための道具としてつながる相手の人間は存在するのでしょうか?

「ネット上で、友達が別の友達ととっても楽しそうにしている投稿を見て孤独を感じます」という声もあるようですが、これの場合、感じているのは「孤独」じゃなくて「妬み」です。

どっちかというと、その「妬み」の感情を持つ自分をごまかすために、自己防衛的に「孤独で寂しい」という別の感情の衣を着せているだけなのです。

結局、「つながり孤独」というものは、「いい会社に入れば幸せになれる」「結婚すれば幸せになれる」と同様、「誰かと一緒にいれば寂しくない」という状態依存です。

本当の「つながり」とは何か?

「自分を理解してもらいたい」とかの理由でつながりたいという人は、根本的に考え方や視点を改めてみる必要があるかもしれません。そういうあなたは自分で自分自身を理解しているでしょうか。

多分、理解してない。残念ながら。

自分が理解していない自分を赤の他人が理解することなどできません。もっと言えば、「誰かに理解してもらう」なんてこと自体が幻想なのです。そんな幻を追い求めているから、つらくなるのです。

誰も分かってくれない?

それが当たり前です。相手は超能力者じゃないんですから。

表面上、分かったような顔をしていたって、誰もあなたのことなんか分からない。それはあなただけじゃない、全員そうだし、あなたも他人の事は分かりはしないのです。

本当の「つながり」は、自分とつながること

では、本当の「つながり」って何か?

誰かとつながることで、自分の中の新しい自分自身と、今までの自分自身とが「自分の内面でつながる」ことです。

他人とつながるんじゃない。自分とつながるのです。

誰かと会ったり、話したり、行動したりすることは、その誰かとつながることが目的なのではなく、それを通じて自分の中に生まれた新しい自分とつながるためなんですよ。

言い換えれば、あなたがあなた自身を理解するために向き合うことこそが、「人とのつながり」なんです。

前述の「一人でいられる能力」とは、まさに母親がもたらす安心感を自己の内面に生み出したからこそ得られる能力です。いつも見守ってくれている母親とのつながりによって、自分の中に「新しい自分=母親との関係性において存在する自分」を自分で認知したことを意味します。

「誰かと一緒にいないと寂しい」と感じる人は、結局「誰と一緒にいても寂しい」のです。それは、究極的には、自分の内面に誰もいない空虚がもたらす心理的な孤立です。

「一人でいられる人」は「つながりを大事にできる人」

自分の外側をたくさんの友達で埋め尽くそうとするよりも、一人ひとりの人間との出会いや会話によって、自分の中の新しい自分を都度生み出し、自己の内面を新しい自分で埋め尽くしてほしいのです。

大事なのは、自分の内面を充実させるのは自分だけの力ではできないことを理解することです。必ず誰かとの交流による刺激や体験が必要になります。

だからこそ、「一人でいられる」人は、「人とのつながり」を大事にできるし、他人を思いやることができるのです。

「ソロで生きる力」とは、誰とも接触しないで、一人でいる状態に耐えられる我慢能力ではありません。「誰の力も借りず生きていける」というのは、それは「一人でいられる人」ではなく「一人になってしまった人」であり、それはそれで寂しい人なのです。

他者に依存することが悪いのではありません。

私たちは、生きる上で、必ず誰かに依存しています。むしろ、たくさんの人を依存先として持った方がいい。依存先が多ければ多いほど、あなたの中に新しい自分が芽生えるからです。

避けるべきは、自分のアイデンティティが唯一無二のものだと勝手に考えてしまうことです。確固たる自分とか、本当の自分なんて存在しません。あなたがあなたでいられるのは、他者との関係性の中にあるからです。

たくさんの他者とつながり、それぞれの他者との関係性の中で、たくさんの自分を生み出してください。そして、生み出したたくさんの自分自身に依存すればよいのです。一人が寂しくないのは、そうした無数の自分に満たされているから。

「一人でいられない人」こそ、「一人ぼっち」なのです。

(文:荒川和久、イラスト:coccory)

※この記事は2021年01月28日に公開されたものです

荒川和久 (独身研究家・コラムニスト)

独身研究家/コラムニスト。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。

韓国、台湾なども翻訳本が出版されるなど、海外からも注目を集めている。

著書に『結婚しない男たち』(ディスカヴァー携書)、『超ソロ社会』(PHP新書)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『結婚滅亡』(あさ出版)など。

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