「寂しい」「淋しい」の違いは? 意味や使い分けを解説
「寂しい」「淋しい」の読み方
続いては、「寂しい」「淋しい」の読み方について解説していきます。
「さびしい」「さみしい」は、どちらが正しい読み方?
ここまで「寂しい」「淋しい」のいずれも「さびしい」と表していますが、もう1つ「さみしい」という読み方もあります。
もしも平仮名で書く場合、どちらが正しいのでしょうか?
結論から言うと「寂しい」「淋しい」の両方とも「さびしい」「さみしい」と読むことができますが、新聞などのメディアや公文書では「寂しい(さびしい)」に統一されています。
これは、常用漢字表にある「寂」の読みに「さび(しい)」は載っていますが、「さみ(しい)」は載っていないためです。
日常会話において口頭で伝える場合には「さびしい」でも「さみしい」でも構いませんが、公的な文書に平仮名で書きたい場合には「さびしい」が無難だといえるでしょう。
「さびしい」と「さみしい」のニュアンスの違い
たいていの場合、どちらを使っても問題はありませんが、もしも「さびしい」「さみしい」を使い分けたい場合には、次のように考えると良いでしょう。
古くからある表記は「さびしい」で、次の両方のニュアンスで使えます。
・「さびしい山村」「さびしい駅前」……さびしさを感じさせる前提がある。客観的。
・「さびしい日々」「夫に先立たれてさびしい」……あるはずの人・物・金がない。情緒的。
一方「さみしい」は、情緒的であったり、孤独であったりする場合に適しているので、「さみしい山村」「さみしい駅前」と表すのはあまり似合いません。
「さみしい日々」「夫に先立たれてさみしい」と表す方がより良いでしょう。
使い分けに迷ったら「意味を知り、ルールを作る」
今回は、迷いがちな「寂しい」「淋しい」の使い分けと、読み方について説明しました。
「寂しい」「淋しい」には国語的な意味の違いはありませんが、「寂」「淋」の漢字にフォーカスを当てて比べると、ニュアンスに違いが見られます。
客観的事実が与えるさびしさを表現するには「寂しい」、心情面でのさびしさを表現するには「淋しい」が、それぞれ適しているといえるでしょう。
私的な手紙やメールではどちらを使っても問題はなく、ビジネスシーンでも、日常的なメールやメッセージであれば窮屈に考える必要はないでしょう。
ただし、ホームページやビジネス文書などで使い方のルールがまちまちだと、読み手も戸惑うことがあります。
表記を統一しておくことが必要となった際のためにも、意味の違いを知っておくとなお良いでしょう。
(前田めぐる)
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※この記事は2020年09月22日に公開されたものです