ドキドキはいらない。「令和の結婚」に必要なものとは #令和の恋
新世代のモテコンサル勝倉さんが、毎回異なるテーマで「令和の恋」を大予想するコラム連載! 平成の古い価値観をアップデートして、令和女子らしい自由な恋愛観を提案します。
こんにちは、モテコンサル勝倉です。
連載「令和の恋」第4回は、「令和時代の結婚観」について分析したいと思います。
愛とかロマンティックとか、言ってる場合じゃないよ
端的に結論から言おう。
令和に結婚はマストだ。というか、したほうがいい。
しかしそれは、従来の一般的なイメージのように、「運命の恋の果てに……」とか「永遠の愛の証明に……」などという甘ったれたコンセプトによるものではない。
令和は、生きるため、この世知辛い世の中をサバイブするために、結婚するのだ。
愛だ恋だ、ときめきだ?
胸がドキドキする人がいい?
甘ったれたこと言ってんじゃないよ!
とっくにそんな余裕のある時代は過ぎ去ったんだ、気づいてくれ頼む。
令和は、「おひとりさま」がしんどくなる時代
「おひとりさま」の地位が向上し、「結婚しなくても楽しいし〜♪ 独身最高!」な論調も一般的になってきた昨今。
それはもちろんいい。生き方の多様性が認められるのは喜ばしいことだ。
しかし、実際問題なんだけど、ひとりで生きるのってキツくないっすか?
だって「景気がいい」らしい昨今でさえ給料もロクに上がらず、社会保険料や税金は増えて可処分所得は減る一方。
それに加えて終身雇用もおぼつかないし、年金もどうなるかわからない。寿命はどんどん延びていって、蓄えなきゃいけない老後費用は数千万にのぼるらしい。
冷静に考えて、これをひとりで生き抜くのって、けっこう無理ゲーだなあと思いません?
だって、自分が動けなくなったらアウトでしょ。
病気でもしたらせっかく貯蓄したお金も吹っ飛びかねないし、人生は本当に何があるかわからない。企業や国に頼りたくなっても、肝心の彼らが頼りにならなくなってきているではないか。
だから、令和こそ、結婚が必要なのだ。
この世の中を、支え合ってともに生きる「パートナーシップ」という意味合いで。
結婚にラブい夢見てるんじゃないよ
昭和後期~平成は恋愛結婚が全盛で、激しい愛の結実の果てに結婚するのが最上の形とされていた。
だから今でも、「胸のドキドキが止まらない大好きな相手と運命の結婚がしたい!」と夢見る女子が一般的だろう。
しかしそんな風に思える人、今まで何人いました? 何人もいないんじゃないですか?
意外と知られていないようなのであるが、そんなふうに思える男性って実は非常に少ないのである。
これはある種のトラップで、ドラマやマンガの影響で、そういう恋愛が一般的なように錯覚してしまう。
しかし、心から燃え上がることのできる恋愛なんてそうそうあるもんじゃないのだ。希少だからこそ、ドラマになるのである。
そんなレアもんを追いかけていたら、あっという間におばちゃんになって結婚市場から退場する憂き目に遭うであろう。
実際そういう観点で結婚相手を探し続け、「いい人なんだけど、ドキドキできない!」とか言っていつまでも疲弊している人も散見されるではないか。
そして悲しいのが、そうまでして追い求めたドキドキは、いつか冷めるということ。
「恋はいつか冷める」というのは、各種の研究結果で結論が出ている。ドキドキはそれゆえに短命で、そもそも長期的な関係の結婚に求めるのはナンセンスなのである。
胸がときめく運命の相手という、ツチノコ探しに時間を浪費するのは賢い選択とはいえないので、早く目を覚ましてほしい。
いま必要なのは「肩を組んで一緒に走れるパートナー」
ひとりで生きるのがしんどくなるこれからの時代、結婚相手に必要なのは短期的な「ドキドキ」ではなく、もっと長期的に価値を発揮するものだ。
結婚とは「二人三脚のマラソン」である。
いかに2人でペースを合わせて走り続け、ちゃんと完走できるかが問われるスポーツ。
そのために必要な要素は、一緒に無理なく走れるくらいの相性や価値観の一致とか、ペース配分をするための話し合いができる能力とか、最後までともに走れるくらいの協力体制・信頼関係とか、そういうパートナーシップを構築する上で重要なものではないだろうか。
令和の結婚に、ドキドキはいらない。
そういう視点で考えてみると、結婚って意外とすぐそばにあるかもしれませんよ。
ハッピーラブライフを送りましょう♡
(文:モテコンサル勝倉、イラスト:たまごひめ)
※この記事は2019年09月04日に公開されたものです