10年間、私を振り回す男 #私が出会った悪い男
忘れもしない。ていうか、絶対忘れられない。
私がその男に出会ったのは2009年11月14日、土曜日の昼下がりだった。その出会い以来、私はその男の奴隷だ。
その男と出会った瞬間から私のまわりの人間はその男を褒め称え、崇めた。皆、その男の機嫌が悪くなると慌てふためき、時には私のせいだと責めさえした。
出会ったばかりのころの私は、この男のせいで不安定になり、よく夜中に泣いていた。眠りの浅いこの男を決して起こさないように声を潜めて泣いた。この男の前で私は声を出して泣くことも許されなかった。
いや、もしかしたらそれを許さなかったのは私自身かもしれない。いまならそう思う。あのときの私と同じような境遇の女性がいたら伝えたい。
つらいなら声を出して泣いていいと。
その男はいままで会ったどの男よりも、何もしない男だった。食事を決めるのも私、どこかへ出かけようと連れ出すのも私。そして金を出すのもすべて私だ。
ただ本能的に人を惹きつける魅力をもっていて、普段はブスッとしているがにこっと笑うものなら老若男女すべてを骨抜きにした。私もその男に完全に気持ちも日常も人生までも、あっという間に支配された。私を愛しているはずの家族や友人でさえ、そんな私を心配もせずその男を賞賛し続けている。
出会いから今年で10年。私はいまもその男と暮らしている。
10年の歳月でその男にも変化はあった。機嫌がいいときは私に協力してくれることもわずかながらにはある。それでも相変わらず戸締りさえ危ういし、靴下のひとつも自分で用意しない。
この男は環境に非常に恵まれていて、あらゆる面でいろんな人にサポートされ、尽くされてすごしてきた。そしてそれを当たり前と1ミリも疑わずに今日という日を生きている。この男の友人はなぜか気のやさしい男ばかりで、私が言うのもなんだが、こんなわがままな男となぜ友だちでいるのかと不思議に思うこともある。
最近は、好きな海外有名ブランドのウエアしか着ない。昔はユニクロでもなんでも着ていたのに。私はそんな大きなブランドロゴがついているものより、シンプルな服を着てほしい。てか、働いてもないんだから文句言わずに着てほしい、ユニクロ。
いまとなっては手をつなぐことも、キスをすることも、拒んでくる。私といるところをほかの女に見られたくなさそうな気配さえある。この男からメールが来たと思えば、短い連絡事項のみ。電話をかけるとバイバイさえ言わずにガチャ切り。
この男と私にできた距離は、日に日に大きくなっている。おかしい、そう思っていた先日。
偶然、私の噂好きの友人に告げられた。私の男に新しく好きな女ができたらしい、と。
不思議とショックはなかった。それが当然だという気さえした。ああ、やっぱり。
こんな日が来るような予感は、出会った日からあったのだ。私が悪い。私が勝手に愛して尽くして世話を焼いただけ。この男がぎゅっと手をつないでくれるとき、抱きついてくるとき、これ以上ない幸せを感じると同時に、この幸せはいつか終わるという切なさで胸がいっぱいになった。
それに、私があの女に敵うわけがない。よりによって私の知っている女を好きになるなんて。野に咲く花のように可憐な女。小さな顔にすらっとのびる長く細い手足。私を見かければにっこり挨拶をしてくれる愛嬌のよさ。私なんかが敵う相手じゃない。
なにより、私よりずっと若い。
私はどうしても真実を知りたくて、いつものようにソファに寝転がってテレビを見ている男に洗い物をしながら聞いた。心臓が波打つ。
「ねえ、○○ちゃんが好きなの?」
その瞬間、男は激昂した。ソファから立ち上がり顔を真っ赤にし、私を睨みつけて怒鳴った。
「好きじゃない! 二度とその話はするな!!」
リビングに響きわたる声を聞きながら、私は確信した。
ぜったい惚れとるやん。
だって10年もこの男を一番そばで見てきたのは私。どんなときも支えてきたのは私。この男のことならなんでもわかる。
そのときだった。私の携帯が鳴る。通知は、この男の担任の先生からだった。
嫌な予感がした。電話に出る前からこの男に怒りがわく。
「Jくんのお母さん、Jくんが今週一度も筆箱を持ってきていません」
電話口で平謝りしたあと、この男を見る。テレビに映ったYou Tuberのひとっつもおもしろくないギャグにゲラゲラ笑っている。なにがブンブンハローだてめえ。ニュース見せろや! 洗濯する前に天気予報見せろや! そらジロー出せや、こらああああ!!!!
怒りの沸点が頂点に達し、リモコンを奪って勢いよく電源を切る。
「おい、J!! 筆箱どこやってん! 先生から電話あったぞ!」
男は私の形相を見て青ざめる。ソファから飛び上がり自分の部屋へダッシュする。そのうしろ姿に大きく描かれたPUMAのロゴを眺める。何あれ、ヒョウなの? トラなの?
筆箱には粉々になった消しゴムと全部折れてる鉛筆しか入ってないし、毎日PUMAの真っ青なジャージしか着ないし、足はめちゃくちゃに臭いし、友だちのキックボードを勝手に乗り回すから菓子折りもって謝りに行かなきゃだし、漢字テストは毎回30点以下をキープするし、墨汁のキャップっていうキャップ界でも一番なくしちゃいけないキャップなくすし、「それ友だちがやった」とか倫理観ゼロの嘘ついてくるんだけど、惚れたのは私だから仕方ない。
そう、息子こそが私の悪い男。
最後に、この男の筆箱に入っていたえんぴつ削りをご覧ください。
悪い男だわ~。
(文:オカン/マイナビウーマン編集部、イラスト:矢島光)
※この記事は2019年03月13日に公開されたものです