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「草食系男子」は誰も傷つけないのか? #平成恋歴史

鈴木涼美

もう10年近く前、私が大学院を修了して新聞社で働きはじめたころ。5歳下のバイトの男の子に、数年前に雑誌のグラビアとして撮った、すごく小さい面積の水着を着た私の写真をふざけて見せたことがある。たしか、仕事で使う記者証に貼りつける写真が必要で、「これじゃダメだよね?」なんていう軽い冗談のノリだったのだと思う。

ただ、そこで返ってきた言葉が、私の常識とか26年間生きてきた経験則とかお約束の展開とか、そういうことを超越したもので、私は10年経った今でも軽い衝撃とともにそのときの彼の言葉をはっきり覚えている。

「寒そう……」

え……。たしかにそのグラビアは2月に沖縄の古城みたいなところで半裸で撮影したわけだし、2日目にはビーチに横たわってポーズを決めている最中に雨が降ってきたので、撮影が終わるとすぐにホッカイロつきのバスローブを羽織るくらいには寒かった。

だけど、撮影隊も編集者もマネージャーも私自身も「寒そう」という感想を引き出すためにわざわざ沖縄に行ったわけではなく、「エロいね」とか「かわいいね」とか「目のやり場に困るよ」とか、そんな殿方からの賞賛を想定し、そこまで顔がかわいくなくともそういうお決まりの反応が出てくることをあまり疑っていなかった。

数年後に会社のバイトくんに突然写真を見せたそのときも、せめて「今とイメージちがいますね」とか「スタイルいいですね」くらいのお世辞は聞けると思った。あるいは「ちょっとふざけないでください」とか「仕事中にそんなもん見せられても」という叱責や拒絶なら、少しショックだけどまだ理解できるレベルだ。ただそこで、男性ってだいたいこういうもんでしょ、という私の偏見や先入観の範囲から突き抜けた彼との会話が、たぶん私にとって最初の草食系男子原体験なんだと思う。

草食系男子という言葉の生みの親といわれる深澤真紀さんは、「積極的ではない」「淡々とした」とその特徴を捉えた。書籍『草食系男子の恋愛学』を書いた森岡正博さんは「新世代のやさしい男性」「男性らしさに縛られていない」などと定義している。

たしかに男性の反応はこうあるべきという「らしさ」には縛られていないし、面積の小さい水着を着て石に寝そべったら寒いというところまで想像してくれるなんてやさしいし、半裸の女性を見ても大変淡々としている。少なくとも、乳の谷間見せれば男性はだいたいヨダレ出すでしょ、なんて世の中をわかった気になっていた私なんかよりはずっと視点が自由だとは思った。

でも正直、なんてやさしいのとか、なんて自由なのとかいう衝撃よりも、不思議さや謎だと思う気持ちのほうが大きかった気がする。こういう男の子たちと恋愛やセックスをしていく女の子たちは、どんなふうに思うんだろう。たった5歳差でも、私には彼を攻略する術はきっとない、という気分だった。

20歳前後の男の子なんて日々の性欲からはそう簡単に逃げられないだろうし、日々ナンパして日々女の子を口説いて日々フラれて傷ついて日々プライドを押し曲げられて、世の中には思うようにいかないことも多いし、頭を使わないとほしいものは手に入らない、なんてことを学んで大人になるのでは。

そんなふうに思えてしまう私は、彼らほど高度に近代化されていないし進化が遅いというのは認めるけど、やさしくて誰かを傷つけたりしない、と定義される彼らが、「誰かを傷つけない」以上に「自分が傷つかない」ように見えるのが気になった。

男らしさに縛られない行動が誰かのためでも社会のためでもなく、自分のためなのだとしたら。それはやさしさというより処世術だし、進化というより適応だし、自由というより放棄な気もする。世の女性が、メディアが盛り上げるほど草食系男子に恋愛対象として食いつかなかったのも、「男の子は積極的なほうがいい」なんてコメントが飛び交ったのも、おそらく女の子たちがそういう彼らの逃げのような態度を敏感に嗅ぎ取ったからかもしれない。

あれから5年、10年と経って、世の中はさらに複雑な二極化を続けている。強引な態度や性欲が透けて見える行動は一部の女性に即座にセクハラやパワハラの刻印を押されて、下手すりゃ社会的生命を失う。一方で、一部の女の子は「お金持ちで贅沢させてくれる男以外いらない」なんてパパ活や素人風ラウンジに明け暮れる。右を見れば地雷だらけの荒野、左を見れば入ることすら拒否される鍵つきの部屋ばかり。

肉を食べれば地雷が爆発するリスクととなり合わせの状況では、たぶんライオンだって雑穀や草を食べるようになるし、地雷だらけの荒野に足をつかずに歩くような術を10年前から身につけていた草食系男子は、たしかに時代を先読みした高度な進化をしていたといえる。そのかわり、鍵つきの部屋の鍵をなんとか探そうと、収入を上げたり車を買ったりジムに通ったりするような、バカバカしいけど甲斐甲斐しい闘志と気概も放棄しているけど。

一緒に泊まれば必ず手を出す男子が高いリスクを背負わなきゃいけない昨今、一緒に泊まっても絶対手を出さない男子のほうが、たしかに誰かを傷つけて自分の社会的立場を失うリスクはない。立ち直れないほど傷を負う女の子が減ったのは何よりと言いたいところだけど、手を出されないで地味にダメージを受けている女の子の気持ちを、誰か気にとめているのかな、とも思う。そのダメージが積み重なって、事件化されないかたちの絶望を作っているかもしれないなんて、誰か気にしているんだろうか。

男の子がいろいろと鍵の種類も開け方もまちがえたまま、バンジージャンプ的な気合いでキスとかハグとかしていたころに女の子が持っていた幸福感が奪われてしまったのなら、やっぱりそれはやさしくって自由だなんて言うわけにいかない。

女の子だって恋愛においては時に非道徳的で不安定で強欲なものだけど、そしてけっこうずるいから男の子のリスクによってそれらは初めて満たされることもあるのだけど、そんな子たちの気持ちは時代に置いていかれたまま、もうすぐきっと風化する。

(鈴木涼美)

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※この記事は2019年03月03日に公開されたものです

鈴木涼美

社会学者、タレント、作家、元AV女優。書籍『AV女優の社会学』『身体を売ったらサヨウナラ』『愛と子宮に花束を』『おじさんメモリアル』『オンナの値段』など。

・Twitter:@Suzumixxx

・Instagram:@suzumisuzuki

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