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こじらせ女子とは? 特徴やこじらせる原因&脱却方法

ぱぷりこ(恋愛コラムニスト)

映画や漫画でも描かれる「こじらせ女子」。「こじらせ女子」という言葉は、ライター・雨宮まみさんの著書『女子をこじらせて』(2011年)で有名になりました。この「こじらせ女子」の意味ですが、どうやら当初とは変わってきているようです。ライター・ぱぷりこさんが最新の意味を詳しく分析します。

こじらせ女子」とは一体、どういう人のことをいうのでしょうか?

今回は「こじらせ女子」の意味や特徴、こじらせる原因、こじらせから卒業する方法などを紹介します。

もともとの「こじらせ女子」の意味

もともと「こじらせ女子」とは、「自分が女である」ことを素直に認められず、自意識や自己評価をこじらせた女性のことでした。

具体的には、下記のような特徴があります。

・世間がいう「かわいい女」像に自分を当てはめられない
・世間がいう女性像に当てはまらない自分に劣等感を覚える
・女としての自分を肯定できず、自信がない
・自分が女らしくないことについて、言い訳をして自信をつけようとする
・「女らしいもの、人」が苦手で、避けたり拒否したり見下したりする

「こじらせ女子」という言葉は、ライター・雨宮まみさんの著書『女子をこじらせて』(2011年)で有名になりました。雨宮さんは以前のインタビューで、こじらせ女子のことを「世間がいう『女のコって可愛いよね』の中に自分を当てはめられない女子」と語っています。

現代におけるこじらせ女子は「面倒くさい女」

雨宮さんが提唱した時点では「世間がいう女子像と自分にギャップがある女性」という意味合いがあるだけでしたので、当てはまる人が大勢いたでしょう。

しかし、「こじらせ女子」という言葉がはやると、ここに「面倒くさい女」という意味が加わってきます。

なぜ「面倒くさい」が加わったのかといえば、「世間がいう女像に自分を当てはめられない」女性のうち「自分を女として素直に認められず、劣等感とコンプレックスがある状態」の女性にフォーカスが当たったから。かつ「こじらせる」という単語のニュアンスが、こちらの意味にマッチしやすかったから。

「こじらせる」という単語は「物事を複雑化させて解決しにくくする」「病気が治りにくくなる」という意味です。「女をこじらせる」とは、「女としての自分に劣等感があり、その劣等感が複雑化して解決しにくい」状態を想起させます。

また、劣等感とコンプレックスがある女性の中には、自分で自分を認めたいために、「私は女っぽくないけど、わざとだから」「どうせ私はなにをしても無駄」と「言い訳」をしたり、「女っぽい女」を避けたり拒否したりする人がいます。

こうした女性たちにフォーカスが当たった結果、「世間が言う女性像に自分をあてはめられない女」「女性である自分を認められない女」というオリジナルのニュートラルな意味から、「女性っぽくない自分にコンプレックスと劣等感があって、自己肯定感が低い女」「言い訳をしたり、女性らしい女性を拒否したり見下したりして、自己保身する女」というネガティブな意味合いに変わっていったといえます。

たとえば、筆者のような「論理的に物事を話し、イヤなものはイヤといい、男尊女卑アレルギーがある女」は、世の中の「世間がいうかわいい女子」像を粉塵爆発させる存在ですから、雨宮さんが提唱する「こじらせ女子」です。

しかし、周囲からは「こじらせてないよね」と評価されています。なぜならマイノリティな女である自分を肯定していて、世間に合わせようとあまり思っていないから。

このことからも、世の中の人が考えている「こじらせ女子」は「女である自分を自己肯定できていない女」という意味合いが強くなっていると思われます。

こじらせ女子の特徴まとめ

▼雨宮さん提唱

・世間がいう「かわいい女」像に自分を当てはめられない

▼雨宮さん提唱からの派生

・世間がいう女性像に当てはまらない自分に劣等感を覚える
・女としての自分を肯定できず、自信がない

▼ネガティブなニュアンスへの派生

・自分が女らしくないことについて、言い訳をして自己正当化する
・「女らしいもの、人」が苦手で、避けたり拒否したり見下したりする

こじらせ女子になる原因

こじらせ女子になってしまう理由は、前述のとおり「女である自分を素直に受けいれられない」からです。この状態になるには、いくつかの原因があります。

(1)容姿の劣等感が強い、容姿でトラウマ経験がある

「かわいい女子」に自分を当てはめられない理由として、容姿は大きな影響を与えます。

特に中高時代は、残酷なほどに容姿によって人気の差異が出ます。

共学に通っていて、男子学生から見た目をバカにされたり、いじめられたり、あからさまにかわいい子と扱いがちがったりすると、「かわいくない自分には価値がない」「見た目のせいで女なのに女扱いされない」と、10代で重いトラウマを抱えることになります。

女子高出身者はこのような「容姿による明確な差別」が共学ほどないため、10代でのトラウマにはなりにくいですが、大学でルッキズム差別にさらされる可能性があります。

(2)「女とはこうあるべき」像を周囲から押しつけられて見下される

「ふるまい」について「女はこうあるべき」像を押しつけられると、うまくその「べき」像に当てはまらない自分とのギャップに苦しむことになります。

「女はこうあるべき像」とは、「男性を常に褒め、後ろに下がるおしとやかな女」「口答えしない女」「いやなことを言われても明るく笑って受け流す女」「自立よりも男性にうまく依存できる女」といった、ジュラ紀に滅びたはずの「いい女」像などが代表的です。

両親や親族一同からこうした「女はこうあるべき」を押しつけられ、「お前は本当に女として失格だ」「そんな態度では結婚できない」などと罵られることにより、「自分は女っぽくないから見下される存在だ」と自己肯定感をめきめき下げることになります。

(3)「女とはこうあるべき」と自分で思い込んでいる

周囲から押しつけられる「女はこうあるべき像」のほか、自分で「女はこうあるべき」と思い込んで、自分で自分を縛っている場合もあります。

憧れの女性や身近な女性らしい女性を理想として追い求めるも、「自分は違う……」と落ち込むことなどが挙げられます。

実際は、周囲からの押しつけと自分の理想の両方によって「理想の女像」を固定している場合が多いです。

(4)「自分は自分」と割り切れず、他者と比較する

たとえ周囲がいう「女性らしい女性像」と違っても、「私は私!」と割り切って自己肯定できていればこじらせません。

こじらせ女子がこじらせるのは、自分を絶対評価で肯定できず、どうにかして「他者と比べて自分を認めたい」という相対評価にとらわれているためです。

自分と他人を比べたら「自分は女として劣っている」と思ってしまうので、「自分は一般女子より個性的だから大丈夫」など、「女性らしい女性」と比べて優れたところを見つけて、自信を得ようとします。

(5)同じ境遇や同じ考えを持つ人がまわりにいず、孤立している

たとえマイノリティでも、周囲に仲間や理解者がいれば「私は私のままで大丈夫」と思えるものです。

しかし、周囲に自分を理解してくれる人がいないと、「周囲が正しくて自分は間違っている」「だから修正しなきゃ」「でも無理」とひとりで抱え込んで進退窮まり、自己肯定感が上がりません。

以上の理由により「自分は女なのに女らしくない」「理想と自分は違いすぎる」「自分はだめだ」と自己肯定感を下げていきます。

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