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女の人生は学習の連続! 遊女は「身請け」後も大変な人生を歩んでいた

堀江 宏樹

着物

家族や夫の借金のカタとして売られた女性が、遊郭に連れてこられる時期はまちまちです。一般論ではありますが、少女時代から「禿(かむろ)」として、遊女のアシスタントをしていた場合、初めて客を取った年齢から約10年間ほどの労働の結果、自由の身になれました(江戸の吉原をはじめ、京都の島原などなど、全国には多くの遊郭街が点在していましたし、共通ルールというようなものはあまりありません)。

当時は●歳以上を一律で成人とするというようなルール自体がほぼ、ありませんでした。初潮を迎え、14歳~15歳くらいになった少女を、吉原では「成人した」とみなし、客をとらせていたのですね。成人後か、成人に近い年齢で売られてきた女性の場合は、20代後半(一説に28~29歳)まで遊女として働かされることも多かったようです。

一方、「年季」の途中でも、遊女の勤めをやめる手段はありました。

(特に江戸中期くらいまでの)人気遊女は、小規模の藩での話なら、殿様の側近であるご家老と同じくらいのサラリーを取っていたわけです。売れっ子遊女なら借金など余裕で返せるはずだし、早期リタイアも可能だと読者は思うかもしれませんね。しかし、吉原では利子が現在の法定利息の何十倍、何百倍と高かったのです。
遊女の夫や家族が、彼女を売り飛ばして手にしたお金は、わずかな間に高利で膨れあがってしまいました。遊女が自分で稼いだお金で「足抜け」するのは実質的に不可能だったのです。
結局、頼りにできるのはお客だけで、彼らに多額のお金を、遊郭に支払ってもらうことで、「身請け」してもらうことはできました。しかし、この時、男性が支払う現代の価値にして何千万円というお金はビタ一文、遊女の懐には入りません。こちらの額もいくら、というルールはなく、男性側と遊郭側が交渉を重ねて、折り合いをつけました。

こうして身請けした遊女を本妻にする男性もいましたが、基本的にはお妾さん枠です。別宅を与えられ「自由の身」になったとはいえ、実質的には男の顔色をうかがい、カゴの鳥のままで暮らさざるをえません。また、運良く本妻の座を手に入れられても、リッチな、堅気の男性の妻にふさわしい言動が取れるか……というとそれは難しかったみたいですね。

実際の家事労働は女中さんなどに任せていても、家の中のことは正妻の奥様が全て管理せねばなりません。しかし、遊女は遊郭にいる間、家事は勉強する機会がありませんし、自力で買い物することすらほぼ、ありません。これらは遊女として磨ける男あしらいのスキルとは別モノなんですね。遊女たちは色事以外の世事に疎かったわけです。

そうでなくても「元・遊女妻は、だらしなく、ムダが多く、お客にも気の利いたふるまいができない」というのが当時の世間常識。偏見も強かったでしょうが、人気遊女であればあるほど、客にチヤホヤされるように取りはからう機転の利かせ方くらいしか、他人への気配りを知らないはず。そういわれると否定はできませんよね。

人生の階段をのぼっていくとき、女性としてまじめに研鑽を日々積んでいないと、次のステップで失敗してしまう、というのは今でもよく聞く話です。女の人生は学習の連続だ、という真実は、江戸時代も現代も同じだったのでしょうね。

 

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著者:堀江宏樹
角川文庫版「乙女の日本史」を発売中
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※写真と本文は関係ありません

堀江 宏樹

プロフィール歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。

公式ブログ「橙通信」
http://hirokky.exblog.jp/


角川文庫版『乙女の日本史 文学編』が7月25日、幻冬舎新書として『三大遊郭 江戸吉原・京都島原・大坂新町』が9月30日にそれぞれ発売。

 

その他近刊に『乙女の松下村塾読本 吉田松陰の妹・文と塾生たちの物語』(主婦と生活社)、『女子のためのお江戸案内
恋とおしゃれと生き方と』(廣済堂出版)など。文庫版『乙女の日本史』ともども増刷中。

 

監修として参加の、音楽家バトルファンタジー漫画『第九のマギア』(メディアファクトリー)の第一巻も好評発売中!


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