男性の思い通りにはさせない! 一流遊女が使った男性操縦テクニック
遊女は「おっとり」としているほうが好まれましたが、それでも接客上、一番やらかしてはいけないことは威厳を失っているようにみえる行為でした。布団の中での接客時間が長いことは「長馬場」と呼び、軽蔑の対象だったのですね。それは「プロ」である遊女の間だけでなく、サービスを受ける男性からの評価も同じでした。
長時間サービスしてあげてるんだから、何の文句があるの、というのは素人の考えです。
退屈なデートほど何回も時計を見てしまいがち。逆に楽しくてたまらないデートでは時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。それと原理は同じなんです。
ハイランクな遊女ほど、おっとり振る舞ってはいても、男性を引っぱるチカラが求められました。お客を布団の中に連れて行く……つまり「床入り」の時点から、自然にリードするのは遊女側です。井原西鶴が『好色一代女』の中で書いているのですが、お客の方も、高級な遊女の前では、茶の湯の席に招かれたお客のように振るまいなさい、と。
客だからといって、えらそうに構えているのはダメなんですね。あくまで茶の湯の席が基準。おもてなしされるお客が、お茶をたててくれている主人に協力的に振る舞わねばならないように、お客も遊女の前では空気を読んで、上品に行動することが一番に求められたのです。すなわち遊女の美貌を褒めたり、いかに愛しているかを囁くことが必要だった、と。
江戸時代前期、超一流の遊女は、名前の下に「太夫」という位をつけて呼ばれました。この手の呼び名、階級は時代や地域によってかなり異なります。今回は井原西鶴による、江戸時代前期の上方(関西)における遊女のランクや接客の違いの記述をもとに解説します。
「太夫」の下のランクが「天神(天職ともいう)」です。太夫と客の床入りが、茶の湯のおもてなしに喩えられていましたが、このように形式張った接客が嫌だという遊女は、わざわざ自分から降格を申し出ることもあったそうです。
なお、太夫から天神に落ちると、遊女が自費でまかなうべき布団などのランクも下げてもよく、遊女の懐にも余裕ができました。また逆にいうとフレンドリーな接客は出来たようですよ。
一方で欠点も。最高ランクの太夫クラスの遊女は、客を選ぶことができましたが(一回の接客で与えられるお花代が莫大だったため)、「天神」になると、お花代は低下します。だから客の好みも言っておられず、客のワガママにも合わせなくてはなりません。ただし、これには考えようによっては良い点もあり、太夫のように自分がリードするだけのチカラがなくてもやっていけるので、ある意味ではラクだったでしょう。
「天神」のさらに下のランクの遊女になればなるほど自分のペースでやろうにも、(太夫や天神といったハイステイタスな遊女がいるお店に属しているのですから、遊女全体の中ではランクが高いはずなのですが)、客側から「早く、帯を解いて(脱いで)ください」なんてことまで指図されてしまったとか。高級店の遊女として、必要な威厳を保つのすら一苦労だったという様子がうかがえるのでした。
なお、将来は太夫クラスの高級遊女になりうると期待された少女は、まだお客を取る前の禿(かむろ)時代から他の子どもたちとは隔離され、ローティーンのうちに遊郭経営者夫妻の手元で英才教育されるのが普通でした(これを「引っ込み禿(ひっこみかぶろ)」という)。
この手の生粋のエリート遊女ほど、後に何らかの理由で太夫の位を失い、ランクが降下すると酷いショックを受けてしまったそうです。遊女としてトップに立つには、自分の仕事に、誇りがなくてはならなかったのですね。
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著者:堀江宏樹
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※写真と本文は関係ありません
※この記事は2015年02月14日に公開されたものです