幸せなはずの「追われる恋」が、短命恋愛に終わるワケ
「自分が好きな人」に追われてこそ満たされる
「女は、追われる恋が幸せ」なんてよく言いますが、それはもちろんそうだけど、“こちらが好きな人に限る”だと思う。自分が好きな人に、追われる。追わせる。それに勝る幸せはありません。逆に、自分がどうでもいいと思っている人に追われ、想われたところで、本当に心が満たされることはない。満たされるのは、自尊心くらい。大事なのは、自分が心の底から大切、と思い、自分のことのように相手を思いやり、相手のすべてを理解したいと思えるような相手かどうか。そして、その想いが、尽きないような相手かどうか、ということです。そういう人以外とは、何度告白されようが、情熱的に迫られようが、その人がハンサムで大金持ちだろうが、付き合ってもしょうがない。何が大事かというと、そういう誰にでもわかるスペックではなくて。自分との化学反応です。自分がその人といるときの空気みたいなもの。二人がおりなすハーモニー?(笑)。それは、言葉で、「私には○○で○○なところがある人が理想です」とか説明できるものではないのです。よく、「なんで付き合ったの?」と聞くと、「さあ?」と答えられないカップルがいますが、それでいいんだと思う。なんだかいっしょにいると心地いいから。湧きあがるように、幸せを感じるから。ホッとできるから。その人がどういう人だから、ではなくて、自分がその人といるとどんな自分になれるか、です。
そういう人を好きになって、大切だと思い、しかも相手にも振り向いてもらえたら、幸せです。それが、理想の相手だと思います。想われることが心地よく、とてもありがたいことだと思い、その奇跡に感謝したくなる。そういう出会いが、キチンと探せば、きっとあります。
恋愛って、いくつになっても、はじめてのようなドキドキと困惑があるものですが、人間性が熟して行くにつれ、まったくちがう側面が見えだすこともあります。たとえば、たくさん恋に傷ついたあとには、人とうまくやっていくことの難しさ、自分の心をコントロールすることの難しさを思い知る。そうすると、他人に対する目線がやさしくなったりもします。逆に、傷つき過ぎて恋に臆病になってしまう人もいるかもしれません。でも、それすらも、いずれ乗り越えていけば、他人や自分を深く知るための大事な経験だったと知る日がきます。人間が熟してから会った人のことは、今までの自分とはちがう見方ができるかもしれません。たとえば、25歳のときに知り合って、ピンとこなかった人でも、30歳でもう一度出会ったら、自分も変わり、相手も変わっていて、急に親近感を覚えることだってあります。よく知っていたはずの人に、急に恋をしたり。そういうときこそが、その人の内面が熟した時。恋するにふさわしいときなんだと思います。
自分がいま、付き合った人に対して批判的になってしまったり、そもそも好かれてちょっとウンザリしてしまったりするなら、それは時期ではないんです。いまは無理して恋愛することはないので、ちょっとお休みして、自分がいますべきことをし、自分らしく生きていくために大事なことを優先させてみてはいかがでしょうか。いろいろなものの機が熟して、誰かを必要だと思うことができる時がきたら、今度は自分から誰かを好きになってみてください。そして、その好きな人に、好きになってもらうよう、がんばってみてください。そのとき、今までにはない恋ができると思いますよ。
それでは今回のまとめです。
【恋愛適齢期を見極めて真実の恋を見つける発想法】
1)告白されて付き合っても、いまいち気持ちがのらず嫌になってしまうのは、「恋愛をしなくては」という義務感で恋をしているからでは?
2)恋愛しなくてはいけないと思いこむのは、まわりや世間の情報のせい
3)自分を好きになってくれる人を大したことない人、と思ったり疎ましく思ったりしてしまうのは、そもそも自分のことを自分が評価していないから
4)心が恋愛に向いていないときに、義務感で恋愛することはない
5)恋愛には、恋愛に向いた適齢期がある。それは年齢には関係なく、個人差がある
6)人生には、恋愛以外にもさまざまな「今すべきこと」がある。まずはそれを片付けること
7)「女は追われるのが幸せ」というのは「自分が好きになった人」に限る。どうでもいい人に追われても幸せにはなれない
8)大事なのは、自分が相手を好きかどうか。相手といっしょにいるときの自分が、好きかどうか
9)人間が熟してくると、他人への見方が変わってきて、恋愛に向いている性質になることも。そういうときに恋愛適齢期がくるので見逃さないこと
※この記事は2013年12月19日に公開されたものです