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“深い友情”と“恋愛感情”のちがいとは?

恋愛部長

相手のエゴと自分のエゴのやり取りがあってこそ「恋」

とはいえ、激しい恋に振りまわされる、まさに「恋愛の醍醐味」を知らないまま、友情に近い感情だけで「これが恋なのかな~?」って首をかしげながら生きていくのはどうか、とも思います。私、よく若い子と恋バナしているときに、こう言うんです。「そんなに賢く立ちまわろうとするな! 若いうちしかできない恋をしなよ!」ってね。最近は20代でも、婚活で忙しくて、恋というより、効率的に結婚できる相手を探して「この人はどうかな? あの人はどう?」なんて考えがちな女子も多いように見えますが。私から見たら、20代なんて、恋で上手に立ちまわることを考える必要なし! って思っちゃいます。ましてや、いまいち恋愛感情が持てない相手とただの友情で付き合って、気持ちも盛り上がっていないのに「これで結婚すれば安泰?」なんておさまるところにおさまろうとしているとしたら、それはもったいないこと! だって、恋愛感情を経験しないまま一生を送るんですよ?(もしくは結婚したあと恋をするという最悪のパターンもありうる)。

ちなみに、この場合、片想いは恋には含みません。片想いって、自分の中で完結するドキドキであって、相手とのリアルなやり取りの中で感じる「恋の醍醐味」に欠いているから。やっぱり、相手のエゴとこちらのエゴのやり取りがあってこそ「恋」だと私は思うので。

でね、恋って基本、振りまわされるものなんですよね。どんなに普段は理性的な人でも、恋の前には無力。本能恐るべし、って感じ。私も、大学時代くらいまでは、恋と言っても片想いくらいしかしたことなくて、友だちと話していても相当、綺麗ごとばっか言ってた記憶がある。恋に振り回されている友だちに「もっと冷静になりなよ」なーんてアドバイス(笑)とかしてたんだよね。恥ずかしいね。そのあと自分が本当に恋をして、振りまわされまくり、泣きまくり、コントロール不能になって恐怖を覚え、くたくたになったのち、ようやくわかった。「片想いが叶わない」程度の生ぬるい失恋を「失恋」と呼んでいた自分に笑えてきた。本当につらいのは、好きな気持ちがまだ生々しく残っているのに、そこから引き裂かれるようにして別れることだし、相手に自分への気持ちがなくなってしまったことを、現実として受け止めなければならないこと。執着は解きにくく、記憶は何度も何度も幸せだったときのことを思い出させて、苦しめる。ホントね、「あぁ、恋って恐ろしい」って思いましたよ。

でも、そのぶん、恋が成就したときの気持ちの高なりって、半端ないんですよね。好きな人が自分のことを同じように好きだとわかったときの天にも昇るような気持ちとか。相手に触れたときの泣きたくなるような切ない気持ちとか。恋は、すべてを与え、すべてを奪う。まさに、そんな感じです。こればっかりは、いくつになっても変わることはないですし、大人になったからって、冷静に対処できるようになるかというと、まったくそんなことはなく! 余計、恋するとハマりこむ度合いが高くなった気さえします。だからこそ、若いうちに、「恋の嵐」状態を経験しておいたほうがいいと思うんです。こんなに何度も嵐にもみくちゃにされている私でさえ、ひとたび恋に落ちれば冷静な判断はできなくなります。もしもまったく経験がなかったら、どんなことになったのか、想像するのも恐ろしいです。

ドロドロした恋愛もね、したほうがいいんですよ、人生一度きりなんですから。恋したら、できることは全部する、想いの残っている間は、全力でその恋に賭ける。そのほうが、案外失恋しても、あきらめがつくものです。恋愛相談のサイトをやっているので、「上手に恋をするにはどうしたらいいか?」「傷つかないように恋ができる方法は?」なんていう問いの答えを求めてやってくる人もたまにいますが、そんな近道ないよって言いたい

うまくふるまうことが恋のゴールではないと思うんです。傷ついても、ドロドロになっちゃっても、泣いても叫んでも、いいと思います。だって、それが恋をするっていうことだから。恋にしっかり全身全霊で立ち向かえば、傷だらけになるのは当然です。そして、その名誉の負傷があるから、人が傷ついたときにやさしくできるし、自分が人を傷つけてしまったときに、同じだけ痛みを感じることができる。私はそう思います。

だからね、頭で恋をしようとしないことです。恋は、前にも書いたとおり、原始的本能がしでかすこと。自分がしようと思ってできるものではないし、勝手に動き出すものなんです。もしも、恋の波に襲われそうになって、「あぁどうしよう!」ってなったら。波から身を守って縮こまるのではなく。波に乗っちゃえばいいんです。後先のことはとりあえず考えず、好きだという気持ちに正直になってみる。その恋がそのときに訪れた意味はきっとあるはずだから。

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