女性の愛は、あきらめから始まる。男女の愛の違いとは?
ユングやフロイトに代表される分析心理学。とくに恋愛に関する分析は、いつの世も関心の高い話題だ。
恋人探しのロジックは母親への愛で決まり、女性はあきらめからパートナーを探し始める。同時に、あきらめきれない母への思いが形を変えて、ヤンママ=早婚の図式を生み出すのだ。
ダブルのダメ出し
幼少のころ最初に抱く愛は、驚くことに男性も女性も対象は母親だ。男の子が「パパのようになりたい」「大きくなったらママと結婚する!」と言うのはごくありふれた定番すぎる光景だが、実は女の子も同じ感情を抱くという。
男の子の場合、パパのようになりたいのはOKだが、ママとの結婚は、
・対象=女性 … OK
・対象=近親 … NG
なのでかなわぬ夢に終わるものの、ならば似たような人をと別の女性を探すことになる。母親似の女性と結婚する率が高いという話も、あながち否定できない。
対して女の子は、母に抱く愛は
・対象=女性 … NG
・対象=近親 … NG
で、ダブルのダメ出しを食らうことになる。そこで「私!大きくなったらパパと結婚する!」へと方針を変えるのだ。
幼いとはいえ、愛娘に求婚されて悪い気がするはずもない。天を舞う気分を味わったお父さんも多いと思うが、残念ながらあなたは次点にすぎない。限定ランチを注文したら売り切れと聞かされ、「じゃあ日替わりで…」と言われたに等しいのだ。
しかしもっと残念なのは、母を愛の対象にはできないが、ママのようになりなさい、ママを見本にしなさいという制限が生まれ、義務的な感情が生じることだ。医学博士・小倉千加子氏の著書では、フロイトの「抑圧の二重の波」と表現され、素朴な感情である愛を我慢し、理性に基づく尊敬を強要されるのは、さぞかし苦痛に違いない。
最終的には、パートナーの男性に対して「母」を与えることで活路を見いだす。つまり、自分の母親と同じ行動をとることで、母親への愛を表現するのだ。この場合、自分の父親に似たパートナーを選ぶと、父親の母、つまり祖母を演じることになるのでご注意あれ。
ヤンママは早婚が当たり前?
残念ながら幼少期に親の愛、特に母親から与えられた愛が足りないと、女の子は早婚化する傾向が強い。
親の愛が強く感じられなかった理由は千差万別だろうが、もっともポピュラーなのは親の社会的成熟度が低かったことだろう。
若いうちに子をもち、経済的に余裕がないため仕事に時間を取られ、結果的に子と接する時間がとれない、の構図だ。昨今では経済面どころか自分の生活を中心に据え、子の人生がないがしろにされる惨事も少なくない。子を授かることが、いかに覚悟が必要なことかを逆説的に示す出来事だ。
さて、注がれた愛情が足りないと感じたら、あなたはどうするか?男性はもっと愛を与えてくれる人を探すのが普通だろうが、女性の場合、自分の子にはそんな思いをさせないようにと、与える側になろうとする。伴侶とともに家庭を築き、そして子に十分な愛を与える。それを早く実現しようとするあまり、早婚になる傾向が強いのだ。
大変面白いのは、この行動には母親に対する否定と肯定が同居している点だ。自分が受けられなかった愛を、母親以上に子に与えたいと思うのは、つまりは母親を否定しているのだが、それと同時に母親と自分を同一化することで、自分の母親を肯定しているのだ。
見方を変えれば、自分を自分の子に映じているのと同じで、子は自分の代理にすぎない。親が自分本位の愛情を続ければ、子はやがて自分のための愛ではないと気づく。それを埋め合わせるために早婚化、とヤンママのループは続くことになる。
まとめ
以前読んだ本に、最悪の事態を覚悟できれば、すべてに落ち着いて対処できると記してあった。それが本当なら、あきらめから始まる恋愛はすべてがバラ色になるだろう。
ヴィクトル・ユーゴーいわく「女は弱し されど母は強し」。幼少期に愛をあきらめた母親よりも強い存在があれば、ぜひともお会いしてみたいものだ。
(関口 寿/ガリレオワークス)
※この記事は2013年04月19日に公開されたものです