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え(笑)、鼻毛を抜いて並べる癖があった! 庶民に馴染み深いダンディ夏目漱石のリアルな実態

堀江 宏樹

文豪の中の文豪・夏目漱石(1867-1916)。今では千円札の顔でもありますから、夏目漱石の姿には毎日接する人のほうが多い気がします。

漱石はなかなかのダンディ。美中年だと思います。ところが、教師時代のあだ名はなんと「鬼瓦」。幼少時にかかった天然痘の跡という説と、機嫌が悪かったからという説の2つがあります。

ダンディなイメージから、お酒が好きそうな漱石ですが、実はめっぽう酒が弱く、甘いモノが大好きなスイーツ男でした。ジャムを瓶から舐めるのが大好きで、一カ月に8瓶もからっぽにして、ドクターストップがかかる始末。意外な一面のあるお茶目さんだったのです。

意外といえば、非常にコンプレックスが強い人物でもありました。

明治期に英国に国費留学したエリートですが、留学先の英国では正直に言うと勉強に行き詰まり、(英国人の中では)身長が低すぎると悩みはじめて欝っぽくなっております。漱石の晩年のモットーは「則天去私(エゴを捨てて諦観、自然のままに生きる)」だったらしいのですが、胃潰瘍で大量吐血を経験し、臨死体験をした後ですら、理屈で物事を考える癖はなおらず……。

 

また、空気も読めないんですねぇ。

自分の妻の鏡子とはまったく違うキャラや外見の美女をヒロインにしたロマンスを書いて、嫁をヤキモキさせたり、家庭生活は波瀾万丈でした。一生涯、嫁や弟子を振り回しつづけた人生だったように思います(それも計算か天然か知りませんけどもね)。それでもみんなが、「先生!」と付いてくるのですが、それは漱石の人徳というより、彼が人寄せフェロモンを放っていたゆえとな気がします。

 

38歳で『吾輩は猫である』を出版して大人気になると、「作者の漱石といふのはどんなおやぢか(内田百間『漱石雑話』)」と、ストーカーされまくりました。「漱石が何をするかを調べて文章の雑誌などに投書する。こういふ事がはやりました」。しかし、銭湯の中の仕草まで男性からストーキングされて、情報公開されたこともあり、現在のアイドル顔負けの人気。これは神経衰弱にも胃潰瘍にもなるよなぁ、と思いますよね。

この漱石を銭湯まで追いかけた男が、後の内田百間です。内田は漱石ほどメジャーではないですが、味のある文章で有名な文豪です。内田の作に『漱石遺毛(そうせきいもう)』というエッセイがあるんですが、衝撃的なのが内田の漱石・鼻毛コレクションの話です。

「私の所蔵する遺品の中に、漱石先生の鼻毛がある(略)。丁度10本あつた。その内2本は金髪である」などと百間は発言、かなり気持ち悪いですねぇ。漱石は原稿に行き詰まると鼻毛を引き抜き、それを丁寧に並べ、原稿用紙にくっつける奇癖があったそうですが。

この鼻毛を抜く癖、漱石自身もカミングアウトしており、あの『吾輩は猫である』の中にも珍野苦沙弥(ちんのくしゃみ)という、漱石の分身とされる人物が鼻毛を引き抜き、妻に見せていやがられる様を描いています。

また、漱石はエリートなんですが……字が汚すぎて活字化されるときは適当にやられてたという事実があるそうです。さらに誤字も多いです。「商買(正しくは商売)」とか「評番(評判)」。「水晶」は、常に「水昌」と書いていました。また「娯楽」のことは「誤楽」と書いていたようです。楽しいおじさんですね!

 

幼少時、事情があって養子にやられていた時期が長い漱石は孤独を知っており、成長した後は自分の周囲に集まる人間を(不器用にせよ)大切にしました。内田百閒は漱石を「日本人の教師」と呼んでいます。奇癖やら黒歴史が多くても、愛されつづけた漱石の人生に学ぶところは多そうです。

 

(堀江宏樹)

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