無理にリラックスしようとしない。高橋一生の「疲れた心の整え方」
家でもリラックスしようと思い過ぎず、自然な体調を受け入れるのがラク
――音声を聞かれる時は、おうちが多いですか?
移動の時もありますが、家で聞く時もあります。風の流れを感じるのが好きなので、家にいてもたいてい窓を開け放して聞いています。外とつながっていたいという感覚があるので、冬場の寒い日でも開けてしまうんです。
――高橋さんはおうちではどんなふうに過ごされることが多いですか?
飲み物を飲んでいるか、本を読んでいるか、動いているか……僕は、常に二宮金次郎スタイル。何かしながら本を読んだり、映画を見たり。そっちの方が、情報が頭に入りやすいんです。いつもそんな感じなので、友人が家に来る時などは、じっとしてろって怒られます。
――すごく意外です。それに、音声を録る時の静的な高橋さんとはかなりギャップがありますね。かなりしっかりとオンオフを切り替えられているのでしょうか?
全く意識したことがないんです。意識的にリラックスするということがないのは、外にいてもリラックスしているからだと思います。特に、お芝居の仕事をする時が一番リラックスしているかもしれません。僕にとってリラックスしている瞬間は、適度な集中と手放し感を、どちらも感じる時なんです。リラックスに振りすぎても、頭に情報が残ってしまっていて、あまり落ち着けないんです。
――ちょっと分かるかもしれません。気楽で暇すぎると、それはそれで余計なことを考えちゃうような。
僕は、本当に心を空っぽにしたい時は窓を開けて瞑想のようなことをします。適度な風が流れている場所で、ゆっくり呼吸をするんです。
――高橋さんのように忙しい毎日を過ごされていると、「リラックスした方がいいな」と思う瞬間もあるのではないでしょうか?
した方がいいなと思うというか、休む時は反射的な感じです。休まなきゃと思っているうちは脳みそが動いているわけですから、逆に動けるなと考えます。本当にリラックスを求めている時は、心が落ち着く空間に踏み入った時に、スッと休むことができるんです。
だからこそ僕は「ストレスが溜まっているかな?」と感じた時ほど、いろんな場所に行ってみることにしています。そこですぐ帰ろうと思う時は、まだ働ける時。長くそこにいたいと思う時は「あぁ、一生ちょっとくたびれてるのね」と、そういう自分を受け入れます。
――すごくいいですね。常に自然体な自分を受け入れているから、息がつまりすぎないのかもしれないですね。
そういうことで小回復もできているのかもしれません。案外だらけすぎた姿勢よりも、ちゃんとした姿勢を楽に取れている時の方が自分の中ではしっくりきます。