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良心の「呵責」とは? 読み方や意味、使い方を解説(例文つき)

上色ゆるり

「呵責」「良心の呵責」の類義語・言い換え表現

「呵責」には、似たような意味を持つ言葉がたくさんあります。「呵責」と同様、日常会話であまり使われない類語も多いですが、覚えておくといざという時に役に立つでしょう。

また、「良心の呵責」の類語も併せて紹介します。「呵責」を知らない人にも伝わりやすい表現も紹介するので、言い換えをする時の参考にしてくださいね。

「面責(めんせき)」

「面責」とは、面と向かって責めることを意味する言葉です。

悪事を働いた自分、ミスをしてしまった自分を責めるという意味が「呵責」と共通しています。

しかし、「呵責」には「強く責める」という表現が含まれているのに対し、面責には「面と向かって」という意味が含まれています。

似たようなシチュエーションで使われることの多い「呵責」と「面責」ですが、全く同じ意味を持つ言葉ではないので、混同してしまわないよう注意しましょう。

「問責(もんせき)」

「問責」とは、文字通り、責任を問いただすことを指します。

「面責」と同様、良いとされない行動、言動に対し責めるという意味で「呵責」と共通している言葉です。

しかし、「問責」には責任という要素が含まれており、ただ単に責めるという意味の言葉ではないので、使い分けに注意しましょう。

「慙愧(ざんき)」

「慙愧」とは、取り返しのつかない行動、発言に対し強く悔やみ、そして恥じることを意味する言葉です。

責めることで苦しむことを指す「呵責」と、悔やんで恥じることを意味する「慙愧」は、意味合いに若干の違いはあるものの、似たような言葉として扱われています。

また、「慙愧の念」という使い方ができる点においても、「呵責」と似ている言葉と言えるでしょう。

「自責の念」

「自責」とは、自分が犯した過ちを後悔し、自分を責めることを指す言葉です。そして「自責の念」とは、そのような自分を責める気持ちが、常に心にあることを意味します。

「呵責の念」と似たような意味がある、類語にあたります。「自責の念に駆られる」という言い回しで使われることが多いです。

参考記事はこちら▼

自責の念が強い人の特徴と心理、克服するための方法を紹介s。

「良心が痛む」「良心が咎める」

「良心が痛む」「良心が咎める」とは、良心に逆らうような行動、発言をしてしまった自分を責める気持ちを表現する言葉です。

「良心の呵責」よりも日常会話で使われる機会が多く、理解してもらいやすい表現なので、「呵責」という単語を知らない人との会話では「良心が痛む」「良心が咎める」を積極的に使うと良いでしょう。

次ページ:英語で表現する「呵責」とは?

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