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「何が着たいか分からない」“おこもり期間”に迷子になって見えてきたもの

【特集】おこもり美容

佐々木ののか

おうちで過ごすことが増えた今、“美”に対しての感度が下がってしまった女性も多いはず。でも美しさって、誰かのためじゃなく自分のために極めてみると、実はとても心地よいものなんじゃないだろうか。そこで今回は、ステイホーム期間中のファッションや美容に対する気持ちの変化や自分のための楽しみ方について、文筆家の佐々木ののかさんに語っていただきます。

訪れる場所に合わせて、服を選ぶのが好きだった。

中華料理屋に行く時はチャイナシャツを着たし、クラブに行く時はシースルーの長袖トップスにキャミソールを合わせて、煙がもくもくの汚い居酒屋で飲む日はバケットハットを深めに被ってラフなオールインワンを着る。

場所に合う(と思う)服を考えて着ることで、自分が見えている世界の輪郭を触って確かめるような感覚もあったと思う。

そういう意味では、私の服選びは周囲の環境とともにあった。私一人のものではなく、場所から提示される“お題”に服で応えていくような、二人三脚の作業だったと言ってもいい。

メイクはあくまで“身だしなみ”程度の脇役。場所に合わせて服を選ぶのがとにかく楽しかったのだ。

訪れる場所を失ったコーディネート迷子

しかし、そんな生活もかなわなくなった。

中華料理屋や立ち飲み屋に行く機会は激減し、クラブに行くことは一切なくなってしまった。街は眠りがちになり、それまでと同じように真夜中まで起きているのは、スーパーやコンビニといった「生活」だけ。

部屋が地続きになったような場所にしか行かないのだから、着るのは自ずと部屋着の延長線にある服ばかりになる。“身だしなみ”のメイクすらしなくなり、鏡を見るのも億劫になっていった。

何が着たいのか分からない。
そもそも、私が着たい服なんて最初からなかったんじゃないか。

自分自身で決めてきたという確固たる自信が揺らぎ、背骨がふにゃりと曲がって失意の泥に沈んでいく。

装いの参照先を失って、私はコーディネート迷子になった。

内なる声を聴くように装った

外におそるおそる出掛けられるようになると、楽しい服を着る機会も増えてきた。しかし、それも束の間のこと。冬の到来とともに“おこもり”せざるを得なくなり、私はまた着たいのか着たくないのかも分からない服をぼんやりと着続ける。

ちょうどこのタイミングで人と暮らし始めたばかりだったから、パジャマのような恰好で一日中過ごすわけにいかない。けれど、愉快な服を毎日考えて着る元気もない。

――ラクだけど、最低限の緊張感を支えてくれる服を。

そう考えて、衣裳のような服でいっぱいになったタンスを無我夢中でひっくり返す。ピンときたのは、白いTシャツとジーンズだった。

白いTシャツは替えがたくさんあるし、ジーンズは毎日履いても飽きが来ない。その上、頻繁に洗わなくてもいいのも、疲れた心にやさしかった。それまで着ることがなかったシンプルな服に袖を通すと、新しい繭を得たようにホッとする。今の身体が求めていた服だったのだと感じる。

身体がすっかり安心した状態で鏡の前に立ってみると、今度は顔の方が色を欲しがっているような気がした。顔の欲求に導かれるままに、バーガンディのアイラインを太めに引く。使いどころが分からなかった白いアイラインも重ねてみると、鶴のような新しい顔が現れた。

今度は手と足に「さみしい」と言われた気がして、ゴツゴツした指輪をはめ、赤い靴下を履く。

自分の内なる声に耳を傾けるようにして服を選んだり、メイクを考えたりするのは初めての体験だった。

――訪れる場所や人の視線を意識せずとも、おしゃれを楽しめるんだ。

そんな小さな自信が、私の内側に芯を通したようだった。

静かなおこもり期間が私にくれたもの

訪れる場所に合わせて、服を選ぶのが好きだった。それは今でも変わらない。

けれど、“外側”にだけ合わせた服やメイクはどこかバランスが悪かったかもしれないと今になって思う。そもそも、服は毎日変えるのに、メイクの仕方はいつも一緒なのはやっぱり不自然だ。

そんなことにも気付けなかったのは、外側の“周波数”ばかりにチューニングして、内なる声を聴こうとしなかったからではないだろうか。

振り返れば、他人の視線や考えばかりがいつも頭にあった。そうやって私は、服やメイクに限らず、自分の声を無視してきたのかもしれない。

訪れる場所や人の視線を意識せずとも、おしゃれを楽しめる。
「その日、どんな自分でありたいか」の答えは、すでに私の中にある。

その気付きは、静かなおこもり期間が私にくれた贈り物だ。

(文:佐々木ののか、イラスト:フルカワチヒロ)

※この記事は2021年03月17日に公開されたものです

佐々木ののか

文筆家。家族と性愛にまつわるエッセイ、取材、映像の構成・ディレクションなど言葉から派生した表現全般が生業です。

●Twitter:@sasakinonoka

●note:@sasakinonoka

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