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独身で生きる上で必要な力

#ソロで生きる

荒川和久

結婚をしない人生ってどうなんだろう。揺れるアラサー世代。結婚願望もそこまでないし、結婚せずに生きていく未来も想像する。実際のところどうなの? 独身研究家の荒川和久さんに「ソロで生きる」ことについて、さまざまなデータなどを元に教えてもらいました。

「ソロで生きる」という言葉は勘違いされがちです。

「ソロで生きる力」とは、決して誰とも接触せず、誰の力も借りず、例えば無人島でたった一人で生き延びるサバイバル能力のことではありません。「ソロで生きる力」とは、逆説的ですが、「人とつながる力」でもあります。

ただし、「人とつながる」といっても、友達を大勢作るということではありません。「人との接触刺激を通じて、自分の内面を鍛え育てる」ということです。一体どういうことか。

今回は、「ソロで生きる」上で実は必要な「人とつながる力」について考えてみたいと思います。

みんな傷つくのが怖いし、無意識に人を傷つけてしまう

読者の中には、人とのコミュニケーション能力に自信が無く、「初対面の相手には話し掛けられない」とか「相手が内心どう思っているのかが気になって、人との会話が怖い」という人もいるでしょう。

人との接触によって、自分が傷つくことが怖い。それだけではなく、自分が誰かを傷つけてしまうのではないかとも考えてしまいがちです。

人を傷つける言動とは

最近は、コロナ禍もあり見かけなくなりましたが、かつて、金曜の夜など繁華街の駅前などで、酔いつぶれて寝ているサラリーマンがいました。でも、道行く人はたとえその人が視界に入ったとしても、大抵素通りします。これを、リンゲルマン効果といいます。

困っている誰かがいたとしても、周りに人が沢山いると、「私が助けなくても誰かが助けるだろう」という心理が働き、結局誰も助けないという状況になることです。

反対に、親切心からその泥酔したサラリーマンに声を掛けたら、逆ギレされて怒鳴られた経験があるという方もいるかもしれません。「せっかくこっちが心配して声を掛けたのに……」と腹立たしくもなりますね。「触らぬ神に祟りなし」といいますが、「だったら、ほっておきましょう」となるのもうなずけます。

相手への労わりや思いやりから出た行動や発言だったとしても、それが全て必ずしも相手にとって良い作用をもたらすわけではありません。こちら側は善意で行ったとしても、結果的に、それが相手を怒らせたり傷つけたりしてしまう場合もあります。

「自分が言われて嫌なことは他人には言わない」と、よくいいますね。でも、本当に人を傷つけているのは「自分が言われても平気なので、他人にも言っていいでしょ」という考え方と行動の方です。

努力できる人の「努力しよう」や、頑張ってきた人の「頑張ろう」というポジティブマッチョ言葉もそれにあたります。

他人に迷惑をかけなければ何をしても自由?

内閣府が平成30年に実施した13~29歳までの日本含む7カ国(日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン)の若者の意識調査「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」の中に、「他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ」という設問があります。

それに対し、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した若者は、アメリカ81.7%、フランス81.1%、イギリス80.8%、スウェーデン78.1%、ドイツ76.6%と欧米諸国の若者はいずれも8割前後が「そう思う」と回答しています。韓国も77.3%がそうです。

ところが、唯一、日本の若者だけは42.2%と過半数にも達しません。この傾向は、10年前の同調査でも同様でした。

Q.他人に迷惑をかけなければ、何をしようと個人の自由だ(社会規範に関する質問)

・アメリカ(81.7%)
・フランス(81.1%)
・イギリス(80.8%)
・スウェーデン(78.1%)
・ドイツ(76.6%)
・韓国(77.3%)
・日本(42.2%)

※「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した人の割合
https://www8.cao.go.jp/youth/kenkyu/ishiki/h30/pdf/s2-1.pdf

この結果を、日本人の集団主義によるものだと解釈する人がいますが、僕はそうは思いません。むしろ逆で「他人に迷惑をかけなければ」という前提条件そのものが、集団規範的なものであると思います。

この集団規範は「ある特定集団にとって迷惑じゃないことは、他者にとってもそうであるはずだ。それが分からない者は敵だ」という「味方と敵」という二項対立を生みやすくします。

「自分の思う善意や正義は、他者にとってもそうであるはず」という思い込みをしている人は結構多いはずです。しかし、絶対的善も絶対的正義もどこにもないのです。善も正義も立場の違いの数だけ存在します。

そうした視点が欠落して、「我こそは絶対的に正しい」と盲信している人間ほど、厄介なものはありません。そういう人間は、善意と正義という「錦の御旗」を掲げて、他人に対して、迷惑かつ残酷な行動を平気で行います。

これこそが「他人に迷惑をかけていない(むしろ喜んでもらえる)のだから、何をしても自由だ」という名の下の迷惑行為に他ならないのです。

適齢期の未婚者に「結婚しないの?」とお節介をやいてしまう人なんかも、その部類かもしれません。本人には悪意は無かったりしますが、言われた方は傷ついたり不快な思いをする場合があります

人とつながる力とは傷つくことを恐れないこと

では、人を傷つける可能性があるなら、誰にも何も言わない方がいいですか?

そうではありません。そもそも人と人との関わりというものは摩擦なのであり、大小あれど、互いに傷をつけ合う行為であると認識してほしいのです。

傷ついた分だけ強くなる

「ほら、やっぱり、人とのつながりなんて傷つくだけだ。無い方がいい」と思ったりしてしまいますか?

むしろ逆です。人のつながりの重要なところはまさにそこです。

傷つくからこそ、気付くことができるんです。本を読んだり、誰かの話を聞いて響いた言葉に出会ったりした時も、心がチクリとしたはずです。傷がつかなきゃ印象に残らないからです。

そして、傷がつけば、人間はそれを治癒しようとする力が無意識に作用します。再生しようとします。傷がつく前より、強くなろうとします。傷ついたからこそ、強くなるのです。

一生出会わないかもしれない人との一期一会の出会いも、「あいつ嫌いだわ」と第一印象で思ってしまった人との出会いも、何かしらの傷をあなたの中に残してくれた時点で、ありがたいものなんです。

「傷なんかつけたくないし、痛い思いなんかしたくない」とは皆思うはずです。

もちろん、命に関わるような大怪我はしない方がいいに決まっています。嫌いだと直感的に思った人と我慢して付き合い続ける必要なんてありません。最初から「傷つけてやろう」という悪意を持った行動なんかは論外です。

ですが、だからといって、傷を恐れて誰とも関わらないという無傷のままでいることこそが一番危険なんです。

自立と孤立の違い

生きるとは誰かとの関わりの中で、「傷をつけられては再生する」の繰り返しです。傷は互いに関わった証だし、互いに傷の痛みを知るからこそ、相手の事も思いやれるようになるのです。

誰にも頼らず、自分の足だけで立つことを自立だと思っていませんか? 自分の足だけで立っているつもりでも、何かしら誰かの仕事によって誰もが支えられています。毎日の食事の材料だってそうです。

誰もが誰かに寄りかかり、誰かに支えられて生きています。そして、知らない間に、誰かを支えている場合もあります。誰もが誰かに迷惑をかけて、誰もが誰かを助けています。昔から日本人の中に息づいている「お互い様」とはそういうことです。

私たちは、決して自分の足だけで立っているわけではありません。

もし、本当に自分の足だけで立っている人がいるとするなら、それは自立しているとはいいません。それこそが、孤立なのです。

心の摩擦を恐れるな

恋愛もまた人とのつながりの一種です。互いの心が、摩擦し合い、痛みを伴うものです。

片思いで、相手が振り向いてくれないことだけが、傷つくということではありません。うまくいって、めでたく付き合ったとしても同じです。お互いに相手を思いやっての言動や行動なのに、結果として相手を傷つけ、傷つけられることなんてよくある話です。

でも、そうした摩擦の連続こそが「人とつながる」ってことなんじゃないでしょうか。

摩擦は痛いかもしれません。でも摩擦があるからこそ温かくもなるんです。

(文:荒川和久、イラスト:coccory)

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※この記事は2020年08月26日に公開されたものです

荒川和久 (独身研究家・コラムニスト)

独身研究家/コラムニスト。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者として、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・Webメディアなどに多数出演。

韓国、台湾なども翻訳本が出版されるなど、海外からも注目を集めている。

著書に『結婚しない男たち』(ディスカヴァー携書)、『超ソロ社会』(PHP新書)、『ソロエコノミーの襲来』(ワニブックスPLUS新書)、『結婚滅亡』(あさ出版)など。

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