東京で加速する自意識との対峙 #東京と働く。
「東京してる」って実感にどきどきするのは、私が東京の一部になれてないからなのかもしれない。深夜2時のモントークも、銀座駅から見上げる地上も、六本木ヒルズで観るくだらない映画も。ぜんぶ、ぜんぶ、ここで生きる誰かの大事な「トーキョー」。東京で働く女たちのストーリーを集めた、東京オムニバス連載。
土曜日の21時半。冷蔵庫には背の伸びた豆苗しかない。最近ウーバーイーツに頼りすぎているし、なかなか今回もという選択には気が乗らない。無駄遣いがすぎる。
あ、なんかつらい。
わたしの“つらい”は、こんなふうに簡単に生まれる。年を取れば孤独が増えると聞き、みんなつらい気持ちが一緒ならそれでいいやと思ったものの、27歳になった今世界中の誰よりも自分がつらいと被害者面しているときがある。
例えば、休日に美容室に行って「この後どこかお出かけですか?」と聞かれたときに、わたしは必ず「友人とランチに行く予定です」と答えてつらくなる。予定などない。
あと、残業した夜。「こんなに頑張って働いて、わたし可哀想じゃない?」そう思うと、またつらくなる。夜ご飯を食べずにお布団にゴロンとしてしまうくらいだ。
こう並べると、つらいの過剰演出だ! と言われるかもしれないが、その通り。
白状すると、わたし自身本当は大してつらいと感じていない。でも、東京で生きる若人(ギリギリ)として、予定はある程度詰まっていなければいけないし、働くことにある程度のストレスを感じていなければならない(東京をどんなところだと思っているのか……)。
本当は、毎日そんなにつらくない。
「みんなは、どのくらいつらいですか?」と飲み会の席で聞いてみたことがある。
あの子は、毎日終電ギリギリまで働きづめで、体力的にも精神的にもつらいという。一方では、婚活がうまくいかず将来への不安がムクムクと膨れ上がりつらいという。
だからわたしも、「最近残業続きでさ。やっぱつらいよね」なんて、彼女らと同じような“つらい”をアピールせねばと躍起になる。無駄な労力をかけていることは隅っこに置いておいて。
だって、自意識が邪魔しちゃうんだもん。
「仕事がつらくないって大した仕事してないんじゃないの?」「朝から髪を切りにきておいて、なんの予定もないのかよ」
最低だ。誰もそんなことは思わない。
わたしは、わたし自身の捉え方・考え方を肯定してやりたい。わたしの目に映ったものをそのまま言葉にしたい。本当にそう思うんだああぁ!!!
と、鼻息を荒くした日の帰り道。「お疲れ様。すでに明日仕事行きたくない」と友人に連絡を入れ、明日のランチの妄想をしていた。
わたしはこういう人間だ。
(京みや子)
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※この記事は2020年02月27日に公開されたものです