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ウィリアム・シェイクスピアは、ビジネス成功者だった

シェイクスピアの名前を知らない人はいないであろう。では、シェイクスピアはビジネスで成功できたのだろうか?

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●シェイクスピアの父

ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616)は、ロンドンの近くストラットフォード・アポン・エイヴォンという土地で生まれました。豊かな自然に囲まれていたとのことです。父の名はジョン、母の名はメアリ。ジョンの仕事は皮手袋職人であり、羊毛を商ってもいました。

地元の名士だった彼は、家族の豊かな暮らしを支えていたのです。ウィリアムは長男として生まれ、上には姉が二人いました。弟や妹もたくさんいました。

ウィリアムの父ジョンはカトリックの信者でした。当時の王朝はプロテスタントであったため、政治的な圧力を受けたとのことです。ウィリアムがグラマー・スクールへ通い始めた頃のシェイクスピア家は没落しつつあったわけです。

父ジョンは、違法に羊毛の売買をしていたという理由で、当局に通報されてしまい、商売が立ち行かなくなってしまいます。裏ではもっぱら政治的な圧力があったといわれています。

ウィリアムは学校をやめて働きに出ることにしました。最初に就いた職業は、弁護士の書記。また、18歳の時にアン・ハサウェイという裕福な農家の娘と結婚しました。

●ロンドンへ出たウィリアム・シェイクスピア
ウィリアムは結局、ロンドンへ単身で出て就職することにしました。ロンドンでは、劇団の馬番の仕事に就きました。馬番とはいえ、劇団の一員となった彼は、慢性的に人材不足だった劇団の俳優となり、ついには座付き(劇団専属)の劇作家になるのです。

●劇作家として歩み出したシェイクスピア
シェイクスピアは、劇団の馬番から役者、そして劇作家へと転身していきます。当時の劇団は芸術的な雰囲気にあふれていて、詩人をはじめ当時の知識人が集まる場所になっていました。

また、当時の劇団のオーナーは女王エリザベス一世や、崩御後は国王ジェイムズ一世でした。多くの知的刺激を受けたシェイクスピアは、詩の技法も戯曲に取り入れて大好評を博します。特に、「リチャード三世」を出してからのシェイクスピアは高い評価を受けました。

ところが1592-93年頃、ロンドンで疫病が流行り、人の多く集まる劇場などは封鎖されてしまいます。収入の道を閉ざされたシェイクスピアにとっては、大ピンチ。また、生涯のライバルと思われていた劇作家のクリストファー・マーロウが1593年に殺されます。

喧嘩とも陰謀とも言われており、同業のシェイクスピアも大きなショックを受け、また、身の危険を覚えるのです。

●ビジネスの成功
疫病がやみ、ロンドンの劇場に活気が戻るとシェイクスピアも経済的に恵まれます。また、シェイクスピアの場合は、芸術家にありがちな金銭の無駄遣いとは無縁でした。父ジョンの(政治的弾圧による)商売上の苦労を見ており、自分がグラマー・スクールを中途退学しなければならなかったのも、経済的な要因によっていたからです。

そして、シェイクスピアはストラットフォード・アポン・エイヴォンにいる妻と子供たちを養う義務もありました。

劇作家として成功したシェイクスピアは、劇団の共同オーナーとして作品がヒットすると興行収入の一部を得るようになります。最終的にはストラットフォード・アポン・エイヴォンの大地主にもなっていきます。

●人間としての成功
シェイクスピアは、十分に経済的な成功を得ていましたが、将来を嘱望し、自分の後継者にしようと思っていた唯一の息子が若くして死に、悲嘆に暮れた時期もあったのです。作風も人間の本質的な悲しみを扱う悲劇が多くなります。

彼の深い心の傷は容易には癒えなかったようです。

しかしシェイクスピアは、家族を愛し、友人たちにも暖かく接したといわれています。家族や友人たちからも愛されていた様子です。彼は1616年4月に友人ベン・ジョンソンらと食事をして自宅に戻り、発熱して他界するまで波乱に富んだ人生を過ごしてきましたが、人間としての成功を得た人であるといえましょう。

(文:深山敏郎/(株)ミヤマコンサルティンググループ/コミュニケーションズ・スペシャリスト)

著者プロフィール

著書:「できるリーダーはなぜ『リア王』にはまるのか」~100冊のビジネス書よりシェイクスピア~ 青春出版社刊。コミュニケーション改善の請負人として、高級ホテル、外食チェーン、外車ディーラー、IT企業など、20年で延べ4万人あまりを直接指導。夢は、英国でシェイクスピア芝居を英語で上演すること。
http://www.miyamacg.com/
お問合せ先:info@miyamacg.com

※この記事は2014年03月07日に公開されたものです

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