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宇宙戦艦ヤマトに関する伝説!「ヤマトの第三艦橋は毎回アブナイ→配属されたら『左遷』(笑)」

『宇宙戦艦ヤマト』は1974年にテレビシリーズが初放映された昔の作品ですが、今でも根強い人気があります。また2012年に最初のヤマトをリメイクした『宇宙戦艦ヤマト2199』が製作され、こちらも大きな反響を得ました。すでに39年も愛され続けているヤマトについて豆知識を集めてみました。


■そうそうたるメンバーが創り上げた!

最初の『宇宙戦艦ヤマト』は初回放映時(1974年)にはあまり視聴率は良くありませんでしたが、再放送されるにつれ熱狂的なファンを獲得するに至りました。その理由はやはり良くできていたからです。

プロデューサーの西崎義展さんは、その剛腕で素晴らしいクリエイターを集結させました。

●まず企画段階で藤川桂介さんと豊田有恒さん

藤川桂介さんは円谷プロのウルトラシリーズの脚本などを手掛けた才人で、後に小説家として『宇宙皇子』などのヒット作を生み出します。

豊田有恒さんは、星新一さん、小松左京さん、筒井康隆さんのいわゆる日本のSFの第一世代に続くSF作家で、その作品世界の厚み、確かさには定評があります。

●メカニカルデザインには「スタジオぬえ」が参加しています。

「スタジオぬえ」こそは、SFをビジュアル化することにかけては日本一、いや世界一の集団といっていいでしょう。ぬえメンバーの宮武一貴さん、松崎健一さん、加藤直之さん、高千穂遙さんが日本のアニメに与えた影響はどんなに高く評価しても足りないくらいです。

実は宇宙戦艦ヤマトのヤマト自体のデザインは、もともとは松崎健一さんの手によるものなのです。松崎さんはこの後『機動戦士ガンダム』の基本設定に参加し、物語の舞台を支える大きな仕事をされます。

ちなみに『超時空要塞マクロス』でその名をとどろかせる河森正治さんは1978年にスタジオぬえに参加しています。

●アニメーターも素晴らしい!

金田伊功さん、湖川友謙さんといった素晴らしいアニメーターさんが参加しています(クレジットは原画となっています)。現場はめちゃくちゃな進行だったそうですが……。

●音楽は宮川泰さん

音楽は西崎義展さんが『ワンサくん』で組んだ宮川泰さんが担当しています。2006年に亡くなられましたが、宮川さんといえば日本ポップス界に大きな足跡を残した大先生です。

こうしてみると最初の宇宙戦艦ヤマトには素晴らしい才能が結集していたことが分かります。作品の屋台骨はやたらと頑丈だったのです。

アニメパロディーはヤマトから一般化!?

その大ヒットにより、ヤマトは同人誌界をも揺さぶりました。宇宙戦艦ヤマトファン関連の同人誌がどんと増え、作品研究と同時に作品を茶化すパロディーも一般的になりました。このパロディーを商業誌の世界で行ったのが『月刊OUT』という雑誌です。

月刊OUTは、1977年6月号で宇宙戦艦ヤマト特集を行いました。この号には、ワープ時の服が透けた森雪のグラビアを掲載。この号が増刷をするほどの大人気となりました(笑)。

ちなみにこの月刊OUTは後に『機動戦士ガンダム』の登場人物セイラ・マスのヌードピンナップを付けます。この号も増刷がかかったそうです(笑)。

第三艦橋は危ない!

宇宙戦艦ヤマトには「お約束」として、ファンの間で笑い話になっている決まり事がたくさんあります。キリがないので一つだけご紹介します。

宇宙戦艦ヤマトには「第三艦橋」という場所があります。船底に付いている、出っ張った部分ですが、ここは大変に危ない場所で、戦闘になると必ずといっていいほど壊れます。

「第三艦橋大破!」などの報告を受けることが多く、硫酸の海に溶け落ちたこともあります。第三艦橋に配属されたら「左遷」であり「死を意味する」というのがファンの間での共通認識です。

リメイクされた『宇宙戦艦ヤマト2199』に号泣!?

最初の『宇宙戦艦ヤマト』は1974年に放映されたTVシリーズですが、2012年には『宇宙戦艦ヤマト2199』としてリメイクされました。この新シリーズは初代のヤマトへのリスペクトが感じられる素晴らしい出来栄えです。
そのため……、

●40歳過ぎたオールドファン(?)がリメイクされたヤマトが公開されている映画館でオイオイ泣いていた。(26歳/男性)

このような号泣している40歳以上のファンが多数目撃されているようです。それだけ初代の宇宙戦艦ヤマトに思い入れのあるファンが多いということでしょう。最初のヤマトの映画が公開されたのが1977年ですから感無量なのです。

プロデューサーと先生が裁判!

宇宙戦艦ヤマトの著作権者が誰なのかという戦いが近年まで司法で争われていました。まず、西崎義展プロデューサーと漫画家・松本零士先生が『宇宙戦艦ヤマト』の著作者をめぐって1999年に裁判が始まります。

2002年に第一審の判決が出ます。西崎義展プロデューサーが著作者であるという結論でしたが、松本零士先生がこれを不服として控訴。2003年に判決が出る前に両者が和解して双方が告訴を取り下げます。

これによって話はややこしくなります。控訴審の途中で両者が取り下げて和解したので、当然第一審で出た判決は無効になります。結果、両者の和解内容では、

・宇宙戦艦ヤマトシリーズは両氏の共同著作物。
・著作人格権は西崎義展氏が専ら行使できること。
・絵画に関する著作権は松本零士先生が持つこと。

などを確認しています。しかし、これは法的な決着ではなくあくまでも両者間で約束事です。どうも難しいですね。『宇宙戦艦ヤマト2199』では、原作者として西崎義展さんがクレジットされています。

いかがだったでしょうか。リメイクされた『宇宙戦艦ヤマト2199』によって新しいファンが増えるかもしれませんね。

⇒西崎義展プロデューサーと松本零士先生の和解内容が確認できる株式会社エナジオさんのサイト
http://web.archive.org/web/20070515052223/http://www.enagio.com/release/old.html#040726


(高橋モータース@dcp)

※この記事は2013年06月24日に公開されたものです

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