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キュンだけじゃない。ドラマ『イケパラ』が私たちに教えてくれたもの

#恋愛ドラマ考察

Nana Numoto

あなたには、夢中になった恋愛ドラマがありますか? 泣いて、笑って、キュンキュンして、エネルギーチャージした、そんな思い出の作品が。この企画では、過去の名作を恋愛ドラマが大好きなライター陣が、当時の思い出たっぷりに考察していきます。

私が共学で過ごした中学・高校の6年間。思い起こせばあの頃は、「男子校」という存在をどこか特別なもののように感じていた。

文化祭があれば友人と誘い合わせ、地域の男子校に潜入したりもしたが、結局その実態は今ひとつ掴めないままだった。

そんな男子校生のスクールライフを魅力たっぷりに描いた作品が、2007年に放送された『花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜』(以下、『イケパラ』/フジテレビ系)である。

そこにはマラソン大会やミスコンなど青春の詰まった行事や寮生活を通し、男子校で紡がれる熱い友情や切ない対立、そして甘い恋愛が描かれる。

イケメンパラダイスな学園生活の幕開け

物語は、アメリカ帰りの女子高生・芦屋瑞稀(堀北真希)が男子学生になりすまし、全寮制の桜咲学園に編入するところから始まる。私たち視聴者は瑞稀を通して桜咲学園に潜入し、男子高校生の生活を疑似体験することに。

桜咲学園はただでさえ個性豊かな上にイケメン揃いの生徒たちであふれる、まさにイケメンパラダイスだった。

過激な歌詞の主題歌『イケナイ太陽』(ORANGE RANGE)のホットなグルーヴ感に誘われるように、2007年の私たちは「楽園」に夢中になった。

そんなちょっぴり禁断の香りのする世界を描いた『イケパラ』だが、主人公の瑞稀は決してイケメンパラダイスを満喫するために男子校に潜入したわけではない。

彼女が性別を偽ってまで転校してきたのは、怪我をきっかけに競技をやめてしまった陸上部の高跳び選手・佐野泉(小栗旬)に、もう一度跳んでもらうためだった。

だが、瑞稀は結果的に高跳びだけでなく、佐野にもう一つの重要な変化を与えることとなる。

それは、佐野の人生の課題ともいうべき父親との対峙である。

母親が亡くなっても家庭を顧みない父親に不信感を持ち、それが原因で家族との縁を切っていた佐野だが、瑞稀の計らいで弟に再会したことで、自分が父親と同じことを弟にしてしまっていたと理解しショックを受ける。

この佐野の気付きと、そこから一歩踏み出そうとする姿こそが、本作の持つ青春と成長の瞬間だろう。

ヒロイン・瑞稀と佐野が距離を深めた理由

誰しも、自分の中の見たくないもの、向き合いたくないことに目を向けるのには勇気がいる。時にはその存在自体をぎゅっと心の奥底にしまい込み、二度と引っ張り出されることのないように蓋をしてしまうことも。

そんな「自分」との対峙という辛い作業に、佐野はプライドを捨てて挑んだ。

佐野が問題と向き合い乗り越えられた理由には、高跳びへの愛はもちろん、瑞稀の「もう一度跳んでもらいたい」というひたむきなまでの望みもあったろう。

2人はこうして意図せずに男女としても距離を縮めていくこととなる。

この心の揺れ動きに加え、本作では瑞稀が男性として通学しているにも関わらず、数人の男子生徒から女性であるかのごとく恋心を抱かれてしまう。そのうちの1人が、サッカー部のエース・中津秀一(生田斗真)だ。

そんな複雑な気持ちが絡み合い翻弄される中津や佐野の姿には、多くの視聴者がキュンとしたことだろう。

今ならジェンダーにおける価値観も多様になり、このような描かれ方はしないだろうと感じるシーンも散見されるが、価値観の過渡期に作られたドラマとしても興味深い内容だ。

大人になった今だからこそ刺さる恋愛模様

何事にも全力投球でぶつかる瑞稀たち高校生の姿はまぶしくもあり、その一途な気持ちは社会に出て数年が過ぎた今となっては、どこか羨ましくさえ感じてしまう。

若さゆえの特権をはつらつと見せつけてくる、甘酸っぱくかけがえのない学生生活に、背中を押されたような気がした。

瑞稀は最後まで「サポーター」としてまっすぐに佐野を励まし続ける。そこに生まれた信頼は、いつしか友情以上、恋愛未満の関係へと発展していくことに。

物語は2人の結末を描くことなく終わったが、たとえ別々の道を歩んだとしても、そこから想像できる未来は前向きでパワフルなものになるのだろう。

苦楽を共にした相手だからこその固い絆を感じずにはいられない。

(文:Nana Numoto、イラスト:タテノカズヒロ)

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