「杞憂」の意味とは? 「杞憂している」が間違いな理由
「杞憂に終わる」などビジネスシーンでもよく使われる「杞憂」という言葉。自分でも文章に取り入れたいと思う反面、間違って使うのは避けたいと思うもの。本記事では、「杞憂」の意味や言葉の使い方を解説します。
メールなどで相手を心配している時に使われる「杞憂」という言葉。何となく意味は理解できても、自分で使う時には正しく使えているのか心配になってしまいますよね。
今回は、「杞憂」の意味や使い方を解説。加えて、意外な言葉の由来までくわしく紹介していきます。
「杞憂」の意味や由来
「杞憂」はメールなどでよく見かける言葉である一方、正しく意味を理解できていない人も多いはず。
そこで、まずは「杞憂」の意味や由来から、言葉の理解を深めていきましょう。
「必要のない心配をする」意味で使われる
「杞憂(きゆう)」とは、「必要のない心配をする」という意味を持つ言葉。
「心配していたけど何も起こらなかった」という意味として、不安なことはあったけれど結果的に良い方向へ進んだ時などに使われます。
また、「信頼しているけれど念のため」のように、より確実に仕事や物事を進むようにサポートする場合などに使われることも。
そのため、「杞憂」が使われている時は、マイナスな意味は含まれていないことを認識しておきましょう。
例文
・スケジュール調整に難航するかと思われましたが、杞憂に終わりました。
・杞憂かもしれませんが、ご連絡させていただきました。
「心配」とは表現が異なるため要注意!
「杞憂」と同様に使われることの多い「心配」ですが、表している意味が違う点に注意が必要です。
「杞憂」は、そもそも心配するべきことではないことを心配しており、不備やミスなどから「心配」することとは違ったニュアンスの言葉です。
さらに、「杞憂」は結果的に心配する必要がなかった場合にも使われます。
「杞憂」を「心配」のように使ってしまうと、文章の意味が分かりづらくなるため、使う時には注意しましょう。
また、「心配」を使うことで、相手のことを信頼していないなどと捉えられてしまうこともあるため、表現する時には気をつけてくださいね。
「杞憂」由来は中国の故事成語
「杞憂」の由来になったのは、中国の故事成語です。
「杞」という国の人が、天地がひっくり返ったらどうしようと、起こりもしないことを心配するあまり、食事や睡眠がとれなくなってしまったという話が元になっています。
心配していた人は、そんなことはありえないと周囲にいた人が説得し、悩みが晴れ、今まで通りの生活に戻れたことから、「心配していたけれど何も起こらなかった」という今の言葉の意味につながっています。
そして、この物語から「杞人天憂」という四字熟語が生まれ、それが省略され「杞憂」となったのです。
由来の物語を少しでも知っておくと、「杞憂」の意味も分かりやすくなるので、一緒に覚えておきましょう。
「杞憂」の使い方と例文
「杞憂」は使い方によって、伝わる意味のニュアンスが変わってしまいします。
シーンに合わせて正しく使うためにも、「杞憂」を使った3種類の表現方法を例文と共にチェックしていきましょう。
「杞憂に終わる」
この表現は、「心配していたけれど無事に終わった」という意味になり、良い結果であったことを示しています。
プロジェクトなどが終わった時に、心配していた内容に加えて「杞憂に終わりました」とメールに添えて使います。
また、「杞憂に終わりましたが」と形を変えることで、次の企画やプロジェクトをする時に意識するべき反省点を伝えることもできますよ。
例文
・物資の輸入状況が不安でしたが、杞憂に終わってなによりです。
・今回は杞憂に終わりましたが、次回からは余裕を持って納品をいただけるようお願いいたします。
「杞憂に過ぎない」
心配性な人などに声を掛ける時には、「杞憂に過ぎない」という使い方をします。
「今心配しても仕方がない」という意味を伝えられるので、エールや励ましの言葉として使いましょう。
やや厳しめな言葉に見えますが、相手の実力を信じているといった褒め言葉ですよ。
例文
・練習をたくさんしたのだから、その不安は杞憂に過ぎないだろう。
・当日は何が起こるか分からないので、今の心配ごとは杞憂に過ぎない。
「杞憂であれば良い」
相手がうまくいくことを願う時に使うのが「杞憂であれば良い」という表現です。
過ぎた心配になれば良いという意味合いから、「心配や不安に思っていることが起こらないことを祈る」といったニュアンスになります。
「あなたのことを心配しています」という意味でもあるので、大切な人へのメールや手紙などで積極的に使いましょう。
例文
・杞憂であれば良いのですが、日々変わりなくお過ごしでしょうか。
・先日のプロジェクトの件、杞憂であれば良いのですが~
「杞憂する」「杞憂している」は間違い?
「杞憂」の間違った使い方が、現在進行形の「杞憂する」という表現です。
「杞憂」は結果的に必要のない心配だった、他人から見て余計な心配であるという意味であり、心配している本人は、その時点で必要がないとは思っていません。
つまり、「杞憂」はどちらかというと過去形の意味なので、「する」や「している」といった、今の気持ちや状況をあらわす言葉ではないのです。
言葉の意味が矛盾してしまうため、「杞憂する」のような使い方は避けましょう。
「杞憂」の類語と違い
「杞憂」と似た言葉には、「危惧」や「懸念」などの言葉が挙げられます。
そこで、「杞憂」とはどのように違うのか、それぞれの言葉の意味や特徴を解説していきます。
「危惧」
「危惧」とは、「危ぶみ恐れること」という意味から「悪い結果になるのではないかと心配すること」を表します。
注意点や改善点を具体的に示す場合に使われており、「指摘したことが実現しないように」と釘を刺す意味にもなります。
また、「良い結果になるように改善して欲しい」という意味がある点では、「杞憂であれば良い」と同じようなニュアンスになります。
例文
・先日の発言に対して、社員が反発することを危惧しています。
・見積もりの甘さを危惧しています。
「懸念」
「懸念」は「不安」や「心配」を表す言葉で、「危惧」よりもやわらかい印象の表現です。
現時点での不安や心配事を表しているため、そのままでは「杞憂」を言い換える時には使うことができません。
「懸念でしたが」というように、否定したり過去形で使うことで「杞憂に終わった」と同じような意味として使えます。
例文
・先が見通せないという点に懸念の声が上がっています。
・結果的に懸念事項をうまく解消できました。
「取り越し苦労」
「取り越し苦労」は「先が見えないことを想像して心配すること」を表す言葉で、「杞憂」にとても近い意味を持っています。
そのため、「取り越し苦労に終わる」など、「杞憂」と同じ表現方法が使えます。
例文
・初日の来客数が不安だったが、取り越し苦労に終わった。
・準備数が足りるか分かりませんでしたが、取り越し苦労でした。
「杞憂」を活用して心配事をやわらかく伝えよう
「杞憂」は、相手を心配している気持ちと、物事がうまく進んで欲しいという、2つの意味を伝える言葉。
そのため、「心配」という言葉を使うよりも、相手に寄り添っている意味合いになります。
一方、慣用句のように「杞憂」を用いた表現は元々決められた言葉を用いる必要があります。
「杞憂する」のような間違った使い方をしないよう、正しく「杞憂」を使用しましょう。
(kirara)
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