シニアは「弱者」か? ラベリングへの違和感を原動力に、業界注目の企業を運営する株式会社AgeWellJapan代表取締役・赤木円香さんの素顔
経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、「子どもの頃はどんな子だった?」「毎日どれくらい働いている?」「やっぱりタワマン住みですか?」など、素朴な疑問をぶつけます。
取材・文:ミクニシオリ
撮影:洞澤佐智子
編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部
経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。
そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、シニア向けWell-being事業で注目される株式会社AgeWellJapanの代表取締役・赤木円香さん。株式会社AgeWellJapanでは、シニア訪問サービス「もっとメイト」を中心に、シニア世代を明るくサポートするサービスを展開し、福祉やヘルスケアの業界で注目されています。
経営者の両親のもと、幼い頃から挑戦を惜しまないよう育てられた起業家サラブレッドの赤木さん。しかしそんな彼女にも、起業家としての歩みを始めるまでに様々な苦難がありました。正義感の強いギャルだった学生時代には「他者からのラベリングへの疑念」や「周囲に対するコンプレックス」など、誰しもが経験する壁に何度もぶち当たります。それでも彼女が人生のハードルを乗り越えることができたのは、幼い頃からの起業への憧れと、苦難から学んだ「本質を見抜く力」のおかげでした。
赤木 円香さん
東京都渋谷区生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2013年に人材コンサルティング会社に参画。法人向けのコミュニケーションやホスピタリティ研修の企画・営業を担当。2017年に味の素株式会社に入社。財務経理部にて決算および原価計算業務を担当。2020年、「シニア世代のわくわくを創造する」を掲げ、株式会社MIHARU(現在の株式会社AgeWellJapan)を創業。シニア世代のウェルビーイングを実現する孫世代の相棒サービス「もっとメイト」の運営。法人・自治体向けに、多世代交流の場づくりを支援。カンファレンスイベント「AgeWellJapan」を主催。渋谷のラジオ「誰でもスマートフォン講座」レギュラー出演をはじめメディア出演多数。
大好きだったギャルメイク。けれど外見やイメージからの「ラベリング」には違和感
Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?
子どもの頃から活発だったと思われることが多いのですが、双子の妹と比べると実はとても人見知りでした。年齢とともに改善はしましたが、正直、幼少期は妹に守ってもらってばかりの頼りない姉でした。ちなみに、その後もお世話になり続けた妹への感謝を込めて、起業時の社名は、妹の名前である「MIHARU(みはる)」と名付けました。
Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?
父母ともに経営者で、いつも惜しまず挑戦をさせてもらえる環境でした。そのおかげで今の自分らしさがあると思いますし、同じ女性の身で経営者として働き続ける母のことはずっと尊敬しています。起業してからの苦しい時、いつも母が背中を押してくれました。
Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?
中学時代は、評議会長だけどヤンキーの彼氏がいる、そんな学生でした(笑)。高校は私立の学校に進学しました。金髪エクステのギャルだったので、クラスではその見た目もあって浮いた存在になり、先生にも目をつけられてしまいました。その頃から、見た目だけで判断されたりラベリングされたりすることに違和感を覚え、自身は他者を勝手に解釈せず、本質を見抜ける人でありたいと思うようになりました。それが原体験となって「ギャル」だけでなく、「シニア」や「障がい者」など、それぞれの人生経験を無視して弱者と見立てる文化を変えたい思いが強くなっていきました。
Q.4 大学はどのように選びましたか?
受験期にマザーハウスの創業者である山口絵理子さんの本を読み、感銘を受けたことがきっかけで、彼女の出身校である慶應大学SFCキャンパスを選びました。25歳で起業して、裸一貫で社会を変えようとした彼女の人生を知り、私もそんなビジネスがしたいと強く思いました。ちなみに、高校時代に読んだ本はたった2冊で、1冊が山口絵理子さんの本、もう1冊はヤンキーの彼氏に借りた矢沢永吉さんの『成りあがり』だけです(笑)。
Q.5 学生時代に注力したことは?
高校時代は、児童館でボランティア活動をしていました。起業家になると決めていたため、大学時代は「どの領域で起業するか」を見極めるために、様々なことにチャレンジしました。インターンや留学もしたけど、AO推薦で入学したこともあり、自分より優秀な人が多くいることを知り、コンプレックスが強くなっていった時期でもあります。
周りには帰国子女も多く、英語が喋れないことにもコンプレックスを持っていました。父には留学を反対されましたが、母が金銭的援助や助言をしてくれたおかげで、1年の留学に行くことができ、語学力を養うことができました。
「おばあちゃんを笑顔にしたい!」大好きだった祖母の変化が起業のきっかけ
Q.6 就職先はどのように決めましたか?
学生時代に起業したい分野を見定めることができなかったので、大企業の経営を間近で経験できる就職先に進むことに決めました。経営企画部や財務経理部で就職できる会社を探し、大手食品メーカーに就職。毎日17時退社のホワイト企業で、人生で初めて暇を持て余すようになりました。空いた時間は、今までできなかった家族とのコミュニケーションに使うようになり、大好きだった祖母の家に頻繁に遊びに行くようになりました。
Q.7 起業のきっかけはなんでしたか?
私が幼い頃は、一緒にケニア旅行をするほどアクティブで、チャーミングだった祖母。そんな彼女が、私が新卒2年目の時に体調を崩して背中が曲がってしまい、家族に対して「申し訳ない」と口にするようになりました。時代を築いてきたシニア世代は、知識も人生経験もある人たちなのに、できないことが増えるからといって謝るなんておかしい。なんとも言えない憤りを感じました。
そんな祖母の姿を見て、「これだ」と思いました。ずっとやりたいことが見つからなかったけど、孫としてだけでなく、時代を生きる若者として「おばあちゃんのために何かしたい」と強く感じ、シニア向けWell-being事業での起業を決意しました。ずっと探し続けていた人生を賭けることが見つかった瞬間は、知的好奇心で震えたのを覚えています。
Q.8 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。
2020年1月に創業して、3月にサービスをリリースしてすぐ、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が始まりました。訪問サービスなど行えるわけもなく、最初のお客様に会うことができた時、起業からなんと半年も経っていました。
そうした経緯もあって、最初の半年間はお金が出ていく一方でした。新聞折り込みのチラシで広告活動を行った時は、1円でも無駄にしたくないという思いから、各エリアの販売店に直接電話して、実際に配っている枚数を聞きたこともあります。現在はコロナも落ち着き、事業も波に乗っていますが、今も道に落ちているチラシを見ては「あ、7円の広告宣伝費が落ちている」と当時の自分の気持ちを思い出すこともあります。
Q.9 創業してから一番うれしかったことは何ですか?
創業期にお電話をくれて、お客様になってくれたケイコさんというおばあちゃん。子どものいない85歳の彼女のもとに訪問するようになって、ある日こんな感想をいただきました。
「人生で初めて、折込チラシから電話をしました。赤木さんが毎週来てくれるようになって、人生がみるみる明るく、賑やかになりました。人生の最後に、一緒にいてくれてありがとう」
その日の帰り道は涙が止まりませんでした。ケイコさんと撮った写真を会社のHPに載せているのですが、「メンバーを紹介するページに、クライアントを載せている会社なんてないよ」とよく言われます。でも、いいんです。私にとってはケイコさんを含めて、今後関わる可能性のある3,600万人のシニア全員が、会社のメンバーと同じように大切な存在ですから。
Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。
お昼の時間は、基本的にないです。22時くらいまで打ち合わせが入るか、夜の会食も多く、合間を縫ってお客様の訪問にも伺います。訪問は土日に入ることもあるので、休みは不定期……というか、ほぼないです。
私自身は仕事が生きがいなので、つらいと感じることはありません。ただメンバーたちには、私のことは気にせず、適切なライフワークバランスを実現するよう伝えています。
クライアントだけでなく、自分や家族含め「全員ハッピーな未来」を描く
Q.11 プライベートの悩みはありますか?
現在、結婚5年目なのですが、子どもをいつ持つかを悩んでいます。おばあちゃんに孫を見せてあげたい気持ちも強いのですが、夫の拠点は岡山なので、自分中心の育児に不安を感じています。
今は会社にとっても大切な時期でもありますし、35歳くらいまでは仕事に全力を注ぎたい。だけど女性には身体的なリミットもあるので、難しいですよね。周りにも同じ悩みを抱えている友人が多くいます。
Q.12 忙しい日々の中で、息抜きになる瞬間は?
4カ月に1度は沖縄に行きます。沖縄出身の友人が多く、彼らに流れているゆっくりした雰囲気が好きなこともあり、息抜きは沖縄と決めています。沖縄は気候だけでなく、そこに住む方の人柄も温かく、気に入っています。沖縄では大好きなお酒をたくさん飲んで、経営者の赤木ではなく、素の自分を過ごしています。
Q.13 どんなところに住んでいますか?
都内のマンションで、妹や母、祖母たちと別々に部屋を借り、家族みんなで暮らしています。忙しい日々の中でできる、私なりの親孝行です。経営者一家とは言っても、経営悪化で貧しい暮らしを強いられたこともありました。それでも母は一貫して自立し続けてきた人です。そんな母の影響力があってこそ、今のマンションに家族みんなが集結しているので、母には頭が上がりません。
Q.14 将来の夢を教えて下さい。
起業家としての夢は、3,600万人のシニアたちが、全員ハッピーになれる世界を作ることです。無謀と思う人もいるかもしれません。けれど、無謀な挑戦を口に出して言えるのは起業家の特権です。だからこそ、どれだけ無謀であっても、明るい未来の展望をみんなに伝え続け、賛同してくれる仲間を増やし続けることが私の使命だと思っています。
個人としては、子どもを持つことで、私自身や私の家族を笑顔にすることが夢です。お客様であるおばあちゃんたちだけでなく、自分も、自分の家族もハッピーにし続けたいです。
※この記事は2023年09月13日に公開されたものです