チームプレーがつくる景色を求めて。株式会社JULIA IVY代表取締役・福井仁美さんの素顔
経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、「子どもの頃はどんな子だった?」「毎日どれくらい働いている?」「やっぱりタワマン住みですか?」など、素朴な疑問をぶつけます。
取材・文:ミクニシオリ
撮影:稲垣佑季
編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部
経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。
そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、日本で唯一の眉癖改善技術「ハリウッドブロウリフト」の資格講習事業を行う株式会社JULIA IVYの代表取締役・福井仁美さん。
学生時代にピアノコンクールで全国優勝し、その後は『王様のブランチ』などでリポーター・タレント業を務めた過去もある福井さんですが、起業のきっかけは突然やってきました。
紆余曲折ある人生の中で彼女が成功できたのは、教育者であった母から教わった「何か一つに秀でる」というモットーのおかげでした。チームを束ねるリーダーのビジョンは、フリーランス化の進む美容業界で、チームにしかなし得ないビッグプロジェクトに関わっていくことなのだといいます。
福井仁美さん
株式会社JULIA IVY 代表取締役社長。1986年愛知県豊橋市生まれ 早稲田大学第一文学部を卒業し、スポーツキャスターやモデルとして活動。2008年からは王様のブランチのリポーターとして活躍。2015年経営者としてスタートさせ、2016年にPR会社から美容サロンを開業。2020年ハリウッドブロウリフト(HBL)を創業し、2022年にJULIA IVY社のみで年商10億円を達成した。全国ヘルスケアサービス産業協会 理事。
教員だった母の教えで、目的意識を明確に持つように
Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?
人前に立って話すのが好きで、あまり人見知りも無かったようです。両親は公務員で共働きだったので、典型的なおばあちゃんっ子でした。祖母にはとてもかわいがってもらっていたので、寂しさを感じることはありませんでした。
Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?
幼い頃からピアノを習っており、思春期はあまり友達と遊べませんでした。中学校では吹奏楽部とピアノを両立し、毎日が練習三昧。友達は少ない方ではなかったのに、自分だけみんなと遊べないのがすごくつらかったです。
母には「何か一つでいいから、何かで誰よりも一番になりなさい」と言われていましたが、芸術の世界で「正解のない一番」を目指すことに限界を感じ、高校からは勉強にシフトしました。
Q.3 大学はどのように選びましたか?
音楽の道を諦めた高校生活では、進学を目指して勉強に邁進しましたが、その傍ら、野球部に所属し、高校野球でのウグイス嬢を経験しました。昔から人に声を褒められることも多く、そのことをきっかけに“話す仕事”に興味を持つようになったんです。
将来はアナウンサーなどの仕事を目指そうと、有名私大を目指しました。「何かに秀でる」ことにフォーカスして教育されたこともあり、目標に向かって努力することにやりがいも感じていました。
Q.4 学生時代に注力したことは?
高校まではアルバイトができなかったので、大学ではありとあらゆるアルバイトを経験しました。飲食、コールセンター、家庭教師、イベントスタッフ、結婚式場……とにかく知らないことはなんでも経験してみたかったんです。その頃にスカウトされ、芸能界入り。リポーターの仕事を始めました。
『王様のブランチ』に出演するようになってからは、学生生活とロケの両立がとにかく大変で……大学では自分で立ち上げたサークルの幹部でもあったので、この頃はとにかく忙しかったです。
リーマンショックに婚約破棄……紆余曲折の中、起業
Q.5 就職先はどのように決めましたか?
学生時代は身の回りで株が流行し、私も株を運用していました。英語も使いながら大きなプロジェクトに携わることに憧れもあり、外資系金融への就職を検討していました。
けれど、就活前にリーマンショックがあって……。大手外銀が倒れていって新卒採用もなくなってしまい、リポーターとしての活動を継続することにしました。
Q.6 芸能活動で大変だったことはなんでしたか?
いわゆる読者モデルとして活動していたのですが、中でも成功する子はやはり、何かに特化している子が多かったです。母からもあんなに言われていたのに、私はリポーターとしての自分の取り柄を見つけることができなくて、無難にこなすしかできないことに悩むこともありました。
しかしどのコーナーでも任せられる安定感を買ってもらえる現場もあり、自信を取り戻すことができました。
Q.7 なぜ起業しようと思ったのですか?
28歳の時に、結婚を見据えて『ブランチ』を引退したのですが、婚約破棄になってしまったんです。突然ニートになってしまったのですが、必死で自分にできることを探す中で、PRや美容の仕事に興味を持ちました。
そこで知り合いが手放すつもりだったサロンを引き継ぎ、ブラジリアンワックスサロンの経営をスタート。起業に強い興味があったわけではなかったのですが、リポーター時代に培った柔軟性や、元来のストイックさもあり、不安を感じる前にまずやってみることができたと思います。
Q.8 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。
経営者なりたての頃は「スタッフに高い給料を払ってあげること」「お店が儲かっていること」が経営の正解だと思っていて、人材マネジメントができていませんでした。そうしていたらある時、正社員が全員辞めてしまって(笑)。
私は技術者ではないので、最悪サロンを潰すしかなくなる可能性もありました。唯一、サロンに残ってくれたアルバイトの子が、JULIA IVYの共同創業者です。
Q.9 創業してから一番うれしかったことは何ですか?
アメリカではスタンダードな眉美容、そこからヒントを見つけて国産で開発したハリウッドブロウリフトは、当初日本では全く認知されていませんでした。
最初は自店でのみ施術していましたが、どんどん話題を呼んで、技術を教わりたいというお声が増えていきました。講習を始めると決めた当初は日本で使える液剤を作ってくれる工場探しから事業が始まって……。
今は累計8,000人の受講生がいて、生徒から講師になってくれた方もいます。子育て後の社会復帰のきっかけになったと話してくれた人もいて、いち美容施術が、女性のキャリア支援に繋がったことがとてもうれしいです。
Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。
ハリウッドブロウ関連の事業に加えて、別会社で自社サロンの経営もしているので、平日はけっこう忙しいかも。
だからこそ、アウトソーシングできるところは頼っちゃいます。朝は毎日最寄りのヘアサロンでセットしてもらうし、お昼は毎日Uber Eatsだし(笑)。全然キラキラしていないんですが、私にとっては必要なメリハリです。
個人事業主の増える美容業界。けれど、チームだから見れる景色もある
Q.11 仕事のやりがいを教えてください。
人の生活を楽にしてあげられることが、美容のお仕事の醍醐味だと思っています。眉毛の生え癖がなくなるだけで、朝の身支度の時間が短くなりますし、中には表情が明るくなった、人の目を見て話せるようになったという人もいます。
サロンオーナーでしかなかった頃は、眉美容が人々のコミュニケーションを助けられるなんて思ってもみませんでした。
Q.12 忙しい日々の中で、息抜きになる瞬間は?
もともと海外旅行が趣味だったので、今は仕事で海外に行けることがうれしくて。普段は忙しくて買い物をする時間もないのですが、出張の時は前後にオフの日を作って、その時に海外でコスメや服を思う存分調達する瞬間がたまりません(笑)。
飛行機の中も、私にとっては貴重な「何をしてもいい時間」。Wi-Fiは繋がず、普段見られないドラマや映画を一気観します。
Q.13 どんなところに住んでいますか?
経営者というと「タワマン住みですか?」と聞かれることもあるのですが(笑)、そうではなくヴィンテージ感のある広いマンションに住んでいます。車が好きなのと、犬を飼っているので、ルールの厳しいタワマンは生活に合わなくて。
家賃はそんなに高くないんですけど、家事に回す時間がなかなか取れないので、浮いたお金はハウスキーパー代に回しています。
Q.14 いくつまで仕事を続けたいですか?
今の会社も仕事も大好きなので、もしかしたら一生仕事してるかも。サロンも美容ももともと自分が好きだったことの延長なので、働くのがつらいと思ったこともありません。
Q.15 将来の夢を教えてください。
音楽を諦めた時から、私は一人よりチームが好きなんだという自覚がありました。美容業界は昨今、個人事業主化が進んでいるのですが、チームにはチームの良さがあります。「一人では見られない景色をチームで見にいこう」というのが、会社のビジョンの一つでもあります。
人が増えるにつれて、事業規模も関わるプロジェクトもどんどん大きくなります。今の仕事だって、一人でサロンオーナーをしていた時には絶対できなかったこと。この景色や経験を更新し続けていくのが、人生をかけての私の夢です。
※この記事は2023年05月30日に公開されたものです