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『そんなの痛いに決まってる』から見る、日々のうっ屈の吐き出し方

#好きだから触れたい

いしいのりえ

恋愛という感情の先には、相手のことを“もっと知りたい”と思う気持ちがあるはず。この連載では、小説に描かれる「好きだから触れたい」という心理について、官能小説研究家のいしいのりえさんに解説してもらいます。ちょっぴり大人な恋愛の世界を堪能してください。

ここ数年は新型コロナウイルスの蔓延や世界情勢などにより、何もしていなくても、毎日少しずつストレスが蓄積されているような気がします。

積もりに積もったうっ屈を抱えながら生きるには、一人よりも二人が良い。相手に対する求め方の形も世の中の状況により少しずつ変化しているように感じます。

今回ご紹介する朝井リョウさんの『どうしても生きてる』は、心にうっ屈を抱えながらも生き抜く人々の物語が6作収録されています。

その中から今回は『そんなの痛いに決まってる』をご紹介します。

今回の教科書 朝井リョウ『そんなの痛いに決まってる』

会社員の良大は、ある日を境に妻である美嘉に「勃たなく」なってしまいました。

その理由は、美嘉の収入が良大を上回ったから

けれど、子どもが欲しい美嘉は「コウノトリが来ます」と、タイミングごとに良大を誘います。

一方、良大にはマッチングアプリで知り合った浮気相手がおり、美嘉とは絶対にできないセックスを彼女と繰り返す日々を過ごしています。

そんな中、良大が尊敬する上司・吉川が退職してしまうことになりました。その理由は、彼のSM動画が流出したためで……。

やさしくされるたびに肥大する「痛み」

「大丈夫」が口癖だった吉川は、動画の中で女王様に鞭で打たれながら「痛い!」と叫んでいました。

良大は、その様子を見ながら、吉川と酒を飲んだ時の話を思い返します。

「遠出をすると、反射神経でしゃべってしまう」。温泉に入った時や、美しい景色を見た時に、心の声が頭を通さずに出てしまう。

「コウノトリが来る日」に、やはり「失敗」してしまった良大に対して、美嘉は責めることなくやさしく接します。

「だいじょうぶ。ゆっくり頑張ろう」。

美嘉にそう言われるたびに、良大の痛みはますます肥大し、美嘉以外の女性に触れたくなります。

セックスの前はシャワーを浴び、歯磨きまでする美嘉に対して、浮気相手の女にはウォシュレットをすることすら許しません。

全身に匂いをまとった女の体を隅々まで舐めまわすことで良大は興奮し、勃起し、反射神経で話すことができる……「痛い」と。

それぞれが求める痛みの拠り所

会社のこと、美嘉のこと、さまざまなことが蓄積して、良大はずっと「痛い」と感じていました。

その気持ちを吐き出す場所はやはり美嘉ではなく、何の感情も湧かない見知らぬ女であって欲しいのです。

痛いときに痛いって言いたい」 

作品中で良大はそう語っています。

美嘉の前では「痛い」と言うことができない。なぜなら、彼の痛みを無意識のうちに作っているのは彼女だから。

転んですぐに「痛い」と叫べる子どもとは違い、大人になればなるほど我慢を強いられます。

吉川にとってのSMのように、私たちも、大切な誰かではなく、他のどこかに痛みの拠り所を探しているのかもしれません。

(文・イラスト:いしいのりえ)

※この記事は2022年04月23日に公開されたものです

いしいのりえ

官能小説研究家、イラストレーター。年間100本以上の官能小説を読む経験を活かし、同性である女性にも官能小説を推薦したいという思いから、2010年より執筆活動を開始。「サイゾーウーマン」では官能小説レビューの執筆、文芸誌「悦(無双舎)」では装幀イラストの他にもエッセイを 連載。書籍「女子が読む官能小説(青弓社)」を出版。小説の解説も手がけている。

http://ishiinorie.com

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