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「恥じらい」の正体。女性には本当に必要なの?

仁科友里

恥じらいがなくなる原因

それでは、「恥じらいがある女性」と「恥じらいがない女性」の違いは、なんでしょうか?

恥じらいがなくなる原因として考えられるのは、

・他人に気を使いすぎ
・他人に気を使わなすぎ

の2点が考えられます。

他人に気を使いすぎる

たとえば、前項(1)の「プライベートを話しすぎる」人は、「他人に気を使いすぎ」な人だと思います。なぜ自分のプライベートをなんでも話してしまうかというと、「人を楽しませないといけない」という気持ちを心のどこかで持っているからではないでしょうか?

テレビに出ている人は、面白い話をすることでギャラをもらっています。なので、その場を盛り上げなくてはいけません。極端なエピソードを披露したほうが視聴者の印象に残って、次の仕事につながる可能性も高くなります。

しかし、一般人であるみなさんはギャラをもらっているわけではありませんから、「人を楽しませる」必要や義務はまったくありません。そのためにプライベートを露出する必要もありません。その場所や関係性にふさわしい態度を取って楽しめばいいのです。

他人に気を使わなすぎる

反対に前項(2)の「下ネタやセックスの話をすることに抵抗がない」人は、「他人に気を使わなすぎ」なのだと思います。

男女問わず、下ネタやセックスの話が嫌いな人はいます。セックスの経験がない人もいますから、やはり下ネタやセックスはごく限られた親しい人とだけすべき話題ではないでしょうか。自分にとってはなんでもないことでも、もしかしたら相手は嫌かもしれないという気使いは、オトナとして必要だと思います。

他人(彼氏)に気を使わなすぎる

前項(3)の「彼氏に対して、慣れあいが強い」人も「他人に気を使わなすぎ」に入ると思います。

親密な関係だから、許されると思っているのかもしれませんが、恋人はひと言で言えば他人ですし、いつでも別れられる関係です。だからこそ、ある程度の緊張感と礼儀を持って付き合う必要があるのではないでしょうか。

あまりにも自分のプライベートの話をしないと、精神的な距離は縮まりませんし、「警戒されているのかな?」と相手に不信感を持たせてしまうかもしれません。かといって、なんでも話してしまうと、別れ話に発展しないとも限らないのです。

「恥じらい」とは危機管理と思いやりの中間にあるもの

こうやって考えてみると、「恥じらい」とは、危機管理と思いやりの中間にあるものと考えられるのではないでしょうか。適度な距離を保って自分を守りつつ、人を嫌な気持ちにさせない範囲で、自分を出していくということだと思います。

みなさんの周囲に「自分の話をしないわけではないけれど、だからといって、プライベートがいまいちわからない女性」はいませんか? そういう女性は、自分なりの「恥じらい」の基準を持った女性だと思います。

SNSの発達で、思ったらすぐに発信する生活にみなさんは慣れていますが、そういう女性から「何を言うべきではないのか」を学び、ひとつの参考にしてみてください。

(仁科友里)

※画像はイメージです

※この記事は2019年10月08日に公開されたものです

仁科友里

1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。OL生活を綴ったブログが注目を集め、2006年に『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。『サイゾーウーマン』『週刊女性』『週刊ポスト』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む女性たちの相談にも答えている。
ブログ「もさ子の女たるもの」(http://ameblo.jp/nishinay-127/
Twitterアカウント @_nishinayuri

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