毒親と絶縁して幸せになれた理由【私、親子をやめました】
物や情報にあふれ、なんでも手に入れられるようになった現代。だけど何もすべてをやらなきゃいけないわけじゃない。続けることだけが正解じゃない。なんとなく惰性でダラダラやるくらいなら、やめることだってひとつの選択だ。今回の特集「やめた女たち」では、「やめた」ことで自分らしい人生を送れるようになった女性たちの声を届けます。
「親子の縁は切れない」と言うが、私は親と絶縁して祝25周年になる。
18歳のときに毒親から逃げるために実家を出た。その後も毒親には悩まされたが、10年前、母親が自宅アパートで遺体となって発見された。そして去年、父親が自殺して遺体となって発見された(※)。
そんな親が遺体で発見されがちな43歳デース! と元気に自己紹介すると「お前が殺したんじゃないか」と疑われそうだが、私は誰も殺してないし、サイコパスでもない。
一応、人並みの良心や感情をもつ人間なので、親子問題にはさんざん苦しんできた。その立場から、マイナビウーマンの特集「やめた女たち」では、「私、親子をやめました」というテーマで書きたいと思う。
※親の死については「毒親の送り方シリーズ」というコラムにも書いたので、よかったら検索して読んでみてね。
いったん「毒親のせい」にしてみよう
結論から言うと、私が今幸せに生きているのは、親と離れたからである。アルコールにおぼれる母と、金を無心してくる父。2人ともモラがハラりにハラったタイプだった。もしそんな親との付き合いを続けていたら、メンがヘラりにヘラって、ぶっ壊れていただろう。
子どもが親を毒親と認めるのは難しい。うちの両親も身体的な暴力を振るったわけじゃないし、私を中学から私立に通わせるなど、それなりにお金はかけてくれた。
でも、そんなことは関係ないのだ。
自分が「親のせいで生きづらい」と悩んでいるなら、毒親と呼んでいい。それを決めるのは自分自身であって、他人と比べなくていいし、「毒親と言うほどじゃないし」と遠慮する必要もない。「毒親」に抵抗があるなら、自分を「AC(アダルトチルドレン=子ども時代に親との関係でトラウマを負ったと考えている成人)」としてもいい。
とにかく、いったん親のせいにしてみること。「親のせいで自分は生きづらい」と認めることで「自分が悪いんじゃないか」「自分は甘えてるんじゃないか」という“自責の刷り込み”から抜け出せる。
毒親キッズは親に自己肯定感を奪われてきた。子どものころから「お前はダメだ」「自分は正しい、お前がまちがっている」と否定されて、「親の期待通りであれば」という条件つきの愛情しか与えられなかった。
そのため「自分はダメだ」「生きづらいのは自分のせいだ」と自責するのがクセになっている。まずはその刷り込みを自覚して、親のせいにしてみよう。
そのために、いったん親から離れてみよう。古今東西、毒親キッズが共通して言うのは「親と距離を置かないと冷静に考えられないし、親の呪縛から逃れられない」という言葉だ。絶縁するのは無理でも、なるべく接点を減らすことで、親の呪縛を解く準備ができる。
テロリストとは交渉するな
だが、それを邪魔するのが「でも親子なんだから」「話し合えばわかりあえる」と主張する一派である。
話し合ってわかりあえるぐらいなら、そもそも悩んでいないのだ。
私も「今度こそわかってくれるかも」と何度も期待しては裏切られ、そのたびに傷つき絶望して、「親とわかりあうのは無理」と諦めたことで楽になった。
そして「親に認められなくていい、自分のやりたいことをしよう」と決めたことで、自分の人生を生き直せた。「血のつながりなんて関係ない、自分の好きな人たちを大切にしよう」と思ったことで、新しいつながり、自分の帰る居場所を作っていけた。
そうやって、毒親に奪われたものを取り戻していったのだ。
そんな私が毒親キッズに送りたいのは「テロリストとは交渉しない」という言葉である。
先方は「自分は正しい、お前がまちがってる」という信念があるため、まともな対話などできない。国の大統領になったつもりで、毅然と拒否しよう。
「血のつながった親子なんだから」「育ててもらった恩があるでしょ」と説教してくる輩もいるが、血のつながった親子だからこそわかりあえないのだ。毒親は「親は子どもを支配できる」と妄信していて、血縁や育てた恩を押しつけてくるから、対等な話し合いなどできない。
この手の説教をしてくる背景には、毒親ポルノの影響もあるんじゃないか。「断絶していた親子が許し合って和解する」系のお涙ちょうだいコンテンツを、私は毒親ポルノと呼んでいる。
毒親ポルノ的な幻想は、被害者への二次加害につながる。どんなにひどい親でも、子どもは「親を切り捨てた自分はひどい人間じゃないか」と罪悪感に苦しむ。そのうえ世間やまわりから「子どもを愛さない親はいない」「だから親を嫌うなんておかしい」「許して和解すべきだ」と押しつけられ、何重にも傷つけられる。
その手の発言をぶつけられたときは「イジメの被害者にそれ言うか?」と返してほしい。
毒親キッズは、親からイジメを受けて育ったと言ってもいい。日常的な暴言・暴力・差別・無視・脅迫・人格否定を受けてきた被害者に「話し合えばわかりあえる」「いじめた側にも事情があった」「過去は水に流して許してやれ」「盆正月ぐらいは会ってやれ」なんて言うほうがおかしいだろう。
なので「イジメの被害者にそれ言うか? おう?」とチョキで鼻フックをキメながら返してほしいが、それができない場面も多い。
そんなときは「DV返し」がおすすめだ。これは「暴力には暴力を」「右の頬に鼻くそをつけられたら左の頬に」という提案ではない、それだと自分がテロリストになってしまう。
たとえば「盆正月ぐらいは帰ってあげたら? たまには親孝行しないと」と言われたときに「親と仲が悪くて」と返すと「反抗期?(笑)」「親だって完璧じゃないんだから」「子どもを産んだら親の苦労がわかるよ」などと説教をかまされがちだ。
そこで「親からDVを受けて……」と返すと、さすがに相手は黙る。昨今、痛ましい虐待のニュースが多いため「DV」というワードは効く。
DVには精神的DV(暴言・無視・脅迫・監視・人格否定など)も含まれるので、毒親キッズはみんなDV被害者だといえる。堂々と胸を張ってDV返しをしてほしい。
こうして余計な雑音はシャットアウトして、傷ついた心を守ってほしい。そのうえで、安心できる場所で過去の傷つきやつらい気持ちを吐き出して、理解・共感してもらうことで、徐々に心は回復していく。
毒親と絶縁して生きるのが楽になった40代
20代の私は親のことを話そうとすると、涙があふれて言葉につまった。それから幾星霜、43歳の私は鼻くそをほじりながら平気で話せる。それは自分でも飽きてゲップが出るぐらい、吐き出しまくったからである。
ゲップが出るぐらい吐き出すと「なんかもうどうでもいいや」と親の存在が軽くなる。それが、親の呪縛から解放されるということだ。
親は私にとってどうでもいい、とるに足らない存在で、影響力など持っていない。そう思えたら、生きるのが楽になった。
「親を許せなくてつらい」と悩む毒親キッズは多いが、許す必要なんてないし、許そうと思って許せるものでもない。私の場合は気づいたら、許す許さないとか考えなくなっていた。
そんなわけで、みなさんもどんどん吐き出してほしい。そのために、安心して吐き出せる場所を見つけてほしい。ネットで毒親育ちのコミュニティを探したり、ACの自助グループに参加してみたりするのもいいだろう。
私は「アルテイシアの大人の女子校」というサロンを運営しているが、「読者が安心して毒親トークできる場所を作りたい」というのがサロンをはじめたキッカケだった。
女子校には毒親育ちのメンバーが多く、みんなでのびのびと毒親話に花を咲かせている。「みんなの話を聞いて、親と距離を置くことができた」といった報告もよく寄せられる。
こうしたやりとりを見ることで、私自身も救われている。「毒親育ちでよかったとは思わないけど、結果的にこういう場所を作れたからよかったな」と。自分の傷が他人の傷の回復に役立つことがある、それを知ることは何よりの癒しになる。
かつ、みんなで動物園や芋ほり遠足に行ったりと、女子校ライフをエンジョイしている。
心はJKだが実年齢は43歳のJJ(熟女)なので、芋掘りのあとはヒザと腰が痛んだ。でもキャッキャウフフと芋を掘って焼いて食った記憶を反芻しては「ここまで生き延びてよかった、人生捨てたもんじゃないな」と思った。
かつての私は「人生なんてろくでもない」と思っていた。
子どもは親を選べない。親子ガチャがハズレだとこんなにハードモードになるなんて、あまりに理不尽で不公平だ。こんなクソゲーやってられないし、いつ死んでもかまわない。
そう思いながら生きるうちに、大切な人が増えていった。実の家族がハズレでも、新しい家族や大切なつながりを作っていける。
そんな体験を重ねるうちに「健康で長生きしたい」と願うJJが爆誕した。公園で太極拳をするおばあさんたちの気持ちがわかる。
「親子問題を解決しないと前に進めない」と考える人もいるが、もがきながら進んでいるうちに「別に解決しなくていっか、今けっこう楽しいし」となることは多い。
毒親と向き合っても傷つくだけで、「なんの成果も得られませんでした!!」パターンになりがちだ。なのでそこはいったん諦めて、ほかにリソースを割くのがいいと思う。いろいろやってみたり、いろんな人に会ってみたり。
「会うたびに首が太くなる女」の話
最後に「会うたびに首が太くなる女」の話をしよう。ろくろ首的な怪談ではなく、支配系の母親に悩んでいた友人の話である。
彼女は結婚して出産して40代になったあとも、毒親由来の生きづらさを抱えていた。そんなあるとき、子どもが格闘技を習いたいと言い出して、自分もついでに習ってみたら、予想外にドハマりした。
1年後、彼女は「親なんか関節技で首をへし折れると思ったら、全然平気になった」と話していた。また「今、生まれて初めて自分が本当に好きなことをやってる」とも。
子どものころから習いごとも服装も進路も職業もすべて母親に決められて、自分が何を好きで何を嫌いかもわからなかったらしい。それが40歳を過ぎてたまたま格闘技を初めて、その偶然の出会いが人生を変えた。彼女は会うたびに首が太くなっていき、自由で楽しそうな顔になっている。
「好きなものは好き」「好きにやらせろ」と開き直れるのも、加齢のメリットといえるだろう。私も40歳を過ぎてますます生きやすくなっている。その要因のひとつに、JJならではの「忘却力」が挙げられる。
『ジョジョの奇妙な冒険』の承太郎は「忘れっぽいんでな、メモってたんだ」と言っていたが、JJはメモってることすら忘れる。私もスーパーに行くと「何を買うんやったっけ」と立ち尽くすし、指先が乾燥しているためスーパーの袋の口を開けない。
なんの話をしてたんやっけ。そうそう、そんな優れた忘却力を発揮して、過去のつらい記憶もだいぶ忘れているのだ。
親にされたことが許せなくて苦しんでいる人、怒りや憎しみや悲しみに押しつぶされそうな人もいるだろう。でも大丈夫、それも自然に薄れていって、いつか手放せるときがくる。
「私、親子をやめました」。そう晴れ晴れと宣言できる人が増えますように。もしそこで文句を言う奴がいたら、JJが右と左の頬に鼻くそをつけてやる。
幸い、花粉で鼻が詰まりやすい季節である。いつでも鼻くそを出せるように、在庫をキープしておきたいと思う。
(文:アルテイシア、イラスト:oyumi)
※この記事は2019年04月12日に公開されたものです