4月のジミーチュウ-約束- #名品ハイヒール
節目にハイヒールを下ろすことは、女にとって通過儀礼かもしれない。数日足を痛めることはわかっているし、もう既に、今朝から足の親指の付け根がはち切れそう。それでも私たちはハイヒールを愛することをやめられない。そして、あの靴を履くため今日だって必死に働く。
部屋でひとり、ソファーに腰を落とし、もらったばかりのレースの靴をつま先から引っかけて、天井灯のほうに足を高く掲げた。
レースは女にとって特別だ。兄のおさがりばかり着せられていた子ども時代、砂糖菓子のようにかわいらしいその素材は夢だったし、パンクバンドにはまった学生のころは、やや反骨的にスタッズとレースを合わせてコーディネートしてみせた。今でも、幅広く折り返したレースソックスをひらひらさせた女の子たちとすれちがうと、甘酸っぱい気持ちになる。これってレースをめぐる女の性じゃないだろうか。
それでいて、ジミーチュウのハイヒールとくれば大人になったってドキドキ必至。もう10年はあこがれてきたブランドだ。きっかけは映画『プラダを着た悪魔』で耳にした「ジミーチュウを履いたときに悪魔に魂を売ったのよ」というセリフ。あれから何度試着をしたかわからない。ピンヒールなのに足の甲にぴったり吸いつくはき心地はオーダーメイドかと思うほどで、華美に装飾しすぎないデザインには気品がある。そのバランス感はすばらしく、試着室のカーペットの上で試し歩きをしては何回もため息をついた。
さて、事件は今日。長い付き合いの彼からもらった誕生日プレゼントが、このネイビーレースのジミーチュウだった。「白いのは結婚式のときかな」と彼がはにかみ、はじめて出た“結婚”の言葉に少し動揺する。
普段は戦闘靴であるハイヒールが、まるで別物のように見える。レースがドラマチックなのは、見えそうで見えない世界があるから。もう子どもじゃないから、妖艶なメランコリーの存在に気づいてる。繊細でもしっかりと編まれたレースに足を包んで、見えない世界に進む心の準備をしてみようか。
いつかは白く光るジミーチュウを履いて、結婚という悪魔に魂を売るのもきっと悪くない。足のまわりを飾るレースは、彼との静かな約束だ。
(文:ナガイタカコ、イラスト:後藤恵)
※この記事は2018年04月30日に公開されたものです