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専門家 生活

自分勝手! 男性が遊女に望んだ無理な理想「昼は聖女、夜は獲物を一瞬で仕留めるプロ」

堀江 宏樹

和室遊女が「まことの遊女」、つまりは一流とされるには、色々な基準をクリアすることが必要でした。中でも江戸時代の上方(関西)の文化をリードした作家・井原西鶴の言葉によると、「まことの遊女」とされる重要条件のひとつが「恋ならば、いかなる者にも情けをかけてこそなり」ということ。
つまり、一流の遊女ならば「あなたに恋するすべての男性を、平等に、丁寧に接客してこそ」と解かれているわけですが、つまりは「聖女になりなさい」といわれているようなものですよね。
さらに続くのが「見た目や性格が気に入らない相手はもちろん、どんな病気の人ですら嫌がらずに接してやれ」という部分で、そういうのは理想でしょうし、男性の夢でしょうが、ハッキリいって無理です。病気の話はまた今度するとして、どうやって遊女たちは男性の幻想に応えたか、というと、今も昔も同じでキャラを作ったのですね。

江戸時代には多くの遊女についてのエッセイが残されており、その中で「わっさり」した様子の遊女こそ望ましい……という論調が多いわけです。「わっさり」という字面は、現代語の「あっさり」と似ていますが、少しニュアンスが違います。「ちいさな物事には、こだわらない様子」で、「おっとりしている」ことなんですね。

遊女はいわば「会いに行けるアイドル」ではありましたが、この時代、もっともアイドル的な要素は「お姫様らしさ」なんですね。「高貴さ」という属性が、現代では考えられないくらいのフェロモン要素だったのです。そして、しょせんはイミテーションにせよ、高級な遊女にもお姫様のような、「わっさり」とした振る舞いが大事だったのです。ホントにバカっぽいのも論外なんですが、知的な部分が目立ちすぎると、これまたダメなのですよ。

それでは遊女たちが「わっさり」と自分を見せるために行った具体的な努力のひとつに、食欲をセーブすることが挙げられます。特別に心を許した男性の前以外では、遊女はお酒を口にする程度。どんなに豪華なご馳走が出されても、またどんなに空腹でも、パクパク食べてしまうのは慎んだのだそうです。
これは遊女だけでなく、当時の一般女性も同じです。家族や夫に相当するくらい、親しい間柄の男性の前でのみ、飲み食いしてもOKという、現代では考えにくいルールがあったわけですね。
遊郭によっては自分が抱えている遊女たちに、普段は満足にご飯も食べさせず、お客が付いた時に、どんどん高い料理を注文、ケータリングさせ、その時だけは(店にマージンが入るため)ガンガン食べてもいいよという風にしている、悪質な場合もありました。遊女は食べたくても食べにくいのですから、酷い話ですよねぇ。

とにかく食事関係、料理関係で遊女にはNG項目が多く、たとえば食材の名前やら調理法などを知り尽くしてることを明らかにするのもダメでした。現在でも家庭料理を作って振る舞いたがったり、会食や合コンの席で、テキパキと取り分けしたり、出しゃばる女性の男性ウケは(案外)悪いのと似ているかもしれません。当時も仕切り屋っぽい女性は、敬遠されがちだったのです。

しかーし、いくらおっとり振る舞っても、お布団の中に入ってからのプレイ時間が長いのはダメなんです。そんな遊女は二流の証。優秀とされる遊女ほど、実質的なプレイ時間は短く、男性はいわば瞬殺でした。「能ある鷹は爪を隠す」式に、おっとりした部分と、猛禽のように、獲物を一瞬で仕留める強さを併せ持つ遊女こそが一流だとされたのでした。
昼は聖女、夜は娼婦なキャラの女性が最高という表現がありますが……江戸時代のハイステイタスな遊女はそれ以上に、矛盾する要素をいくつも備えている必要があったのです。
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著者:堀江宏樹
角川文庫版「乙女の日本史」を発売中
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※写真と本文は関係ありません

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