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専門家 生活

意外! 平安美人は、現代の美人像と変わらない「目鼻立ちはっきり、スリム体型」だと判明

堀江 宏樹

女性みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。昔も今も、女性の生活とメイクの関係は密接です。「キレイになりたい」という欲求は、単純にモテたいからではなく、「理想のわたしに一歩でも近付きたい」という願いの反映だと思います。

しかし、具体的にどんな人を「美しい」と考えるかは、時代によってかなりの差がありました……と書くと、みなさんは一番最初に「平安美人」と「現代美人」のちがいについて思い浮かべるかもしれません。『源氏物語絵巻』などに描かれた貴族の女性たちのノッペリ顔を思い出しながら……。

ところが、平安時代の大人気小説『源氏物語』の記述からは、本当のノッペリ顔はむしろ不美人の証だったとわかるんです。『源氏』の「空蝉(うつせみ)」の記述がその証拠なのですが、見た目もステイタスもすべてが最高という設定の「絶世の美男子」光源氏が、マジ惚れしてしまったのはそんなに美貌でもない年上の人妻・空蝉でした。

光源氏は「わたしはなんで、こんな大したことない女性のことを、本気で好きになってしまったのだろう」と焦ります。その時に出てくるのが、次の空蝉の外見描写です。「目は少し腫れたような感じで、鼻なども(低いため)鮮やかと思える部分がない。年をとっているのが丸わかりのルックスで(フツーに見て)魅力的だと思わせるような部分など、ない」。

実にイタい描写ですよね(笑)。しかも光源氏にこれをつぶやかせているのは、作者の紫式部なんですね。女の目で見て、魅力的とは思えない女性の外見的特徴って千年前も、今も共通しているのがよ~くわかります。ちなみにどうして、光源氏は空蝉「なんか」に恋してしまったのかって?

それは空蝉が賢かったから。彼女には人妻という「ブランド」があり、それを理由に光源氏の求愛を退け続けたからです。しかも一度は寝た後なのに……。拒みと焦らしのテクはモテ男にこそ、効くわけです。今回のコラムのお題「平安美人」とは趣旨がずれるので、空蝉の話はまたの機会に。

平安時代から、「目鼻立ちがクッキリして、ほっそりとした体型の、年齢より若々しく見える女性こそが美しい」は、日本の美人像にマストな条件なんですね。どうですか? 現代人の理想と、ほぼ変わらない気がするでしょう?

ちなみに平安時代の貴族女性の多くは、絵巻物のように「マシュマロ女子」というか「ふとましい」というか、とにかく「ぽっちゃりさん」ではありえない、と思います。そもそも彼女たちは、1枚あたり4キロほどにもなる絹の上着をふだんでも3~4枚ほど重ねて着ていたのです。それだけの重さに耐え抜く平安時代の貴族女性のカラダは「ぽっちゃり」どころか、かなり骨太で、筋肉質ですらあったはずです。

それにしても、なぜ現代人は誤った「平安美人」のイメージを持つようになったのでしょうか? すべては、絵柄の問題なんですね。日本が鎖国していたのは江戸時代だけではなく、平安時代の後期もそうでした。平安時代の鎖国直前まで密接な交流があったのが中国の、唐という王朝です。そして、唐の時代、「中国3千年」ともいわれる歴史の中で、たった1回だけ、いわゆる「ふとましい」女性も人気となった時期があったんです。「ふとましい」楊貴妃がグラマラスだとして人気になった頃の話ですね。

とうぜん、美人画として「ふとましい」女性の肖像などが、日本にも渡ってきました。当時の日本人にも、おそらくは舶来上等、外国文化こそ素晴らしいという感覚はあったのだと思います。そして唐からもたらされた、「美人はこう描くべき」という絵柄だけが、鎖国後にも残ってしまった……と。

いかがでしょうか。「細い目、かぎ鼻のちっさい鼻、おちょぼ口で、ぽっちゃりした女」こそが平安時代はモテたというイメージと、現実があまりに違ったコトに驚かれたのではないでしょうか。今晩、アイメイクを落とすときから、どんどん小さく、細くなっていく自分の瞳を見ながら「平安時代にタイムスリップしたら、わたしはモテモテなはず」……なんて妄想は捨てたほうが無難ですねぇ。

(堀江宏樹)

※写真と本文は関係ありません

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